第4話 音楽準備室

 範経は職員室に入り、川田孝子に二人で話をしたいと言った。「いいわよ。十分後に音楽準備室に来て」と孝子はうれしそうに返事をした。


 範経は由紀と祥子に引きずられるようにして準備室に入った。孝子が「お友達を連れて来たのね」と言った。


「川田先生、お話があります」と由紀。


「何かしら?」と言いながら孝子は由紀たちに近づいた。


「しらばっくれないでください!」と由紀。


 孝子は少し驚いた顔をした。「範経君、こちらにきて」とまるで子犬をあやすように手元に引き寄せ、黒縁の眼鏡をはずして範経の目の奥を覗き込んだ。


「あら、範経君、大変だったようね。昨日から二回も女の子に押し倒されるなんて」と言って孝子はふふふと笑った。「それで、話って何かしら?」


「範経を放して!」と由紀。「なんで範経を抱きつくのよ!」


「見てなかったの?範経君が私の胸に寄りかかってきたのよ」と孝子。「あら怖いわ。範経君、行きなさい」と範経の背中を由紀の方へ軽く押した。


 由紀が強く範経の手首をつかんで孝子を睨んだ。


「川田先生、なぜ昨日、範経とキスしたんですか?」と祥子。


「見てたの?」と孝子。


「ブラスバンド部で噂になっています」と祥子。


「盗み見した人がいたのね」と孝子。


「ごまかさないでください!」と由紀。


「私、わかるのよ」と孝子。


「何をですか?」と祥子。


「キスをすると、相手が考えていることが分かるのよ」と孝子。


「ふざけないでください!」と由紀。「許さないわ……。」


「冗談よ。範経君に忠告してあげたの」と孝子。


「何の忠告ですか?」と祥子。


「範経君が校内で盗撮していると職員室で噂になってるのよ」と孝子。


「え!」と由紀。


「どういうことなのか話してください」と祥子。


「いいわよ。でもその前に範経君の手を放してあげたら。痛そうよ」と孝子。


 由紀がはっという顔をして手を放し、祥子が弘樹を抱きかかえた。


「いつもそうしてあげるといいわよ」と孝子。


「それで先生は範経に確認したの?」と祥子。


「そうよ。疑っているわけではないけど」と孝子。


「範経が盗撮なんてするわけないじゃないですか」と祥子。


「インターネットでうちの高校で撮られた写真が売られてるらしいわ」と孝子。


「だからって範経が犯人だなんてことになるんですか!」と由紀。


「最近、範経君がカメラを校内で持ち歩いていたって聞いたけど」と孝子。


「それは文化祭のクラスの出し物が劇だから、練習中の映像をとって演技をチェックするためです」と祥子。「私たちが頼んで持ってきてもらったんです。」


「だけど、高校生が持ち歩くようなカメラじゃないんでしょ」と孝子。


「範経の父親のものです」と由紀。


「しかも光学迷彩機能付きのドローンにのせて飛ばしていたって」と孝子。


「だからって、何なんですか!」と由紀。「舞台の邪魔にならないからいいだろうって、範経がわざわざ光学迷彩機能のある機種を持ってきてくれたんです。」


「そんなもの、持ってこさせちゃだめよ」と孝子。「ただでさえ、範経君は教員からもよく思われていないんだから。」


「だからって盗撮を疑うなんてひどいじゃないですか!」と由紀。


「そうかしら。私だって心配だから確認したのよ」と孝子。


「ただの小型ドローンですよ」と由紀。


「あれを二機同時に飛ばして演劇を映画みたいに撮影するのってすごい技術よ。知らないの?」と孝子。


「先生も疑っているんですか?」と祥子。


「確認しただけよ」と孝子。「それに他の先生にもちゃんと説明したいから。」


「他の先生なんて関係ないわよ!」と由紀。


「範経君を特別扱いしていることをよく思わない先生がいるのよ」と孝子。


「範経は特別扱いなんてされてません」と由紀。


「頻繁に学校を休んでるでしょ。それに遅刻や早退したり」と孝子。


「他にも休んでいる生徒はいます」と由紀。


「それはいじめとか引きこもりが原因の生徒のことでしょ」と孝子。「気分屋の範経君はそういうのじゃないから。」


「出席日数をちゃんと計算しています」と祥子。


「そういう所が嫌われているのよ」と孝子。「ご両親からの強い希望であなた達三人を同じクラスにしてるのも問題よ。」


「誰にも迷惑をかけてません!」と由紀。


「そうかしら。唐崎さんと椿さんには別々のクラスでリーダーシップを発揮してほしいと考えている先生は多いわ」と孝子。「私もその意見に賛成よ。」


「その話は盗撮とは関係ありません」と祥子。


「なぜ先生は範経とキスしたんですか!」と由紀。


「それは……」と孝子が言葉に詰まり、範経が言った。「先生はぼくが何か違法な薬物を飲んでいないか確かめたんだ。」


「気がついていたのね」と孝子はかすかに笑った。


「どういうこと?」と祥子。


「範経君の唾液をもらったの」と孝子。「検査するための。本当は血液が欲しかったのだけど。」


「唾液が欲しいならそう言えばいいじゃない!」と由紀。「キスなんて必要ないわよ!」


「いやよ。範経君に検査をするから唾を出して、なんて言えないわよ」と孝子。「私が嫌われてしまうわ。」


「検査の結果はどうだったんですか?」と祥子。


「もちろん何も出なかったわ」と孝子。


「他に何かされたの?」と由紀は範経をにらんだ。


「特に何もないよ。それとなく肌に注射の跡がないか見られてたけど」と範経。


「それも気がついてたのね。さすがだわ」と孝子。「ついでにいろいろ触っちゃった。」


「何でそんなことを疑うんですか?」と祥子は範経を両手で強く抱きながら言った。


「あなた達だって気がついてるのでしょ。範経君が普通じゃないって」と孝子。


「もう範経に近づかないでください」と祥子。


「仕方ないわね」と孝子。「範経君、こっちを向いて。」


 範経は祥子から離れて体を孝子に向けた。


「範経君、疑って悪かったけど、あなたのことが心配だったの。誤解しないでね」と孝子。「あなたのことが好きなのは本当よ。」


 範経はかすかにうなずいた。それを見ていた由紀が範経のほほを思い切りひっぱたき、範経が倒れた。


「もう二度と範経に近づかないで!」と由紀が叫んだ。

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