第4話―――相川佑介

「こりゃ荒れるな」


 佑介は、大きいスクリーンに映し出された葦毛の馬を見ながら呟いた。


「何だって?」


 隣に立っていた六十代くらいの男が、何か言いたげにこちらを向いた。


「いや……独り言」


 佑介は前に向き直り、思わず出た言葉をしまい込んだ。だが、男は逃さないように佑介に食ってかかってきた。


「荒れるって? 本気で言ってんのか? お兄さん。競馬場来るの初めて? ……そんな恰好で?」


 ネクタイを外し上下黒のスーツを着た佑介を男は鼻につくような表情で眺めながら言った。負けが込んでいたのか、少し苛立っている様子だ。そのストレス発散のいい的にしようと彼に粘着しているのは明らかだった。

 佑介はあっさり言い返した。


「毎週」


「毎週だって? だったら誰がどう見たって堅いだろ、このレースは。本命は絶対に飛ばねぇって」


 事実、そうだった。

 一番人気は、②番キャビンフットネス。ダートGⅠ二連勝中の四歳葦毛の牝馬だ。単勝オッズは一・二倍。そのキャビンフットネスを相手に過去二戦とも二着だった五歳、牡馬黒毛の⑨番パーフェクトリゲインが離れた二番人気。その他は、さらに大きく差が開いた格下というランク付けだった。


「じゃあ、何が本命なんだ?」


 男は、からかいの意図を丸出しにして問いかけた。佑介は少し考える素振りをすると、口を開いた。


「……うーん。⑥番のメトロサンドウイッチと……③番プロノヨウセイかな。この二頭が軸だ」


 男は思わず手に持っていた競馬新聞を見返した。すると、我慢できないといった素振りを意図して見せるように笑った。


「⑥番! プ……! 十六番人気の馬じゃねぇか! 正気か? マイル戦初めてだぞ、この馬」


 男は得意気に新聞を指で叩きながら、講釈を垂れ続けた。


「しかも、毎回出遅れてんじゃねぇか。あと……③番って……! はは! 十八番人気! お疲れさん!」


 男は、からかいながら佑介の肩を少し強めの力で数回叩いた。佑介は、悪意むき出しの男を尻目に言った。


「俺の勘は当たるんだよ」


 すると、男はさらに揚げ足をとるように、露骨に声を大きくして笑った。


「話になんねぇな!」


 レースが始まり、二人は巨大なスクリーンに向き直った。スタート直後、一番人気のキャビンフットネスが大きく出遅れ、後方からになった。


「……! おい、マジかよ!」


 男が思わず声を上げた。二番人気⑨番パーフェクトリゲインは四、五番手の好位の一角につけた。佑介本命の一頭、⑥番メトロサンドウイッチが珍しくスタートを決め、ハナを奪った。場内がざわつき、男が焦った表情で佑介の方を見ると、彼はちらっと見返してニヤついた。

 しかし、四コーナー直線に入り、逃げていたメトロサンドウイッチは直線半ばで勢いを失い始めた。


「ほらな。そんなに甘くないんだよ」


 男が安堵したように佑介の顔を見た。彼は変わらぬ表情で、スクリーンを見つめたままだ。吐息をつきながら画面に向き直ると、男の表情が再び強張った。

 馬場の内を突いて、六番手につけていた佑介推しのもう一頭、③番プロノヨウセイが伸びてきた。佑介は画面に目を遣ったまま、ほくそ笑んだ。ようやく馬場の三分どころから二番人気パーフェクトリゲインが抜け出そうとした。しかし砂の重馬場が影響したのか。思った以上に前が失速せず、先を走っていた⑥番メトロサンドウイッチと、③番プロノヨウセイの一騎打ちになった。 


『全く並んでゴ――ルイン!』


 場内にアナウンスが響きわたった。三着には最後までなんとか踏ん張った二番人気の⑨番パーフェクトリゲインが入った。圧倒的一番人気だったキャビンフットネスは出遅れて外に回し、さらに重馬場が影響したせいか、振るわず七着だった。

 

「嘘だろ、おい……」


 スクリーンにゴール前の瞬間がスローモーションで再生され、場内がどよめいた。

 アナウンスが流れた。

 

『わずかに、③番プロノヨウセイの鼻が出ているようにも見えます。お手持ちの馬券は確定までお捨てならないようご注意ください』


「な。俺の勘は当たるんだよ」


 にやけながら佑介は男の肩をゆっくり二回叩いた後、向こうの方へと歩き出した。


「ば……万馬券じゃねぇか……お……おい! 本当に買ったの? まさか、三連単とか? ちょ……おい!」


 男は歩き去っていく佑介の背中に向かって驚きの表情で、声を上げた。


「……買うと当たらねえんだよな……」


 佑介はボソッと呟きながら渋い表情で出口へと向かった。付近にあったテレビスクリーンが目に入った。さっきのレースの配当が映し出されていた。 


『3連単 ③-⑥-⑨ 8200000円』 


 佑介は、つい見てしまったことを後悔し、泣きそうな表情になりながら競馬場のゲートをくぐった。モヤモヤした気持ちをどこにブツけていいかわからず、傍にあった自動販売機の前で立ち止まった。


(……とりあえず、気持ちを落ち着かせないと)


 そう思いコーヒーを買おうとして、財布の中を見た。十円玉一枚と一円玉が……三枚。

 突然、佑介は耐え切れないようにしゃがみ込み、項垂(うなだ)れて顔を覆った。


「……う――! なんで買えないかな!」


 深く溜息をついた後無気力に頭を上げた。

 ふと、目についたものがあった。自販機の釣り銭口に、百円硬貨が入っていた。

 佑介は周りを見回した後、さりげなく釣り銭レバーをいじるフリをし、それを手に取ってポケットの中に押し込んだ。ふと横を見ると、カップルが奇異な目つきでこちらを見ながら通り過ぎて行く。佑介はごまかすようにキョロキョロとした後、再び大きな溜息とともに俯き、重々しく前に足を踏み出した。数分歩き、路肩に止めてあった車のドアを開けて運転席に座った。 


「おい! 起きろ、高倉!」


 寝ていた後輩の肩に、競馬新聞をぶつけるように当てて手を離した。


「……あぁ……機嫌悪いですね……外れたんですか……」


 助手席でシートを倒していた女性が眠そうに呟いた。短髪で二十代くらいに見える。肩に置かれた新聞を両手で取り、起き上がるかと思いきや、また身を沈めた。佑介はボソッと、


「当たったよ。三連単、八百二十万円」


 全く感情を込めずに呟いた。


「あ、そうですか。よかったですね……八百二十…………万!」

 

 突然跳ね上がるように、彼女は身を起こした。すると、佑介は窓の外を見ながら他人事のように言った。


「買ってねぇけどな」


「あ……あぁ……そりゃショックですね……」


 高倉は再びシートに身を沈めた。その横で佑介はようやく感情を露わにした。


「全く……! なんで買うと当たらなくて、買わないで予想すると当たるんだよ!」


両手で頭をおさえ、髪を毟る。


「いや……だから……なんで買わないで予想するんですか……」


 高倉が頭だけを起こしだるそうに呟いた。


「刑事には勘が必要だろが! それを磨かないと!」


 実のところを言うと、賭ける金がなく、帰り間際に遊び半分で言い当てたに過ぎなかった。それが見事に的中してしまったのだ。高倉は佑介の苦しい弁解を一蹴した。


「それなら別に競馬じゃなくても……私なら絶対耐えられませんよ。八百二十万って…… 一体ボーナス何回分ですか……」


 咄嗟に数えようとしたが、佑介はすぐに諦め、また頭を抑えた。


「ああ――! 立ち直れそうにない! ちくしょ――! ……!」


 すると突然、何か気づいたように顔を上げゆっくりと彼女の方を向いた。


「……高倉」


「な……なんですか……?」


迫ってくるような彼の表情に、彼女は思わず仰け反るような仕草を見せた。


「頼む。三百円貸して」


「……はぁ?」


 思わず間の抜けたような声を上げる。


「さっき自販機で拾った百円と合わせたら四百円だ。これで、三連複四頭ボックスで当てられる」


「もう……! 信じらんない! 前に貸した五十円まだ返してもらってないんですけど! 自分で買ってくださいよ!」


「別れた嫁への慰謝料まだ払い続けてるから財布に十三円しかねぇんだって!」


「知りませんって! そんなの!」


すると、突然、無線に連絡が入った。


『――私立烏元学園で事件発生。被害者は当高の女生徒。直ちに現場に急行せよ』


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