私、冒険者はじめました。

カドイチマコト

第1話、登録


「ふぅ、やっと着いた」


 屋敷から馬車を乗り継ぎ、およそ二時間、燦々と照りつける太陽の下、本を片手に馬車を降りた私、アカリは石造りの頑丈な建物を見上げながらつぶやいた。

 王都東部の開拓特区と呼ばれる地域の中心に位置するこの建物には、その存在を誇示するかのように大きな文字で「冒険者組合」と刻まれた館銘板が掲げられていた。

 今日、私がここまで来た理由は、冒険者登録をして活動するためである。


「よし」


 期待に胸を膨らませ、手に持っていた本を脇に挟むと、大きく深呼吸して、分厚い鉄製の扉を力いっぱい両手で押した。しかし、私の来訪を拒むかのように、それはびくともしなかった。

 力尽きて息切れしながらへなへなとへたり込み、恨めしげに扉を見上げる私に、背後から笑い混じりの声が聞こえた。


「おめぇ、何やってんだ?」


 振り返ると、一見短髪だが後ろ髪を肩先に流し、シャツの上にベストを羽織ったラフな格好の男性が立っていた。


「それ押すんじゃなくて、引くんだよ」


 男性はポケットから手を出し、私が押していた反対側の取っ手を掴んで引っ張ると、ドアはギギギギギッと重い音を立てながら、ゆっくり開いた。


「ありゃ? こっちの扉、油を差さねえといかんな」


 あぜんとしていたが、私はすぐに滑稽な姿を見られていたことに気づき、顔が熱くなった。


「ん? 入るんじゃないのか?」


 開いた扉の向こうは騒然としており、足を踏み入れるのを躊躇した私は、立ち上がりながら膝についた砂を払うと、男性に言った。


「お、お先にどうぞ」

「ん? 変な嬢ちゃんだな」


 男性が中に入るのを見送り、私はそっと屋内の様子をを窺った。


「うわ、臭い……」


 悲しいことに、そこはたばことアルコールの匂いが充満し、むせ返るような空間であった。

 全体的に薄暗い中、突き当たりのひときわ明るい場所にカウンターがあり、そこにいる女性を見つけた私は、匂いを我慢し、意を決して足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いしまーす」


 私がカウンターの前に立つと、女性は歩み寄り、軽くほほえんでお辞儀をした。

 小柄でぱっちりとした大きな瞳に、艶のある黒い髪をツインテールでまとめ、制服を着たその姿は、同性から見てもとても美しかった。

 そして胸に「受付」と書かれているネームプレートが、その面積に比例せず申し訳なさそうについていた。


「あの、冒険者登録をしたいのですが……」

「何かご身分を証明できるものはお持ちでしょうか?」


 そう言われて、私は王立図書館の入館証をそっと差し出した。

 キラキラ光り輝く金色のそれは貴族の身分を証明するものであった。

 受け取った受付嬢はそれをじっと見て、頬に人差し指を当てながら首をかしげると私を見つめた。


「うーん、少々お待ちください」


 そう言い残し、入館証を片手に小走りで奥の部屋へ向かうと、ドアをノックして入っていった。

 カウンターに一人取り残された私は、とても不安になった。

 ほんの数分がとても長く感じられ、小さな音にも敏感になり、きょろきょろと見回して次第に挙動不審になっていく。


 緊張で心臓がどきどきし始めた頃、奥の部屋のドアが半分開き、そこからひょっこり顔を出した受付嬢が私に手招きした。

 急いで部屋に入ると、先ほど扉を開けてくれた男性が書類とにらめっこしていた。

集中しているのか、私に気が付かないようである。


「どうぞ、こちらへ」


 受付嬢の後ろをついていくと、通されたのはさらに奥にある組合長室であった。

机の両隣にはソファがあり、座っていた男性が私を見て、反対側の席を手で示した。


「どうぞ、お掛けください」


 私は手に持っていた本を脇に挟むと、両手で添わせるようにスカートを押さえながらそこに腰を下ろした。

 白髪にひげを蓄え、丸眼鏡をかけ、黒いスーツをびしっと着こなすその姿は、いかにも偉い人に見えた。


「初めに質問ですが、あなたは冒険者の仕事がどのようなものか、理解しておりますか?」

「はい、この本を読んで理解しているつもりです」


 私がテーブルに愛読書の『わが国の成り立ち』を置くと、男性は腕を組み、ソファにもたれかかりながらまぶたを閉じ、小さくうなった。

 数秒して目を見開くと、手であごひげを撫でながら、こう私に問いかけた。


「あなたのお父上、シドウ様はこのことをご存じなのですか?」

「いえ、父は存じておりません」


 嘘をついても仕方がないので、ここは正直に答えたが、この回りくどい言い方の結末を予想して、私は少しイライラしてきた。


「では、登録は見送られた方が……」


 その言葉にぷつりと何かが切れた私は、テーブルにバンと両手をつくと、勢いよく身を乗り出した。


「かの七英雄も魔物を討伐しておりました。領主の娘ということで登録を拒絶なさるのは、いかがなものかと思われますが?」


 理不尽ではあるが、身分や容姿で区別されることは身をもって理解している。

 だからここは引かない、引けない、引くつもりもない。


 目を見据えて毅然とした態度で主張すると、男性は私に両手を向けて押すしぐさになりながらソファに身を引いた。

 そこに何の前触れもなくドアがゆっくり開くと、小柄で白髪の玉ねぎヘアの女性がじょうろを片手に静かに入室してきた。


「おやおや、何か問題でも起こりましたか?」


 女性はそれを部屋の隅に置くと、目をぱちぱちさせ、頬に人差し指を当てながら首をかしげた。


「クミ様、実は……」


 男性は逃げるように立ち上がると、テーブルに置いてあった私の入館証を手に取り、クミと部屋の隅へ向かった。

 小声でひそひそ何やら話している様子を見て、私はソファに座り直し、二人のやり取りを待つことにした。


「まぁ、素晴らしい。上級貴族の女性が進んで魔物討伐をなさるとは、この国の鑑ですわ!」


 大きな声でそう言いながら軽く手を叩いたクミを否定するかのように、男性は言葉を投げかけた。


「しかし、万が一何か起きた場合、責任問題になりますぞ!」

「それはその時でしょう」

「その時では遅いのです」

「では、この方の登録を拒絶できる正当な理由がおありなのですか?」

「それは……」


 言葉に詰まった男性にクミの鋭い指摘が突き刺さる。


「理由なく拒絶する方が問題になるのではないでしょうか?」

「しかしですね……」


 そう言いながらこちらを向いた男性は、私と目が合うと顔を逸らした。


「まだ子供ですし、保護者の承諾が必要になるかと……」


 どこを見て言ったのか、あの反応から予想できた私は、大きく落胆したが、先ほどのやり取りを思い出し、沸々と怒りが込み上げてきた。


「ですから、どのような根拠があって、あなたはそうおっしゃるのですか?」


 クミが発したその強めの言葉に、男性が黙り込むと、シーンとした室内に時計の秒針の音だけが聞こえた。

 その沈黙を破るように、クミがこう提案した。


「しかし、あなたが心配する理由も理解はできます。しばらく同伴者をつけて適性を見ましょう。それで判断して問題がある場合は、組合長の私の権限で登録を取り消します。これでいかがでしょうか?」


 今の言葉でうなずく男性を見て、私はふと疑問に思った。


「クミさん、少しお尋ねしたいことがございますが、よろしいでしょうか?」

「何でしょうか? アカリさん」

「この男性はどなた様でしょうか?」

「ここで事務員と警備員を兼ねておられるシゲさんです」


 クミに紹介されたシゲはこちらを向いて軽く礼をした。

 まさか事務員に私の人生を左右されかけるとは夢にも思わなかった。


「よろしいでしょうか? ではアカリさん、明日は何かご予定はございますか?」

「はい、大丈夫です。特に予定はありません」

「それでは、準備しておきますので、昼前までにこちらへお越しください」

「わかりました。ありがとうございました」


 軽く礼をして組合長室を出ると、扉を開けてくれたあの男性は、すでにこの部屋にはいなかった。

 そして次のドアを開けた私は、音と匂いが不快なこの空間から逃げるように、急ぎ足で出口を目指した。


 その途中でカウンターにいる女性と目が合い軽くお辞儀をすると、応対中にも関わらず笑顔で小さく手を振り返してくれた。

 そして、屋敷へ戻るために私の前に立ちはだかる最後の難関が待ち受けていた。

 入るときは引くところを押して失敗した。


「出るときは押す」


 扉の前でそう言いながら気合を入れて押すと、音もなく拍子抜けするほどあっけなく開いた。

 ふと見ると蝶番には油をさした跡が残っていた。


 私は屋外へ出ると大きく深呼吸し、空を見上げた。

 太陽の日差しは眩しく、まるで新しい門出を照らすようであった。

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