第六話 夜の訪問者たち

--- 食堂 ---


郁恵が晋吾の姿を見つけるやいなや小走りで走り寄ってきた。「お祓いどうだった?」

晋吾が、左腕をまくり、手首の内側にできた刺青のような星のマークを見せる。その表情には少し戸惑いが混じっていた。


「イメージしていたお祓いとはだいぶ違ってた。聖水を飲まされて、気づいたらお祓いは終わっていた。途中は全く覚えてない。気がついたら、これがついていた。たぶん寝ちゃったんだと思う」


涼が、注意深く晋吾の星のマークを指でさすりながら呟く。眉をひそめ、じっくりと観察する。


「ぽこっと膨らんでいるね。少し腫れている。痛くない?」


「特に痛みはない。ほとんど気にならないかなぁ。それよりも悪霊と会いたくないよ。二度と」晋吾が軽く肩をすくめながら言う。


「今晩、どうなるかだね」涼がそっと手を引っ込める。


「お祓いは怪しさ満点だけど、数日、様子を見て、もし悪霊出てこなかったら、郁恵ちゃんも検討するのはアリだと思う」


「ありがとう」郁恵が小さく頷きながら答える。


四人は、悪霊に怯えながら、それぞれの部屋に戻っていった。


--- 食堂 --- 翌日


「どうだった昨夜は?」郁恵が晋吾に訊く。彼女の顔には疲れが残っており、不安な様子が浮かんでいる。


「悪霊、出てこなかった。気付いたら朝だったので、爆睡したんだと思う。もしかしたら、お祓いが効いたのかもしれない。郁恵はどうだったの?」


「私は、昨晩も出た。怖かったから布団かぶって寝てた。そしたら、複数人が話す声が聞こえてきた。怖すぎて見たくなかったから、布団の中でじっとしていた。話声はずっと続いていて、朝、里ちゃんがドアを開けて入ってきた瞬間に声が消えた。結局、昨晩は一睡もできなかった。もう、ここ、嫌だ」郁恵が両手で体を抱きながら答える。


涼が彼女を心配そうに見つめながら口を開いた。「実は、昨晩、俺もおかしなことがあったよ。寝てたら、小学生ぐらいの女の子が三人入ってきて、床に体育座りして、泣き出したんだよ。住民に子供はいないはずなので、おかしいなと思って声をかけたら、ちらっとこっちを見て、逃げるようにして部屋から出ていったんだよね。晋吾や郁恵のように危害を加えられなかったので、夢なんじゃないかと思うけど、妙にリアルだったのは確かだ」


「悪霊ではないかもしれないけど、この病院に入院してた患者の霊じゃないかと思う」晋吾が眉をひそめて言う。


「そうなるよね。どうしても。でも、俺はどうしても霊とか信じられないんだよね。方程式で証明できないから。なんか夢ぽかったし。何の危害も加えられなかったし」涼が呟く。


光が軽く笑いながら言った。「数学と物理のオタクは言うことが違うね」


「光は何もなかった?」


「俺は、夢か現実か、わからないけど、穂乃果の声が聞こえてきた気がした」


「穂乃果は死んでないと思うから、それは、単に会いたいから、夢の中で出てきたんだと思う」涼が言う。


光が真剣な表情で話を続ける。「問題ある人もいるけど、ここにいる人は、いい人の方が多いと思うので、やっぱり、穂乃果を連れ戻しに行こうよ。どうしているのかって気になるよ」


晋吾が驚いたように訊いた。「あれ、光、穂乃果にガチなのか?」


「うん、俺は、ガチで、狙っている」光が真剣な眼差しで答える。


「こんな時に、そんな話、やめてよ。今は、恋愛している場合じゃないんじゃない」郁恵がピシャリと言う。


晋吾が口調を落ち着けて提案する。「とにかく、穂乃果を連れ戻しに行こうよ」


郁恵は少し考え込んだ後、静かに立ち上がる。「じゃあ、私が、ゴッドに相談してみる」


--- 東棟、南棟、北棟 ---


ゴッドとの交渉の末、穂乃果を探すことが決まった。光、郁恵、そしてアツが、穂乃果を探しに向かった。西棟を出ると、地下空間の広さが視界いっぱいに広がる。真っ暗な通路が幾重にも続き、壁は剥げかけたペンキと湿気で黒ずんでいる。通路の片隅には古い医療器具や壊れたベッドが散乱し、いかにも使われなくなった廃墟の雰囲気を漂わせている。


アツは、地下を知り尽くしていた。


「この辺りは見落としがちだから、念入りに探そう」アツが言いながら暗い通路を進む。


「アツさんは、悪霊に取り憑かれたことはないのですか?」郁恵が訊く。


「あるよ。でもお祓いしてからは、消えた」


「アツさんもお祓いしてもらったんですね?」郁恵が驚いたように訊く。


アツは腕を捲って、手首の星のマークを見せた。


東棟では、錆びついた鉄扉が並ぶ部屋を一つ一つ開けていったが、中はどれも空っぽだった。南棟では、かつての手術室のような部屋に入り、光が手術台を指さして言った。「なんだか不気味だな。こんな場所に穂乃果がいるなんて思えないけど……」


北棟では、廃棄された酸素ボンベや古いカルテの山を掻き分けながら進んだが、そこにも穂乃果の痕跡は見つからなかった。天井からは湿った水滴が落ち、時折、どこからかネズミが走り去る音が聞こえる。広大な地下空間は、時間の感覚を失わせるほどだ。


三人は十時間以上歩き回ったが、穂乃果の形跡すら見つからなかった。


--- 食堂 ---


疲れ果てた三人が夜九時近くに西棟の食堂に戻ると、涼、里、晋吾、博士、ゴッド、クィーンがテーブルを囲んでいる姿が目に入った。テーブルの上のローソクが六人の顔を照らしている。


「あれ!穂乃果は?まさか見つからなかったとか?」涼が立ち上がり、驚いた様子で訊いた。


三人は疲れ切った顔で俯き、無言で首を横に振った。


「痕跡も見つからなかったんですか?」ゴッドが冷静な声で詰め寄る。


アツは深いため息をつき、「うん」と短く答えた。


「蒸発ですか……」ゴッドが腕を組んで大きくため息をついた。


そのとき、クィーンが低い声でゴッドを見つめながら言った。「また、悪霊に連れされたのかも……」


「またって……もしかして、過去にも蒸発事件はあったんですか?」郁恵がテーブルの上に手をついて訊く。


「何度もね」クィーンが落ち着いた声で淡々と答える。

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