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須木田衆

第1話―――真夜中の物音

「バリバリバリバリ――」


 深夜三時。割れるような雷の音で、転寝していたあかねは思わず机から飛び上がった。

 窓から明滅するフラッシュで顔を照らされ茫然とする。

 ふと我に返り、机上のパソコンに目をやった。

 ある記事が、画面に映し出されたままの状態だった。

 部活で今、追っている課題だ。あかねは目を瞬かせると、あらためて椅子に座り直った。 

 昔の新聞記事だ。そこには、こう書かれてあった。


『中高校生連続失踪事件。半年で十七人か』 


 記事の日付を見ると、「一九八三年 六月十二日」』となっていた。

 あかねは傍にあった飲みかけのブラック缶コーヒーに口をつけると、またキーボードを叩き始めた。検索すると、ある画像が出てきた。 

 森の中だろうか。木の根元が掘り返され、そこから黒い何かが飛び出ていた。画面をクローズアップする。丸いボタンのようなものが連なっているのが見えた。よく見ると、土にまみれた黒い学生服だった。

 あかねは、手を止めた。表情を変えず、画面をマジマジとただ眺めている。突然、何かに気づいたように目を細めた。顔を近づけて再びマウスを動かし、カーソルを画面上に滑らせる。ある木の幹部分の上で、それを止めた。影で暗くてわかりづらかったが、よく見ると、ところどころが白くなっている。あかねはそこをクローズアップした。思わず目を見開いた。次の瞬間だった。 


「ガタゴトッ」


 背後から物音が聞こえて、振り返った。 


(まただ)


 あかねは、思わず立ち上がった。

 最近、気づいた。

 この時間ぐらいになると下の階で物音が鳴り響く。

 最初は、母かと思っていたが、向かい部屋で眠っている彼女の豪快なイビキを聞いて、そうではないとすぐに気づいた。この家には私と母しかいない。夜中は、一階に誰もいないはずだ。

 あかねは唾を呑み込んで、恐る恐る部屋の入口まで近づいて行った。 

 ドアに耳を寄せた。

 母のイビキに紛れるように、確かに音は続いている。あかねは息を殺し、部屋中に目を泳がせた。

 隅に置いてある掃除機が目に入った。咄嗟にそのノズルを外して、灰色の棒だけを手にとった。息を再び殺すと、彼女はドアをゆっくりと開けた。軋む音が聞こえてあかねは思わず開く速度を緩めた。廊下の電気はつけたままだった。母のイビキ声が、はっきりと聞こえてきた。耳を澄ます。すぐ左傍にある階段下から


「コン、コン、コン」


 という音が聞こえて来た。

 あかねは最小限に開いたドアの隙間から、音を立てないように身を乗り出した。 

 その時だった。

 手を滑らせて、左手に持っていた棒を離してしまった。

 それは軽やかな音を立てて、階段を転がり落ちていった。一階床に落ちると、飛び跳ねる様に視界から消えていった。

 すると、突然、

 あかねは、そこに立ち尽くしていた。

 音は止まったままだ。

 息を殺し、状況を見守る。

 何も起こらない。

 思わず安堵の溜息をついた、その時だった。

 

 あかねは口を開けたまま息を呑んだ。その場から動けず、必死に呼吸の音を殺そうとする。見えない何かとの睨み合いが、しばらく続いた。

  

「コン、コン、コン」


 音がまた始まった。

 すると何を思ったか。

 あかねは思いを振り切るように、足を前に一歩踏み出した。

 軋み音を立てないようにそっと一段ずつ両足を置きながら、ゆっくりと下りて行く―― 

 相変わらず、母のイビキが上から聞こえてくる。残り七段くらいになり、床に落ちている棒がさっきよりはっきりと見えてきた。あかねが足を早めようとした瞬間だった。 

 心臓が止まりそうになった。

 暗がりの中から

 再び、灰色のそれは、視界から消えた。あまりの一瞬の出来事に、あかねはその場で立ち尽くしてしまった。

 

 今のは、確かに、だ。


 恐ろしさのあまり逃げることさえも忘れてしまった。

 気づけば、顔だけでなく全身に汗をかいていて下着だけでなく灰色のスウェットトレーナーにもベトつきを感じる。

 混乱しているのか? 

 開き直りというには、あまりにお粗末だった。

 半ばヤケクソにも近い心理状態で、彼女は勢いをつけて駆け下った。 

 床に到達した途端両腕を上げて身構えた。

 薄暗い廊下が見えた。床に何かが落ちていた。 

 だった。

 弄ばれているような感覚になり、彼女はそれを慌てるように拾い上げた。再び視線を前にやった。


「……!」


 真っ暗な視界の中、スーッと右へ隠れていったのがわかった。

 あかねは、動きを止めた。

 そっちは、応接間だ。普段は客室用として使っていない。あかねは棒を握り直し、開いたままの引き戸へと近づいて行った。耳を澄ますと、物音がはっきりと聞こえてくる。


「コン、コン、コン」


 手前で立ち止まり、そこから部屋の中へと顔を覗かせた。 

 六畳ほどの畳部屋。

 窓から差し込む仄かな月明かりで薄暗く照らされている。

 中央に座敷用の木製机が置かれてある。

 誰もいない。

 警戒を強めながら、あかねは部屋に足を踏み入れた。

 奥には床の間があり、長い掛け軸が垂れ下がっている。それが何故か左右に揺れていてコン、コン、コンという音を鳴らし続けていた。

  

(風?)


 咄嗟に、窓の方を向いた。

 少しだけ開いているのが見えた。恐る恐るそちらに足を歩ませる。そーっと、窓の外を向こうとしたその時だった。


「何してるの?」


 その声で心臓が飛び出しそうになり、彼女は振り返った。見ると引き戸の傍で、母親が撥ねた髪を掻きながら眠そうに立っていた。


「……こんな時間に、一体?」


 思わず、あかねは彼女の元へ寄っていき声を上げた。


「誰かいる!」


 そう言って母親を守るように前に立ちはだかり、棒を構え直した。


「ええ……?」 


 母は少しだけ驚いたように娘の頭を見ると部屋の中を見返した。あかねが窓の方に指を差そうとした、その瞬間だった。 

 バリバリバリっと、空間が割れるような凄まじい轟音が、雷光とともに鳴り響き、二人は思わずその場に屈み込んだ。


「ヒッ……!」 


 母に抱えられながら、フラッシュが明滅する窓の方を向いた。

 が、窓際に立っていた。

 サブミナル効果のように、雷の光とその姿が交互に入れ替わる。繰り返すうちに、その全容が明らかになっていった――

 白い服を着た……髪の長い人物。


(……女性?)

 

「大丈夫? ……あかね?」


 母の呼びかけで、彼女は我に返った。

 部屋を見渡すと、誰も立っていない。

 元の静かな光景に戻っていた。母は言った。


「……もう、鳴り止んだみたい」


 あかねは狐につつまれたように、ただ目を瞬かせるだけだった。

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