勇者はすべてを論破する
福本サーモン
第1話 勇者アルガス
かつて、この世界には「勇者」と呼ばれる者がいた。その名はアルガス。剣も魔法も平凡な彼が頼りにするのは、ただ一つ――「言葉の刃」。剣や魔法ではなく、論理と知恵で数々の難題を解決した異色の英雄である。
ある日、勇者として選ばれたばかりのアルガスに重大な使命が与えられる。それは――魔王討伐。
***
荘厳な玉座の間には、静かな緊張が漂っていた。
重厚な柱が並ぶ広間には冷たい空気が満ち、王が玉座から威厳ある声を響かせる。
「勇者アルガスよ! そなたに命ずる。魔王を討ち倒してまいれ!」
広間の中央で跪くアルガス。彼は一瞬の沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。その黒髪は滑らかに光を反射し、紫紺の瞳には冷静な光が宿っていた。そして、その声には理知的な響きがあった。
「陛下。そのご命令、少々お待ちいただけますか」
王の側近たちは驚きの表情で顔を見合わせ、ざわめき始める。王も眉をひそめ、玉座の肘掛けを握りしめながら低く問いかけた。
「どういうことだ?」
アルガスは静かに息を吐き、ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がった。
「失礼を承知で申し上げますが、『魔王を倒せ』という命令は、いささか短絡的で慎重さを欠いているように思います」
その言葉に王は目を見開き、広間の空気が凍りついた。
「短絡的だと? 各地の街が魔物に襲われているのだぞ! これが魔王のせいでなくて何だ!」
王はアルガスを指差し、言葉を続ける。
「そなたは神託によって選ばれた勇者だ。魔王を倒すのが道理であろう!」
王の語気は鋭かったが、アルガスの声は冷静だった。
「確かに、私は神託によって選ばれました。そして、それを誇りに思っています」
一呼吸置き、彼は静かに続けた。
「ですが、神託が告げる『勇者』とは何を指すのでしょうか?」
「何を指すも何も……勇者とは、民を脅かす魔王を討ち倒す者であろう」
王の声には苛立ちが滲んでいた。だが、アルガスはゆっくりと首を横に振る。その表情には揺るぎない信念が宿っている。
「それは一つの解釈にすぎません。神託が私に示した言葉は――『あまねく民に光をもたらせ』。魔王を討つことは手段であり、民に安寧をもたらすことこそが真の目的ではないでしょうか?」
王は険しい表情のまま黙り込む。広間には張り詰めた空気が漂っていた。
「……ならば、そなたの考えでは、どうやって『安寧』をもたらすのだ?」
アルガスは一呼吸置き、静かだが力強い口調で答える。
「まずは情報収集と状況の精査が必要です。魔物の被害が本当に魔王によるものか確認し、可能であれば対話を試みるべきです」
「情報収集に、対話だと?」
「状況を誤解したまま行動すれば、真の問題を見逃す恐れがあります。それどころか、さらなる混乱を招くかもしれません」
「話し合いが通じなかったらどうするつもりだ?」
「その時は――剣を抜きます。そして、必要とあらば命を賭ける覚悟もできています」
毅然としたアルガスの言葉に、王はしばし考え込んだ後、静かに頷いた。
「分かった。勇者アルガスよ、そなたに全てを任せよう。魔王の居城へ赴き、交渉を試みるがよい。もし交渉が不可能であれば、そなたの判断に委ねる」
「ご英断に感謝します、陛下」
アルガスは深く一礼した。
しかし、すぐに言葉を付け加える。
「ところで、この旅には多大な資金が必要です。武具の補充、情報収集、現地での活動費用……もちろん、全額を国庫からご支援いただけますね?」
その言葉に、広間が再びどよめく。王は眉間に皺を寄せ、重々しい声で返した。
「資金とは、具体的にどれほど必要なのだ?」
アルガスは一拍置き、毅然とした声で告げる。
「ここ王都ルヴァリアから魔王城までの行程を考えますと――」
彼の説明は丁寧で具体的だった。必要経費を次々と挙げるたびに、王の表情は次第に険しくなっていく。
「……ざっと1000万ゴールドほどは必要かと」
「1000万ゴールドだと? それは法外すぎる! いくらなんでも国庫を圧迫しすぎるぞ!」
王は目を丸くし、玉座からずり落ちそうになった。アルガスは宥めるように手を差し出し、冷静に続ける。
「確かに大金です。しかし、この任務が成功すれば、被害を受けた農地や交易路が復興し、国の税収も増加します。それらを考えれば、十分に回収可能な投資ではないでしょうか?」
長い沈黙の後、王は軽く手招きし、側近を呼ぶ。いくつか言葉を交わして頷き合うと、側近は下がった。
そして、王は渋々と口を開いた。
「……500万ゴールドだ」
「勇者よ、500万ゴールドを支援しよう。それ以上は現実的ではない。残りはそなたが旅の中で工面せよ」
アルガスは小さく頷き、言葉を継ぐ。
「その条件を受け入れましょう。ただし、資金を工面するためには活動の自由が必要です。各地での通行許可証や税制の優遇措置をいただけますか?」
王は唸りながらも承諾する。
「よかろう。特別許可を出す。それで不足はあるまいな?」
「賢明なご判断に感謝いたします」
アルガスは深く一礼し、薄く微笑んだ。
こうして、勇者アルガスは旅立つこととなった。剣も魔法も頼りにならないアルガスの唯一の武器は、鋭い観察力と論理の力だけだ。
果たして勇者は魔王の前で何を語り、どのような答えを導き出すのか――。その結末は誰にも予測できない。ただ一つ確かなのは、彼の論理という刃が、これからの運命を大きく変えるということだ。
「言葉の刃」を振るう勇者の冒険が、静かに幕を開けた。
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