国境の北 青色の空

あおやま。

第1話 1967年8月23日

自転車に跨ってかれこれ三日がたった。

かれこれ200kmは進んだだろう。

ゴムの空気は抜け、ブレーキの効きも悪くなってきた。


特に意味もなく出かけられるのが大学生の特権だとしたら、今自分はとんでもなく特権を行使している。

村1番の秀才が毎年街にある大学へと進学する。

この村の第60代の学生が僕だ。

村は随分と昔は漁業で栄えた港町で、今では観光地になっている。

高齢化が進んでいるのなんて今では国中の問題になっているが、そんな中でも特に村は酷かった。

それに昔肉体労働に従事した男たちは今では皆保護を受けて生活しているから、村の財政もひっ迫していた。


僕はあの村の灰色の空が大好きだったし、タバコ臭い老人たちも好きだった。

ただ胸に抱いた街での晴れやかな生活とやらは幻想に過ぎなかった。

青々と輝く空は作り物なのではないかと思うほど毎日変わらなかった。


1967年8月23日

夏休みも終わりかけの日、学生街ということもあって街は閑散としていた。

皆地元に帰ったり、部屋にこもって読書をしたりとその休暇を満喫していた。

レストランもどこも休みで、僕と猫だけが普段通りに生活をしていた。

のんびりと過ごしているレンガづくりの店に蹴りを入れたくなるが、僕が彼らに勝つことはできないだろう。

どうしてこうもまあ人は休みたがるんだ。


労働者の保護と学術への投資を呼びかけている学生運動のグループでさえ、街に汚いビラを残して地元へと戻った。

そもそも彼らは労働者階級じゃないじゃないか。

余暇を反体制活動に注ぎ込む暇があったら、まずは労働階級の苦しみを味わってはどうかと心底思う。


相変わらず街はベタ塗りの青空に照らされ、弱々しく吹く風は汗を乾かす力もない。

そんな街に呑気に寝ている自転車がいた。

止まっているのではない、寝ているのだ。

今年の夏に買われたのであろう。

まだタイヤには空気がパンパンに入っていて、タイヤのサッシは銀色に輝いていた。

彼は見るからに根性がなく、のびのびと寝ていた。

こいつには勝てる。

僕がそう思う時には自転所を蹴っ飛ばしていた。

1ラウンドKO勝ちだ。

高い金属音を一瞬吐いて、やつは街に倒れ込んだ。


いや倒れ込んでなどいない。

やつはまだ寝ていた。

僕はもう1発思いっきり蹴ったやった。

それでもやつは寝続ける。


一度その体を起こして、今度はブレーキを握りしめながら、ほいっと投げてみた。

それでも彼は気持ちよさそうに寝ていた。

いくら僕でも人のものを壊す趣味はない。

だからそいつを起こしてやって、よく見てみることにした。


親の顔が見てみたいねえとか、持ち主はどうせどこかの坊ちゃんだろうとか。

それでもその持ち主は車を買う所得はないのだから、せいぜい頭がいいだけの中産階級だろうねとか。

正々堂々指摘したが、彼は一向に起きない。

ここまでくると僕も暇じゃない。

君が寝るなら僕は部屋に戻って本でも読むさと置いていこうとした刹那、彼は僕に言ってきた。


寝ているのじゃない。待っているのだよ。


確かに言った。

待っているって何を。

そう思ってもう一度彼を覗き込むと、驚いたことに彼には鍵がついていなかった。


これは申し訳ない。

彼は寝てなどいなかった。

戦いに備えて体を休める革命同士であった。


彼の持ち主は、ブルジョワなのに車などという楽な道具を使わないいい趣味の男らしい。

けれども君はそんなことには満足しない。

そんなことはすぐにわかった。

僕は彼に跨って、すぐにペダルを漕いだ。

レンガの建物はようやく動き始め、木々は後ろへと走り出した。

ベタ塗りの空だけがまだ寝ているようだった。

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