《靖史》
カチコチカチコチ
静まり返ったリビングに足を踏み入れると、時を刻む時計の音が、妙に大きく響いていた。
時計の針は、いつもの僕の帰宅時間、9時を指していた。
普段のこの時間なら、ボロボロになるまで読み込まれた美湖のお気に入りの文庫本の数々や、仕事用のバッグやアクセサリーが置かれ、その中で本を読む彼女がいる。
しかし、テーブルにはただ、醤油瓶や塩コショウが整然と並べられているだけだった。
それは、十一時頃、美湖が部屋に戻ったあとの光景のようだったが、香水の残り香もせず、気配がなかった。それは、美湖がこの部屋を去って数時間は経っているということだ。
誰も居ないのに、部屋を照らす電気だけが煌々と輝いていた。
「もう寝ているのかな……早いな」
そう呟くと、ドアに向かい、あゆみ出す。
パチッ
部屋の電気を消して、廊下に出た。
廊下は暗く沈んでいた。
一階にある唯一の部屋、僕の書斎の扉を開ける。
そこにも、誰もいなかった。
ただ、本がびっしり、並べられ、本の匂いがぷーんと漂っている。
階段を上ると、美湖の部屋のドアから光が漏れていた。
そして、廊下にはドアから出る光に人影が暗闇に浮き上がっていた。
喉が上下し、ゴクリと音が鳴る。
ヒタヒタヒタ
僕は、床をふみしめる。そして響く自分の足音が不気味に思えた。
そっと近づき、意を決して人影に声をかける。
「だ…誰だ…?」
人影が顔を上げる。スローモーションのように、ゆっくりと人の顔が上がって行く。そして現れた顔。それは洋子だった。なぜ、洋子がここにいるのだろう。思考をめぐらせながら口を開いた。
「洋子…?どうした?」
僕がそう聞くと、彼女は取り乱すように答えた。
「み、美湖が……!美湖の様子が変なの!パパ、あなたも見てきて!」
叫ぶように言い終わると洋子は扉をゆびさす。
コツ、コツ
鼓動に合わせるように、扉をノックする。しかし、そこからは静寂が帰ってくるだけだった。
コンコンコン
再びノックし、ノブに手をかける。
場違いに軽やかな扉の開閉音が響き、扉が開く。
膝を抱え込み、蹲る美湖の姿が、僕の目に、飛び込んできた。
美湖の周りだけ、異質な空気が漂っている。
震える声が口をついて出た。
「ど…どうしたんだ…?」
初め、美湖は項垂れるだけだったが、ハッとしたように、答えた。
「疲れた…だけ。」
その声は震えている。僕はその言葉が嘘だと確信した。
美湖はそれきり、静かになった。
カチャ
ドアを開け、逃げるように僕は廊下に出る。
先程よりは落ち着いた様子の洋子がそこには立っている。
「どうだった?美湖。」
焦る様な声音で彼女が問う。
「そうだね。やっぱりおかしかったな。」
先程の洋子の言葉と、今の僕の言葉が重なり、絶望として心に染み込んでゆく。
不安と絶望が入りまじる感情の中、僕は一夜をすごした。
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