《靖史》
ガチャリ───その音とともに,僕を包んだ異質な空気。その時,僕の心に,あることがフラッシュバックした。
───学生時代,悪友に誘われ,廃屋に入ったことがある.割れた窓から足を踏み入れた時に,鼻を付いた冷たい空気────。
そんな空気に似ていた.
美湖の部屋に入れば,その空気が、すーっとそこに吸い込まれているように感じた。
恐ろしい,僕の心に湧き上がったそれは,畏怖の感情.それでも,次の日には元に戻るだろう.僕はそう思うと,部屋を出た.
次の日,目覚めれば絶望に染まる.美湖の様子は変わらず,異質なそれが,そこにはいた。
笑顔がない.言葉がない。僅かな言葉も、美湖が出す言葉とは思えないほどに,暗く,淡々と沈んでいる。
家族と夕食をとる時も,ただただ俯き,淡々と食事を口に運ぶ.
友人と外出することも全く無い。
ただただロボットのように,家と会社を往復するだけだ.
そんな様子のまま,気づけば、一年が過ぎていた.
僕は,恐怖すら感じるようになった。
まるで、僕の娘ではなく、見知らぬ誰かがそこにいるようで、家にいると落ち着かない。あの日か僕は、家にいることが少なくなっていた。
会社帰り,居酒屋や公園で時間を潰し,今や,家はただの寝床とかしている.
夜も更け,重い足取りで,鈍重な空気の横たわる家へと,帰路に着く.
気がつくと,家の前だ.
ガチャリ,この音を聞けばあの日を思い出す.
そして,光景はあの日と変わらない.
家に帰れば,急ぎ,部屋に駆け込む.
まるで様子のおかしい美湖のようだと苦笑しつつも,異質な空気の蔓延る居間にいたくなくて,部屋に駆け込む日々が続いていた.
あの日の事を想っていると僕は眠りへと落ちた。
───そこは葬儀場のようだ.隣には妻が涙を流し,佇む.そして僕も,悲痛な叫びを漏らしていた.
目の前の棺には,少女の遺体が.
これは娘.そして僕は気づいた.
誰だ────?
疑問が浮上していた.妻だと思っていたそれは,洋子ではない.娘だと思っていたそれも,美湖ではない.
目覚めれば,朝食をとりに,居間へ向かう.
あの日から変わらぬ、おかしい美湖がそこにはいた。それを目の当たりにし,絶望に染まる.
絶望に支配され,目の前が眩む.いつもの朝────美湖がおかしくなってから,いつも朝はこうだった.
美湖がそそくさと出て行った後,
洋子に声をかける。
「やっぱり、美湖はおかしい…憑依…」
思いもよらぬ言葉が口をついて出た.そして,妙に冷静な自分が憑依ーという言葉に,案外そうかもなーと呟いた.
そして、しばらくの間の後。
「うん」
一言、洋子が呟くように言うと、再び黙り込む。
美湖の部屋は常に閉ざされていた。
僕は部屋の前に立つ.
恐ろしく,暗い空気が隙間から漏れ出ていた.
その空気が僕を包み,全身が総毛立つ。
逃げるように,部屋の前を後にして,椅子に座る.ボーっとしていると美湖の姿が浮かぶ.
美湖の瞳は、かつて輝いていた星々が消え去った夜空のように、虚ろで暗く、そこに映るものは何もない.
美湖の瞳には、かつて輝いていた光が失われ、代わりに深い闇が潜む.
水をやらない植物が枯れてゆくように,美湖が痩せこけてゆく.その姿はまるで別人だ.
それは美湖ではなかった.
それは僕の娘ではなかった.
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