悪役令嬢のまま追放された先で偽装結婚したら夢が叶いました〜背景元父上様、私と旦那様のハンター生活は順調です〜

嘉神かろ

悪役令嬢のまま追放された先で偽装結婚したら夢が叶いました(三人称版)

 王都中央の広場に民衆の怒声が満ちる。石畳の上に集まった人々はそのまなじりを決し、口々に罵声を発する。息子を返せだとか、お前のせいでだとか、アイネの耳に届く言葉はどれも恨みに満ちたもので、心はどんより曇ってしまう。空を見上げればどこまでも青く澄み渡っているというのに、分厚い雲がアイネの気分を暗く沈み込ませる。


 しかしそれも無理のないことだろう。一歩間違えれば、民達の矛先に彼女もいたのかもしれなかったのだから。


 アイネは処刑台の上に並ぶ元令嬢たちから視線を外さないままに、昨日の夜のことを思い出す。

 自室で就寝前のストレッチをしていた彼女は、急に伯爵たる父に呼び出された。この時点で彼女は、覚悟を決めた。

 

「アイネ、お前を我がハンティングルド家から追放することとした。処刑とならなかったことを感謝するのだな」


 アイネと同じ銀の瞳が無機質な光を彼女に向ける。

 

「……はい、お父様」

「父と呼ぶな。お前はもう、赤の他人で、ただの平民だ。罪人である平民を、この地に住まわせることを王は許されない。辺境の村までは馬車を出してやろう。後は好きに生きろ」


 伯爵家から除名され、王都から追放される。アイネの、アイネと呼ばれるようになった彼女の知る中ではまだマシな結末だった。


 彼女には、日本人だった前世の記憶があった。より正確に言えば、前世の死後の選択によって彼女はこの世界にアイネとして生を受けたのだ。

 前回彼女が死んだとき、彼女の前に神を名乗る存在が現れた。彼女自身と神以外には何も認識できない空間。それがライトノベルで異世界転生をするときによくある展開だというのは、彼女にはすぐに分かった。


 過ちは、この直後に犯された。

 神のどのような世界に生きたいか、という問いに対して、食い気味にこう答えてしまったのだ。『好きなゲームの世界でお願いします!』と。


 そして彼女は、思い浮かべていたのとは別のゲーム、悪役令嬢に転生した主人公を操作して処刑されない未来を目指すシミュレーションゲームの世界に転生した。


「これより刑を執行する!」


 兵士の声でアイネの意識が引き戻される。声の主はいつの間にか仮設された処刑台に上っており、罪状が書いてあるのだろう紙を広げていた。一時の感情と下らない欲望の為に重ねられた罪の数々だ。

 しかしそれらの愚行によって先の戦争は引き起こされ、多くの血が流れたのだから、彼女らに死刑が言い渡されたのは当然の帰結だろう。無論、彼女らの家も取り潰されており、その財産は講和のための賠償金に充てられた。


 罪人たちの中心となったのは、元々侯爵の位を持っていた家の令嬢だ。処刑台の中央で山姥の形相を浮かべている女で、彼女は件のゲームの操作キャラ、つまりは主人公にあたる人物だった。


(せめて彼女として生まれていたら、どうにでも出来たのに……)


 眼前の光景にアイネは重たい息を吐く。この世界の元になったゲームに用意されたバッドエンド、それが今の状況だ。

 もし仮に、アイネの努力むなしく最悪のエンディングを迎えていたなら、彼女もあの処刑台に並ぶ罪人の一人となっていただろう。


 アイネは、主人公の取り巻きという設定で用意された、お助けキャラの一人だった。


(けっこう頑張ったと思ったんだけどなぁ……)


 マイナー寄りのそのゲームを何周もやり込んで、全てのエンディングを見た彼女だったが、さすがにお助けキャラの動向までは把握していない。その上慣れない貴族社会だ。いくつかあるアイネ処刑ルートに入ってしまう可能性も十分にあった。


 今回だって、アイネは悪役令嬢のグループには所属していなかったのに、彼女を快く思わない者たちに嵌められて罪の一部を被せられてしまったのだ。むしろ、その状況でも追放だけで済んだのは、褒められて良いことだろう。


(あぁ、どうしてあの時、タイトルをはっきり言わなかったんだろう……)


 アイネは心の内でそう呟きながら、踵を返し、街の外で待っているはずの馬車を目指す。少し後に彼女の背後で上がった歓声は、異様なほどに興奮したものであった。



 馬車のガタゴトと鳴る中で何日を過ごしたのか、アイネにはもう分からなくなっていた。王都に近いうちは毎日宿に泊まっていたが、辺境に近づくほどに馬車で過ごす時間は延び、今では数日に一度の水浴びがやっとになっていた。

 

 彼女が日本人だった頃に比べて、いや、アイネとして暮らした日々と比べても劣悪な環境だ。艶やかに日の光を跳ね返していた銀の長髪は砂埃にくすみ、皮脂でぺたっと頭部に張り付いていた。彼女が軍閥貴族の嗜みとして剣術の訓練をしているときですら、ここまで不衛生な状態にはなったことは無かった。


 加えて、彼女を運ぶのは平民用のほろ馬車だ。貴族の乗る箱馬車と違って揺れを軽減させる機構なんて殆どついていない。同じ幌馬車でも軍用のものの方がまだマシだ。座面も固い。クッションを敷いていても、以前使っていた馬車には遠く及ばない快適さだった。


 それにも拘わらず、アイネの表情は明るい。誕生日に欲しかったものを貰った子供のような上機嫌さで、たまたま後ろを確認した馭者ぎよしやをぎょっとさせたほどだ。


(辺境までの旅費もバカにならないだろうし、よく考えたら、お父様はかなりの温情を示してくれた。立場が許すギリギリの判断よね、これ)


 アイネも結婚適齢期である十代後半までを貴族社会で過ごしたのだ。その辺りの事情は当然理解していた。それでも数日前までは、自身に下された沙汰に心が納得せず不満を抱えた状態ではあった。少なくとも、笑顔でこのように考えられるような精神状態では無かった。

 しかし彼女の心を覆ったその暗雲は、数日前に立ち寄った町で吹き飛ばされた。


 曰く、その村は不可思議な獣や竜の住まう秘境にある。

 曰く、その村は獣や竜と共にあり、獣や竜から糧を得て暮らしている。

 曰く、その村は己が身一つで獣や竜を狩る戦士の集落である。


(その身一つで獣や竜を狩る狩人たちの村! まさに私が行きたかった世界じゃない!)


 アイネの思い浮かべるのは、携帯型ゲーム機の頃から何年も遊び続けた一番好きなゲームだ。休日どころか平日も一晩中画面に向かい、時には友人たちと協力して強敵に挑んだ、彼女の青春そのものだ。


 ハンティングルド侯爵はアイネの追放先としてその村を選んだ。彼女の望みを知ってのことではない。偶然だ。それでも彼女は父だった男に感謝した。


 その村の生活は、彼女が転生時に望んだそれそのものだった。



「聞いていない!? どういうことですか!?」


 アイネの絶叫が響いたのは、森の奥、件の村で最も大きな家の内だった。王都ではあまり見ない木造のその建物は、村の長が住む屋敷だ。壁には噂の竜のものらしい頭骨が飾ってあり、客人を威圧している。その下には、武骨で巨大な黒鉄色の剣が立てかけてあった。


「そのままの意味だ。我々は君について、何も聞いていない」


 白髪の男は静かに返す。村長むらおさと呼ばれた彼は左目の下に二本の傷跡を持ち、皺や髪色から予想される年齢には不釣り合いなほど筋肉質な肉体をしていた。


「村にとって完全な部外者である君を受け入れるつもりもない。今すぐ発てば、暗くなるころには森を抜けられるだろう」


 それはつまり、さっさと出て行けという意味だった。

 アイネは喚き散らしたくなる衝動を抑え、深く息を吸う。村長の黒い瞳は強い意志を宿していて、幼子のように泣き叫ぼうと、境遇を語り同情を引こうと、意味がないのだと突き付けるものだった。


「失礼、します……」


 静かに立ち上がって踵を返す彼女へ、村長は僅かばかりの哀れ気な光を向ける。しかしそれっきり言葉を発することなく、その背中を見送った。


 アイネは虚ろな表情のまま、フラフラと森の中を歩く。そのような足取りで普段通りの移動速度を保てるはずがなく、道半ばに差し掛かる頃には真っ暗になっていた。


 明りもなく、風に揺れる木の葉の音すら煩い森の中。アイネもようやくその状況に気が付いた。思わず足が止まり、小さく息を飲む。空を見ればまだぼんやり明るいのに、地上は闇が支配していた。


 ――パキり。


 彼女はびくりと震えた。音の出どころを探して首を振るが、何も見つからない。浅い呼吸音と激しい心音ばかりが木霊する。右にも、左にも、後ろにも、脅威は見つからない。


「……ほっ」


 しばらくじっと闇を見つめ、息を吐く。それから踵を返して、逃げるようにその場を去ろうとした。去ろうとして、代わりに大きく目を見開いた。

 眼前にあったのは、狼のような巨大な顔。四足獣の生暖かい息がアイネの鼻先を撫でた。


 開いた口から聞こえる低いうなり声に、足が自然と下がった。獣の身体はうっすらと青白い光を纏っていて、その背丈は彼女の倍に届くほどある。そして頭部には二本の角が生えていた。


 獣を刺激しないようゆっくりと後ずさりする彼女を、獣の蒼い瞳が捉えて放さない。その目は、食らうべき獲物を見る目だ。


 獣の腕がゆっくりと持ち上げられる。次の瞬間何が起こるか、分からない者がいるはずがない。それなのに、アイネは動けない。ただ、鋭い爪の先を見ていることしか出来ない。


 くうを切り裂く音が聞こえた。鉄ですら切り裂けそうな恐ろしい爪が、瞬く間に近づいてくる。脳裏を貴族として奮闘したおよそ二十年分の記憶が過り、そして前世での日々まで遡った。


(ああ、これで終わりか……)


 恐怖らしい恐怖は感じていなかった。彼女自身、首を捻ることではあったが、言ってしまえば一度死んだ後のおまけのような生だ。だからだろうと、引き延ばされた時の中で納得する。

 アイネは目を閉じて、迫る終わりを受け入れる。叶うなら苦しむことなく、即死できますようにと願いながら。


 だがしかし、その時は来ない。代わりに鈍い衝撃が彼女を襲った。

 右手側に感じたそれはすぐに温もりに変わり、彼女を包み込む。何が起きたのか分からないままゆっくりと瞼を開けると、優しげな茶色の瞳が彼女をのぞき込んでいた。


「怪我は無い?」


 アイネは頷くことしか出来ない。ようやく理解が追いついてくると、彼がクッションとなる形で倒れ込んでいるのだと分かった。

 獣の姿は、木の影にあってアイネから窺えない。ただ、苛立たしげな唸り声が聞こえていた。


「走るよ」


 彼はアイネを立たせると、その手を握ったまま走り出す。と同時に、後方へ向けて筒状の何かを放り投げた。


 後方でくぐもった音が空気を震わす。それから甲高い悲鳴が木霊する。ついつい振り返ると、闇の中で煙のようなものが舞っているのが視界に映った。


 ――どれほど走っただろう。夜暗と寒さにアイネの時間感覚は麻痺してしまっていた。唯一分かるのは、彼女の手を引く温もりだ。その持ち主をちらと見ると、端正な横顔の後ろで一つに纏められた黒い長髪が揺れていた。


「ふぅ……。ここまで来れば大丈夫だろう。あいつも村には近づかない」


 いつの間にか、二人は村まで戻ってきていた。森の暗さから解放されて、それだけでアイネの気が緩む。


「君のことは聞いているよ」


 男の顔が柔らかく歪められた。どことなく村長に似た顔立ちだ。しかし彼よりも中性的で、件の悪役令嬢のゲームに出てくる貴族たちのような顔をしていた。紫がかった黒髪は絹を思わせ、落ち着いたブラウンの瞳には理知の光が宿っている。アイネの頬が染まっているのは、つい先程まで走っていたからというばかりでは決してなかった。


「ひとまずは私の家に行こう。今から森を抜けるのは難しい」

「あ、えっと、はい」


 初対面の男の家へ行くことは抵抗があった。しかし他に寄る辺はない。逡巡の後にアイネは頷いた。


 案内された家は村の外れにあった。アイネが誰かと一緒に暮らしているのだろうかと考えたのは、その家が他の家に比べて少し大きめだったからだった。しかし中にそれらしい跡はない。


「少し座って待っててほしい。夕食を作っている途中なんだ」


 アイネが言われるままにリビングらしき部屋の椅子に座って待っていると、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。肉と野菜の甘い香りだ。


「待たせたね。君も食べるといい」


 ややあって、具だくさんのスープと白パンが並べられる。勧められるままに彼女の手に取った食器は木製だ。口を付けると、疲れ切った身体に何とも言えない温もりが染み渡った。


「良かった。気に入ってくれたみたいだね」

「あ、はい、美味しいです、とっても……」


 伯爵令嬢だったアイネの食べてきた物に比べたら、ずっと素朴なものだ。それでも、その言葉になんの偽りも無かった。


「さて、自己紹介がまだだったね。僕はレンデル。一応は、村長むらおさの息子という立場かな」


 村長の息子がどうしてこんな村の外れに住んでいるのだろうか、なんて思いながらアイネは立ち上がろうとして、やめる。カーテシーをする必要はもうなかった。


「私は、アイネ、です。さっきは本当に助かりました。ありがとうございます」

「いいよ、気にしなくて。本当に、間に合って良かった」


 心底ホッとした様子でレンデルは微笑んだ。彼はアイネがフラフラとした足取りで村を出て行くのを見ていたという。その少し後に試練の獣、先程の巨狼が彼女の向かった方角に現れたと聞いて、慌てて追いかけたのだ。


「あれは狩手が一人前の儀式に挑む相手でね。その角を持ち帰ることで初めて、正式な狩手と認められるんだ」


 討ち倒す必要は無く、角を持ち帰れば良い。逆に言えば、それだけで一人前と認められるほどの力を持った獣だった。逃げられたのは、あの獣がそれほど腹を空かせていなかったのもあるだろうとレンデルは言う。


「あなたも、角を持ち帰ったの?」


 アイネは玄関に立て掛けてあった片手剣と小盾を思い出しながら聞く。


「あー、恥ずかしい話なんだけど、僕は武器の扱いが下手でね。失敗してしまったんだ」


 レンデルは頬をかきながら苦笑した。


「この村の男は、みんな狩手になる決まりだ。成人までに一人前として認められなければ、村を出て行かなければいけない」

「どうしてっ!?」

「役立たずを養えるほど、この村での暮らしは楽じゃないからね」


 仕方ないよ、と零された声は弱々しさすら感じる。その姿は、まるで王都を出たばかりの頃の自分のようだとアイネは思った。


「すまない、君にする話ではなかった。風呂の準備をするから、食べ終えたら先に入ると良い」

「……どうにかできないの?」

「…………妻を迎え子を為すなら、この村に残ることも許される」


 少し迷った様子だったが、アイネが目をそらさないでいると観念したような声が返ってきた。


「でも、狩りの下手な僕を受け入れてくれるような人はこの村にはいないよ」

「村の人間じゃないとだめなの?」


 アイネ自身、どうして自分がここまで気にしているのか不思議ではあった。ただ、聞いた方が良い気もしていて、正体の分からない感情を抱えたまま返答を待つ。

 

「それでもかまわないけど、それこそ相手がいるかどうか。ましてや、こんな森の奥にまでついてきてくれる人なんて」

「私は?」


 言ってから、しまったと思った。そんなつもりは微塵も無かった筈なのに、気がつけば口にしていた。


「あ、いや、変な意味は無くてっ! いや変な意味かもしれないけど、じゃなくて、えっと……」


 慌てて言い訳しようとするアイネをレンデルはポカンと見ていたかと思うと、水を差しだして落ち着くように促す。彼女は赤面しながらそれを受け取って、一口飲むと、深呼吸をした。

 それから、考えてみる。案外悪い提案ではないのかもしれない、と。自分がレンデルに一目惚れをしてしまったかもしれないという事実からは目を背けて、状況を整理すると、二人が夫婦となることは互いの目的にとって都合が良かった。


「あなたも私も、この村に残りたい。そのためにあなたは結婚しないといけなくて、私は部外者でなくなる必要がある」


 村長むらおさの言葉は、裏を返せばそういう意味だった。


「つまりは偽装結婚ね。子どもについては、また考えるとして」


 アイネの言葉を咀嚼するように、レンデルは顎に手をあてる。


「なるほど、確かに……」


 絵になる仕草をぼうっと眺めてしまっていたアイネは、慌ててかぶりを振って彼の返事を待つ。


「分かった。その提案、受けさせてもらおう。……よろしく、アイネ」


 少し恥ずかしげに頬を染めたレンデルに、アイネもまた、頬を熱くした。


 翌日、彼女らの申し出はアッサリ村長に受け入れられた。まだ婚約の段階だが、二人が村に残ることを許されたという形になる。

 アイネとしては残念なことに、村の女衆としての仕事は免除されなかった。しかし毎日することがある訳ではなく、村に馴染む切っ掛けにもなりそうだと納得した。


 村の一員になって三日。ようやくアイネの待ち望んだ日がやってきた。普段は恋しい布団ともすぐに別れを告げ、前日のスープの残りを火にかける。鼻歌を歌いながら時折鍋の中をかき混ぜていると、レンデルが自室から出てきた。暫く前に起きていたようで、身だしなみはすっかり整えられていた。


「おはよう、アイネ。朝食を終えたら、君に見せたい物があるんだ」


 なんだろうか、と首を傾げながら、アイネはレンデルの用意してくれた食器を受け取った。


 朝食を終えると、レンデルが部屋から何かを持ってきた。一つは、玄関のところに立て掛けてあったはずの剣と盾だ。そしてもう一つは、革でできた軽鎧だった。


「これ……いいの?」


 アイネは自身の口角が上がるのを自覚した。頬は上気して、目が輝いてるのも分かる。前世で何度も味わった高揚を、彼女は十数年ぶりに感じていた。


「ああ。処分予定の装備を譲って貰えないか交渉して回ってるって聞いたから。間に合わせだとしても、処分予定のものに命を預けるのは良くないよ」

「それは、うん、そうなんだけど……」


 しっかりした装備が簡単に手に入る環境ではないと理解していたからこその選択だった。最初は村のすぐ近くの散策に留めるつもりであったし、十分だろうと判断したのもあった。


「僕が持っていても腐らせるだけだから。それに、もう君用に調整してしまった」

「……分かった。ありがとう、レンデル」


 アイネの微笑みに、レンデルも同じものを返した。


 革鎧は文句の付けようがない精度で合わせられていた。デザインも女性向けになるよう手を加えたようで、予想していた野暮ったさは感じない。剣や盾の握りもアイネが無理なく握れるようになっていて、彼の器用さに感動すら覚えた。


「うん、よく似合ってる」

「そう?」


 オシャレとはかけ離れているはずなのだが、彼に言われると自然と口元が緩む。


「最初は僕がついて行って色々教えるから。それと、これも持って。煙幕の予備と応急セットが入ってる。煙幕は毒入りだから、離れて使うようにね」


 差し出されたボディバッグを受け取り、身につける。予備と言ったのは、鎧のホルダーにいくつかセットするからのようだった。


「これ、買ったの?」

「いや、僕が作ったやつ」

「……あなた、こっちの方向なら村に貢献できたんじゃないの?」


 素直に思ったことを聞けば、これは女の人の仕事だからと困ったような笑みが返された。


 それから一ヶ月。アイネは村の仕事の合間に探索へ行く毎日を過ごした。レンデルの知識は凄まじく、特に薬草などの素材類については令嬢時代に学んだ知識でもまったく歯が立たなかったほどだった。

 そうして狩りを学ぶうちに、それなりに遠出するようにもなった。


 剣術自体は、元々軍閥貴族の娘だ。そこらの騎士や狩手にも負けない腕がある。レンデルもすぐに問題ないと判断して、二ヶ月目以降は一人で探索することが増えた。


 空いた時間でレンデルの作った道具は、消耗品も装備も非常に助けになった。特にアイネの要望で作られたものは、ベテランほど率先して取り入れたほどだった。


 そうして一年が過ぎ、若い狩手たちが苦労する獲物を平然と狩ってくるようになると、アイネを認めない村人はいなくなった。初めの頃はいつ子どもを作るのかと責っ付いていた面々も、今ではのんびりで良いと言う。

 そしてその変化は、彼女の装備や道具を作るレンデルにも同様に訪れた。女衆は彼の元へ薬作りを学びに訪れ、狩手は彼に武具以外の装備を作るよう頼みに来る。


 間違いなく、二人のこれまでの人生で最も幸せなときだった。


 そんなある日だった。風が強く、雲の流れが速い、しかしそれなりによく晴れた日の朝。すっかり顔見知りになった狩手が二人を呼びに来た。


「お義父さんが?」

「ああ。まあ、あれかなぁ……。とにかく行ってきな。朝飯を食べてからでいいからよ」


 アイネとレンデルは首を傾げながら顔を見合わせる。その距離は、一年前に比べてずっと近くなっていた。


 言われるままに朝食後、村長の家を訪れる。時々ではあったが食事の席を共にするようにもなっていたこともあって、特に緊張はしていなかった。


「よく来たな、二人とも」


 いつか追い返された部屋で二人は村長と向き合う。他にも立場の強い者の姿がいくつかあった。彼らの間には妙な緊張感が漂っており、自然と気が引き締まる。


「それで、お父さん、いったいどうしましたか」

「狩手の儀式のことは知っているな」


 村長の視線の先にはアイネがいた。


「もし、お前が狩手としてこの村で暮らしたいのなら、儀式を受けてもらう」

「なっ!?」


 声を荒げたのは、レンデルだった。


「危険すぎます! どうして彼女が!」

「アイネは、間もなく成人だ。掟に従って、それまでに儀式を済まさねばならない」

「でもっ!」


 なおも言い募ろうとするレンデルを村長は視線で制した。


「無論、金輪際狩りに行かないと言うのなら、この話は終わりだ。だがもし、狩手として生きるのなら、儀式を受けろ。そうでなくては若い連中に示しがつかない」


 レンデルが村長の息子である以上、なおさら特別扱いをする訳にはいかないというのが村長たちの考えだった。


「そして儀式に失敗したときは、掟によりこの村から出て行ってもらう。一人でだ」

「それはつまり、レンデルと別れろと?」

「元々は部外者であるお前を受け入れたのは、ただの温情だ。今のレンデルなら、村の女の中にも受け入れる者はいよう」


 口を挟んだのは厳つい顔つきをした鍛冶屋の男だった。頭はそり上げられており、首元には試練の獣の角を使った首飾りがある。


「生活基盤を整えるまでの備えになる物くらいは渡そう。一年とは言え、共に暮らしたのだからな」


 鍛冶屋はそう言って、村長へ視線を向けさせる。村長はそうして向けられた視線に、選べ、とだけ返した。


 アイネとしては、今の狩手生活を続けたかった。ずっと求めたものだ。しかしあの巨狼と戦うのだと言われると、身がすくんでしまう。勝てる未来が見えなかった。


 ちらりとレンデルを見る。偽装結婚の相手、いや、そのつもりだった相手だ。やりたいことをしたい。しかし彼と離れなければいけない可能性が高い。


 もし失敗して村を出ることになったなら、レンデルは村長たちを振り切って付いてきてくれるだろうか、と考える。思い出すのは、彼の村を見る目だ。アイネを救った優しげな瞳は、この村そのものにも向けられていた。


 付いてきてくれるのだとしても、彼を苦しませる。それも嫌だ。

 じゃあ確実に、女衆の一人として暮らす? それも、嫌だ。


「アイネ、無理は、しなくて良い。本当に、危険なんだ……」


 彼女を本気で案ずる、何よりも優しい、ブラウンの瞳。それを見て、アイネは決心した。


「儀式を受けます」

「アイネっ!?」

「……分かった。健闘を祈ろう、心から」


 その場で最後の言葉は、村長のものだった。


 家に帰ったら怒られる、そう思っていたアイネだったが、レンデルは諦めたように笑みを浮かべるのみだ。そればかりか、対策を考えようと言って書物を持ってくる。


「君が実は頑固なのはよく知ってるからね。少しでも良い未来になるよう、努力するだけだよ」

「……ありがとう」


 準備は急ピッチで進められた。タイムリミットは近い。他の村人たちや鍛冶屋の強力の受けて、考え得るだけのことをした。

 そして、その日はやってきた。


 早朝、狩手たちの確認した場所に向かうと、ソレはいた。アイネの倍ほどはある背丈の巨狼。身体を覆っているのは毛皮と蒼い鱗で、その実、獣が竜の一種であることを教える。一年前と違って僅かとも発光していないのは、ソレが気を緩めているからだろう。

 頭部にあるのが、目標たる二本角だ。それさえ持って帰れば、何も失わない。


「さあ、勝負よ」


 狩人の戦いに正々堂々という言葉はいらない。アイネは背後から近づくと、左腕に付けた装備からワイヤー付きのかぎ爪を射出する。かぎ爪が獣の背を掴むと、ワイヤーが一気に巻き取られてアイネの身体を宙へ舞わせた。


「はぁつ!」


 そのまま背へ飛び乗り、勢いを殺さないままに片手剣を突き立てる。よく研がれた剣が毛皮と鱗を突き破り、返り血が陶磁の肌に血化粧を施した。

 森に狼の悲鳴が木霊する。暴れられる前にとすぐに離脱した彼女を鋭い眼光が射貫いた。それは獲物を狩る目ではない。敵に向ける目だ。


 恐怖からか、興奮からか、アイネの口角が上がった。咆哮を上げようとした巨狼へ、アイネは筒を投げる。いつかの煙幕と似たそれは、獣の目の前で破裂して、煙の代わりに閃光を放った。


 再び上がる悲鳴。間髪入れず、かぎ爪を頭へ射出する。そして二度切りつけた後、剣を角へめがけて叩きつけた。


(頑丈ね……!)


 視力が回復する前にと三度距離を詰め、足を切りつける。固い鱗は簡単には切り裂けず、浅くしか刃が通らない。しかしそれでも確実にダメージを与えられている。


(いけるっ! このまま押し切れば!)


 鋭く息を吐き、出来る限りの連撃を叩き込む。艶やかに濡れた刃へ赤が混じる。


 不意に獣の姿が消えた。直後、影が降ってきた。その正体を確認する間もなくアイネは地を転がる。ついさっきまで彼女の居た場所に巨狼のかいなが叩きつけられていた。舞う土煙に冷や汗が流れる。バクバクと鳴る心臓を鎮めていると、巨狼は再び宙へと身を躍らせ、一回転した。


「くっ」


 これをどうにか避け、安心したのも束の間、強い衝撃に襲われた。森の木々がもの凄い速度で通り過ぎていく。その向かう先に見えたのは、振り抜かれた尻尾だ。

 地面に転がされた身体をどうにか起こすと、獣は力を溜めるような姿勢をとっていた。


(いけない!)


 痛む腕を無視してアイネは走る。辛うじて盾で受けたとはいえ、ダメージは小さくない。それでも無理矢理動かなければならない理由があった。


「はぁっ!」


 全体重を盾に乗せたタックルを狼頭にぶちあてると、獣はたたらを踏む。脳を揺らされるのは流石に効いたらしい。ぎろりと苛立たしげな視線が向けられる。


 間に合った。そう安堵したのは、早計だった。


「アオーンッ!」


 獣の遠吠えに呼応するようにいかずちが落ち、その身体を青白く発光させる。

 アイネの表情が苦々しく歪んだ。衝撃に吹き飛ばされながら苦し紛れに投げた閃光筒は、突進する獣の後方で破裂した。


 前に構え影にした盾の隙間から迫る巨体に、彼女の身が固くなる。

 直後、先程以上の衝撃がその身を襲った。更に雷が迸り、肌を焼く。上方に飛ばされたお陰で枝葉がクッションになったが、そうでなければ肋骨の何本かは折れていただろう。


 樹下では獣がアイネの様子をう伺っている。彼女は追撃してこないことに安心しつつ、ホルダーの薬瓶を取り出して一気に呷った。不思議な感覚と共に傷が癒えるのを見ながら、なるほど、これはあまり使うなと言われるはずだと納得する。前世の医学知識が、その回復速度の示す負担を教えていた。


 息を整え、眼下を見る。獣はアイネを逃がす気が無いらしく、うなり声を上げながら見上げてくる。よく見ると、片方の角に僅かにヒビが入っていた。


(あそこを狙えば……)


 作戦を考えていると、獣の身体がバチバチとスパークし始めた。咄嗟に隣の枝に飛び乗る。木に映る彼女の影が濃くなったかと思うと、先程まで乗っていた枝が炭になってボロボロと落ちていった。


 アイネの喉がゴクリと鳴った。震える足に力を込める。それからもう一度深呼吸をして、煙幕を投げた。紫色の煙が獣を包み込む。

 その煙はすぐに風で散らされていくが、目的は十分に果たした。


 息を止め、剣を収めてから彼女は枝を蹴る。そして盾を下へ向け、獣の頭を殴りつけた。重力を使った打撃は巨狼を怯ませる。そのチャンスを逃がさない。


 頭にしがみ付いたまま、解体用のナイフで角を突く。何度も、何度も何度も何度も。


(もう、少し……!)


 硬質な音を立てて弾かれながらも罅を徐々に大きくしていく。

 獣が溜まらず、激しく身体を震わせた。振り落とされそうになるのをしがみ付いてこらえるが、体力はどんどん奪われる。握力も徐々に失われていって、ついには宙へ放り出された。


「まだ、まだっ!」


 かぎ爪を射出して背中へ張り付けば、そこにあるのは初撃で付けた傷だ。その傷へ向けて、ナイフを振り下ろす。


「グルルァッ……!」


 肉を直接穿つ痛みだ。流石の試練の獣といえど、平然としては居られない。溜まらず転び横たわる。

 アイネも共に放り出されたが、すぐに体勢を立て直して剣を逆手に抜いた。


「その角、もらうからっ!」


 獣の角へ向け、飛び込みながら逆手に切りつける、更に二度、三度と刃を振るう。アイネの可能な限りの力を込めた怒濤のラッシュだ。


 ソレを受けながらも、獣は起き上がろうとする。腕に力を込め、牙を剥いて敵を食らわんとする。生にしがみ付くそれを、ラッシュに全身全霊を込めたアイネは避けられない。

 その凶刃がアイネの腸を食い破ろうとした、その時。眼前で獣の動きが止まった。巨躯を震わせ痙攣するそれは、麻痺毒の効果だ。刃で、煙で、幾度も食らわせたそれが、ようやく効果を現したのだ。


 動きを止めた頭が、左手の盾に殴り上げられる。そして晒される、獣の喉笛。


「ハァァァァアッ!」


 渾身の力を込めた突きが巨狼の鱗をを突き破る。肉を貫き、骨へと届いて、そしてその命を穿った。

 断末魔は、音にならない。代わりに血が噴き出して地面を汚す。憎々しげにアイネを睨んでいた瞳からは徐々に光が消えて、その巨体から完全に力が抜けた。



 朗らかな陽光が村を照らす。空を見上げればどこまでも青く澄み渡っていて、雲は一つもない。


「今日、我らの村に新たな家族が生まれた。この良き日をみなと祝えること、この村の長として、一人の父として、嬉しく思う。……レンデル、アイネ、結婚おめでとう」


 村長の宣言に、村中が唱和する。誰もが嬉しそうだ。村長も、鍛冶屋の男も、二人がこれから先も村にいられることを祝福している。掟にさえ阻まれないなら、二人を疎ましく思う者はいなかった。


 杯を打ち合い、満面の笑みに村が充たされる。その光景を二人は、この場の誰にも負けない幸せそうな様子で眺める。


「本当に、良かったね」

「ああ。君のお陰だ」


 視線と、そして笑みを交わす。


「いいえ、レンデルの作った道具が無かったら、絶対に死んでた。だから、あなたのお陰でもある」


 みんなも強力してくれたしね、とアイネは付け加える。レンデルがどうしてこの村に残りたいのか、彼女も心の底から理解していた。


「ねえ、レンデル」

「なに?」

「何人欲しい? 子供」


 レンデルの顔を真っ赤に染めたのがその言葉なのか、アイネの太陽のような笑みなのか、それは彼にしか分からない。


―完―




あとがき

読了ありがとうございます。

久方ぶりに半分ノリで書いた短編でした。


きっかけはカクヨムコンの短編部門なのですが、三人称だと文字数制限をオーバーしてしまいました。

代わりに後日、一人称で10000字以内になるよう書いたものを投稿して参加予定です。



それはそれとして、公式キャンペーンの宣伝です。

(作者側はこの宣伝で抽選があるそうなので)


カクヨムでは、12月26日から「積読消化キャンペーン」が実施されています。

フォローしている作品を「10エピソード以上」読んだ方にアマギフが当たるそうです。


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悪役令嬢のまま追放された先で偽装結婚したら夢が叶いました〜背景元父上様、私と旦那様のハンター生活は順調です〜 嘉神かろ @kakamikaro

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