03.プロポーズは突然に

 中学時代の同級生とマッチングアプリで再会する確率は、一体どのぐらいなのだろうか。歩いていて隕石にぶつかるよりは、高い確率だと思うけれど。


「こんな形で大汐に会うとは思わなかった。すごい偶然だな」


 真帆の正面に腰を下ろした穂高は、平然とアイスコーヒーを飲んでいる。真帆は未だ、この状況に頭がついていかないというのに。

 そういえば昔から彼は、多少のことでは表情を変えない人だった。イガラシ製の高級アンドロイド、だなんて渾名がついたぐらいには。


 五十嵐穂高とは、中学三年生のときに同じクラスだった。穂高は容姿端麗で成績優秀、しかも大手家電メーカー「イガラシ」の御曹司とのこともあって、本来ならば真帆とは違う遠い世界の人間だった。

 友人というほど親しいわけではない。当然、恋人なんていう色っぽいものでもなかった。ただひょんなきっかけから、ぽつりぽつりとお互いのことを話すようになっただけだ。

 穂高にとってはそうでもないだろうが、真帆にとって彼と過ごす時間はなかなか居心地の良いものだった。それほど悪くない中学時代の思い出として、ふとしたときに回顧することもある。

 あれもこれもと訊きたいことはあったけれど、まずは一番気になるところから潰していこう。エスプレッソのカップを置いた真帆は、穂高に向かって尋ねた。


「五十嵐くん。結婚したいの?」

「したい」


 真顔のまま即答された。真帆は小さく首を傾げる。


「……五十嵐くんほどの人なら、マッチングアプリに登録しなくても、いくらでも結婚したいと思ってくれる女性がいると思うけど」


 今真帆の目の前にいる穂高は、記憶に違わず端正な顔立ちをしている。もちろん、ひねくれた幼さが残っていたあの頃よりも、より大人っぽくなり洗練されたけれど。見てるだけで視力が良くなりそう、と真帆は惚れ惚れする。

 穂高はコーヒーのグラスを持ち上げて、ストローに口をつけてからテーブルに戻す。それから、やけに深刻なトーンで言った。


「……事情があるんだ。どうしても、今すぐ結婚したい」

「事情って?」


 穂高は答えず、チラリと手元の腕時計に視線を落とした。それから真帆に向き直って言う。


「腹減ったな」

「え?」

「今からどっかでメシ食わないか? そこでゆっくり話そう」

「うん……構わないけど」

「よし」


 穂高は立ち上がると、さっさと店を出て行く。真帆は慌ててその背中を追いかけた。マイペースなところは、昔と変わっていないみたいだ。

 ぴたりと足を止めた穂高が、くるりとこちらを振り向く。街の灯かりに照らされた彼の姿は、はっと息を呑むほど美しかった。


「何か食べたい?」

「えーと、じゃあ……もんじゃ焼き」




 真帆と穂高は、駅ビルの中にあるもんじゃ焼きの店に入った。「もんじゃ焼き」とスマホで検索して、一番近くにある店を選んだのだ。口コミサイトの星の数はそこそこだったが、真帆はあまりネットの評価を当てにしないことにしている。

 週の真ん中の水曜日ということもあり、店内はそれほど混雑していなかった。奥のテーブル席に案内された二人は、向かい合って腰を下ろす。周囲はざわついており、ゆっくり話をする雰囲気ではなかったけれど、これはこれでいい。誰も真帆たちの話なんて聞いていないだろう。


「……よく考えると俺、もんじゃ焼き食べたことないな」


 メニューと睨めっこしながら、穂高がぽつりと呟く。真帆も「そういえば、私も」と返した。


「ふたつくらいは食えるかな。俺はもちチーズがいい」

「じゃあ私はシソ明太子」

「俺、あんまりシソ好きじゃない。悪いけど、他のにしてくれ」


 一人一種類ずつ食べるものかと思ったけれど、そうでもないようだ。たしかに半分ずつにした方がいろんな味が楽しめていいけれど、穂高は他人と食べ物をシェアするのに抵抗がないのだろうか。まあ彼が良いと言うのなら、別に構わないのだろう。少し悩んでから、じゃがバタコーンもんじゃを選ぶ。


「なにか飲むか? 明日も仕事?」

「うん。でも、一杯だけ飲もうかな」

「俺、生ビール」

「じゃあ私もそれで」


 運ばれてきたビールジョッキを手に取ると、穂高は乾杯もせず「いただきます」と言ってそれを口に運んだ。特に何に乾杯するわけでもないから、いいか。真帆も彼に倣って、ジョッキに口をつける。自由な彼の振る舞いを見ていると、真帆の気持ちはほっと楽になる。

 一気にジョッキの半量ほどを飲んだ彼は、唐突に「さっきの話なんだが」と切り出してきた。


「先に訊いてもいいか? 大汐は、何で結婚したいんだ?」

「……唐突に、家族が欲しくなって」

「家族?」

「二年前に、父が他界したの。それで、家族がいなくなっちゃったから」


 正直に理由を話すと、穂高は「そうか」と呟いた。

 真帆が父子家庭であることは、穂高もよく知っている。慰めの言葉を探すように視線を彷徨わせている穂高に向かって、真帆は言った。


「気にしないで。もう、二年も前のことだから」

「……ご愁傷様です……いや、こんなことしか言えなくてごめん」


 穂高はぐしゃりと髪を掻きむしると、痛ましそうに目を伏せる。アンドロイドだとかサイボーグだとか言われていた彼だけど、意外と人間らしい感情も持ち合わせているのだ。

 そのとき、テーブルにもんじゃ焼きの具材が運ばれてきた。どうやら、セルフでこちらが焼かなければならないらしい。具材の入ったボウルを手に、真帆は途方に暮れる。


「……初心者にはハードルが高かったね」

「いや待て、ちゃんと説明書きがある。まずは具材を焼くらしいぞ」


 真帆は熱々の鉄板の上に、ボウルの中身をぶち撒けた。穂高が慌てたように「おい!」と叫ぶ。


「出汁は後で入れるんだよ! べっちゃべちゃになってるだろ!」

「えっ、そうなの? 先に言ってよ」

「大汐、さては家電買ったときに説明書とか読まずにとりあえず使い始めるタイプだろ」


 穂高は呆れたように言った。「ここからどう取り返すか……」と苦悩している彼をよそに、真帆はとりあえずそれらしい形を作ってもんじゃを焼き始めた。じゅうじゅうと音を立てて、香ばしい匂いが漂ってくる。


「ドーナツ型の土手を作れって書いてあるけど……鉄板の上で大氾濫が起こってるぞ」

「ごめん、そっちに流れていかないようにガードしてくれるかな」


 二人で協力しつつ、なんとかもんじゃ焼きを二枚完成させた。腕組みをして鉄板を睨みつけた穂高は、怪訝そうに眉を寄せている。


「本当にこれでいいのか?」

「まあ、とりあえず食べてみようよ。いただきます」

「……いただきます」


 小さなヘラでもんじゃを掬って、口に運ぶ。火傷しそうなほどに熱かったけれど、出汁の味が具材に絡んで美味しかった。


「ホンモノを食べたことないから、正解がわからん」

「正解じゃなくても、美味しかったらいいよ。ね、美味しいね」


 真帆の言葉に、穂高はちょっと驚いたように瞬きをした。それからもんじゃを頬張って、咀嚼して飲み込んだあと、ふっと柔らかな笑みを溢す。


「……うん。たしかに、美味しい」


 ほんの一瞬だけ穂高が見せた笑顔は、破壊力抜群だった。こんな顔でプロポーズしたら、どんな女性でも喜んで結婚を受け入れるだろうに。


「五十嵐くん。どうしてそんなに早く結婚したいの?」


 真帆の問いに、穂高はビールを一口飲んだ。ふうっと短い息を吐いてから、続ける。


「俺が親父と仲良くないの、知ってるだろ」

「……うん、そうだったね」


 中学時代の穂高は父との折り合いが悪く、嫌いだ、とはっきり口にしていた。肉親に対してこんなにも憎しみを露わにする人がいるのかと、当時の真帆は驚いたものだ。


「今でも、そうなの?」

「うん」


 穂高は頷くと、ジョッキを勢いよく傾けた。あっというまに空になったそれをテーブルに置き、店員を呼び止めておかわりを注文する。


「実は、親父に……見合いしろって言われてるんだ」

「えっ」

「取引先の大手家電量販店の娘だってさ。意味わかんねえよな。たぶん俺のこと、都合の良い道具かなんかとしか思ってないんだよ」


 穂高は吐き捨てるように言って、ジョッキを持ち上げた。すぐにそれが空であることに気がついて、そのままテーブルに戻す。

 真帆は穂高の話を、まるで小説やドラマの中の出来事かのように聞いていた。今どき、そんなご家庭があるのか。いわゆる政略結婚というやつだろうか。


「だから俺、意地でも他の人と結婚してやろうと思って」


 忌々しそうに話す穂高の顔を見ながら、真帆は昔の彼のことを思い出していた。父親の話をするときの穂高はちょっとひねくれた子どもの顔になって、中学時代の面影が浮かんでくる。


(やっぱり五十嵐くん、変わってないな)


 いつもクールな穂高は、父親のこととなると冷静さを失って、周りが見えなくなる。彼の父親への反抗のためだけに結婚させられる女性は、たまったものではないだろう。


「そんな理由で、すぐに結婚してくれる人いないと思うよ」

「……やっぱり、そうかな」


 真帆の言葉に、穂高はがっくりと肩を落とす。真帆はすっかりぬるくなったビールを飲みながら、彼が望まぬ結婚をさせられるのは嫌だな、と考えていた。


「五十嵐くんは、どんな人と結婚したい?」

「……どうだろう。よく、わからないな。大汐は?」

「そうだな……一緒に食べるごはんが、美味しい人がいいかな」


 かつて父と囲んだ食卓を思い出しながら、真帆は答える。幼い真帆の作った拙い手料理を、美味しい美味しいと喜んで食べてくれた人。またあんな人に出逢えたら、どんなに幸せだろう。


「……それはちょっと、わかる気がする」


 穂高はそう言って、もんじゃ焼きをぱくりと頬張った。

 彼と二人で食べた初めてのもんじゃ焼きは、正解ではないのかもしれないけれど、とても美味しかった。




 店を出た後、穂高と真帆は並んで駅へと歩いていった。もう二十二時半だというのに、繁華街の駅前はほどほどに混み合っている。昼間はぽかぽかと暖かかったのに、四月の夜風は冷たくやや肌寒い。

 地下鉄の改札の前で、「俺、こっちの路線だから」と穂高が足を止める。真帆は穂高に向かって、小さく手を振ってみせた。


「今日、楽しかった。ありがとう。会えてよかったよ」

「ああ。俺も楽しかった」


 穂高はそう言うと、定期入れをかざして改札を通過していく。その背中を見送りながら、もう二度と彼と会うことはないのだろうな、と真帆は考える。今日はとんでもない偶然が引き合わせてくれたけれど、所詮彼と自分は別の世界の人間なのだ。

 できることなら自分の知らないところで、幸せな結婚をしてくれないだろうか。今から一ヶ月のうちに、素敵な運命の人と劇的に出会って、熱愛の末に結婚する。なんて、無理かな。

 そんな妄想に耽っていると、穂高がぴたりと足を止めた。どうしたんだろうと思っていると、踵を返した彼が、猛スピードでこちらに引き返してくる。再び改札に定期入れをかざして、真帆の目の前に戻ってきた。


「どうしたの? 忘れ物?」

「ああ、忘れ物だ」


 穂高はそう言って、真帆の両手をがしりと掴んだ。鋭い眼光に射抜かれて、真帆はややたじろぐ。


「大汐」

「は、はい」

「頼む。俺と今すぐ、結婚してくれ」

「へ」


 唐突な申出に、脳が理解を拒む。ぽかんと口を開けた真帆を、穂高は真剣なまなざしで見つめている。しばらくして、ようやく思考がゆるやかに動き出した。


(――プロポーズって、もう少しロマンチックなシチュエーションでされるものかと思ってた)


 行き交う人たちが、改札前で手を取り合って見つめ合う男女を訝しげに眺めている。唖然として返答ができずにいる真帆に向かって、穂高はゆっくりと繰り返した。

 

「結婚してくれ、今すぐに」


 必死さえ滲むその声に、真帆はまるで催眠術にかけられたかのように、こくりと首を縦に振っていた。

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