第2話、依頼


「引く」


 十時頃、冒険者組合に到着した私が馬車から降りたとき、その建物を見て目に飛び込んできたのは、この二文字であった。


 扉の両側には、昨日までなかった「引く」と書かれた新しい札がでかでかと貼られていた。


 最初からあればよかったのにと思いながら見ていると、文字の下にある黒い汚れが気になった。


 手で払うが落ちず、息をハーッと吹きかけようと顔を近づけると、なんだか文字のような気がした。


 目を凝らすと――「んだぜ、嬢ちゃん」とそこには記されていた。


 もやもやした気持ちで中に入ると、カウンターの隅に昨日扉を開けてくれたあの男性が立っていた。


 兜を片手に持ち、鎧一式を身に着け、腰に二本の剣を帯び、さらに大きな槍を肩に担いでおり、かなりの重装備であった。


 どんな大物を討伐しに行くのだろうか、まじまじと見ていた私に気が付いた男性が声をかけてきた。


「お、昨日の嬢ちゃんじゃねーか。今日はちゃんと扉を開けられたようだな」

「おかげさまでありがとうございます」


  もちろんこれは皮肉である。

  そう言って男性にちょこんと頭を下げ、カウンターにいる受付嬢に話しかけた。


「昨日、この時間に組合長のクミさんに来るように言われたのですが?」

「少々お待ちください。ただ今確認してまいります」


 受付嬢はそう言い、小走りで奥の部屋へ向かうと、ドアをノックして入っていった。


「もしかして新米冒険者って嬢ちゃんか?」


 すぐそばにいたのか、ジンの質問に答える間もなくドアからクミが顔を覗かせた。


「あら、二人ともおそろいで」


 そう言いながらクミは私に歩み寄り、木製の四角い板を差し出した。


「アカリさん、まずこれをお渡ししておきます」


 私はそれを受け取って目を落とすと、「五級冒険者アカリ」と刻まれた冒険者証であった。


 心の中で歓喜の声を上げ、軽く礼をするとクミは言葉を続けた。


「しばらくの間、あなたに付き添っていただくジンさんです」


 警備員を兼ねていると言っていたので、私はてっきり昨日のシゲだと思っていた。


「ジンだ、嬢ちゃんよろしく」


 そう言い、私に見せたのは金色に輝く一級の冒険者証であった。

 昨日のシゲといい、人は見かけによらないものである。


「では、くれぐれもよろしくお願いしますよ、ジンさん」


 クミが部屋へ戻るや否や、すぐさまジンは私に問いかけた。


「で、嬢ちゃん、一つ確認なんだけど、その格好で依頼にいくのかい?」

「はい、何か問題ございますか?」


 今日の服装はつばの広い帽子に白のワンピース、その下に黒のスパッツを重ね、赤い革靴を履いていた。


 指で頭をぽりぽり掻きながら、ジンは受付嬢に尋ねた。


「受付の姉ちゃん、ここってローブとか置いてた?」

「はい、ございますよ。色は白、黒、赤の三色です。どのサイズにいたしますか?」


 その受付嬢の質問にジンは即答した。


「サイズはS、色は白で。料金は口座払いで頼むわ」

「はい、こちらになります」


 受付嬢が差し出したローブをジンが受け取ると、そのまま私のところへ回ってきた。


「嬢ちゃん、魔物狩ったら汚れるからそれ着とけ」

「いえ、私、お金払います」


 慌てて腰の袋に手を伸ばし、お金を取り出そうとした。


「新米冒険者へのプレゼントだ、いいからさっさと着ろ。あと、帽子は邪魔になるからここで預かってもらえ」


 そう言われ、私は反射的に帽子のつばを掴み、拒むように首を振った。


 成長するにつれて色素が抜け、今や銀色に近い私の髪は、過去に起きた問題の記憶とともに、心に暗い影を落としていた。それゆえ、髪を見せたくなかったのである。


「嬢ちゃん、ローブにフード付いてるから」


 ジンの言葉を聞き、しぶしぶローブを受け取ると、帽子を脱いで受付嬢に手渡した。


「おー、その髪の色に白は映えるな。美人度上がったぜ。嫁さんいなかったら口説いてるところだ」


 予想外の言葉に私の頬に自然と温かいものが流れた。


「おいおい、オーバーだな、ローブくらいで泣かんでも……」


 ジンにそう言われて涙が出ていたことに気がつくと、慌ててそれを拭った。


「違うんです、ごめんなさい。この髪をほめてくれる人はあまりいないので、つい」

「確かに変わった色ですよね」


 受付嬢は顔を左右に傾けながら、じろじろと私の髪を見てそう言った。


「でも、ほんときれいだよな」


 そう言うジンは腕を組み、うんうんとうなずいていた。


「でも私はこの黒髪でよかったです」


 受付嬢のその一言に、私は持ち上げられて一気に谷底に突き落とされた衝撃を受け、ふらっとして今にも泣き出しそうな気分になった。


「おいおい、姉ちゃんの脳みそはここに詰まってるんじゃないの?」


 大きなため息をついたジンがそう言いながら、人差し指でカウンターをコンコンと叩くその先には、鎮座する大きな二つの物体があった。


「もう、そんなことはありませんよ」


 否定するように手を振る受付嬢に一瞥もくれず、振り返ったジンは、無数の紙が貼られている板へ向かうと、立ち尽くす私を手招きした。


 それを見て、私はローブを羽織ると、フードをすっぽりと被り、とぼとぼと歩いてジンの傍らに歩み寄った。


 ぽんと頭に手を置かれたその手から、温もりと優しさが伝わってきた気がした。


「まずは依頼の受け方から教えるぞ。この掲示板にあるやつから、好きなものを選んで……」


 ジンはピン留めされた一枚の紙を剥がすと、言葉を続けた。


「この依頼書を持って、受付の姉ちゃんに処理してもらう」


 そう言い、ジンがカウンターへ向かうと、受付嬢の驚いた声が聞こえてきた。


「これ、五級相当ですが、ジンさんがお受けになるのですか?」

「いや、あの嬢ちゃんの……」


 どうも受付嬢は底抜けの天然らしい。

 ジンの身体を避けるように顔を出した受付嬢と目が合うと、私は軽く会釈をした。


「すぐに手続きをいたしますので、少々お待ちくださいね」


 受付嬢のその言葉を聞き、待っている間、私は掲示板の前に立ち、貼ってある依頼を眺めていた。


 強い魔族の生息場所についての情報提供の報酬として、世界の治安向上が掲げられているこの依頼がとても気になり、思わず見入ってしまった。


「おっし、じゃあ、行くか!」


 その声で処理が完了したことに気づいた私は、屋外へ向かうジンの後を追った。


「お怪我のないように。行ってらっしゃい」


 受付嬢に手を振りながら見送られ、私たちは建物を後にした。



 冒険者組合が用意した馬車に乗り込むと、走り出した車内でジンは今回の依頼の説明を始めた。


「今回は植物型の魔物の討伐だ。難易度は低く、これから言うことをちゃんと守れば危険は少ない。一つ目は、死ぬときの絶叫を至近距離で聞くと意識を失うので、離れて攻撃する。二つ目は、その悲鳴を聞きつけて他の植物型の魔物の蔓が寄ってくるので、いなくなるまで花を回収しない。以上だ。」


 私は真剣にジンの話を聞くと、その内容を心に留めた。


「ところで嬢ちゃんはどうやって魔物を倒すんだ?」

「魔法です。私、結構自信ありますよ」


 笑顔で応えると気のない返事が返ってきた。


「はふーん」


 その後、世間話をしているうちに、いつの間にか目的地に到着したらしく、馬車を降りると、そこは巨大な外壁に設けられた門の前であった。


「うわーっ、すごーい」


 私は歓喜の声を上げて駆け出すと、辺りをきょろきょろ見回した。

 本で読んだ王都を守る歴史的な建造物が、私の目の前にあった。


「んんん」


 咳払いが聞こえ、頭を掻くジンを見て我に返った私は謝罪し、門へ足を進めた。


 その途中、すれ違う王国騎士団員たちに、ジンが声をかけると、皆立ち止まり敬礼した。


 それを見て、私は改めてジンの凄さを実感した。


 門番に冒険者証を提示し、門をくぐると、目の前には広大な草原が広がり、奥の森へと続く一本の道が続いていた。


「さぁ、気合い入れろよ。ここから先はどこで魔物と遭遇するかわからんからな」


 その言葉に、私は胸を高鳴らせた。

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