浦町ニュータウン~血塗られた怪異~

如月幽吏

《┈第一部┈》プロローグ

《洋子》

ガチャ

ドアを開く音が耳に飛び込んだ。

反射でビクッと体が震えた。

ぼーっとしていた頭が一気に冴える。

誰かな、一瞬そう考える。

「美湖…?」

この時間であれば、娘の美湖だろう。そう思い、

席を立ち上がった。

いつもなら、わたしは玄関ではなく、居間で美湖を出迎えていた。しかし、なにかに気がついたように、わたしは、立ち上がっていた。

ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、

コンクリートの床をふみしめる音が冷たく響く。

古い家の、板張りの床を踏みしめるようなミシミシという音とは違うな、とぼんやりと考えているうちに、わたしは違和感の正体に気づいた。

美湖が部屋に入ってこない。

その間に、違和感を覚えていたのだ。

なぜか、居間の扉までの道のりが長く感じられる。

それでも、気づけば、ドアの前にいた。

ドアを開け、玄関に向かう。

顔を上げ、美湖の方を見る。

そこにたたずむのは、確かに美湖だ。

おかしい

わたしは再び違和感を感じた。

わたしは考えをめぐらせる。

そして、ハッとそれに気づいた。

一瞬、別人ではないかと思うほど、彼女の雰囲気が変であった。

見た目はいつもの美湖と同じだが、言動が明らかにおかしい。

ギョロギョロと目を動かし、宙を睨みつけている。

普段の優しげな目とは対照的に、皿のように開いた目に、わたしはギョッとした。

美湖は、はっと何かを思ったように、目の動きを止めた。

そして、しばらくするとだらんと項垂れた。


ふと、いつもの美湖の帰宅を思い出す。

鍵を開け、玄関に留まることも無く、中へと入ってくる。部屋に入ると、いつもわたしに話しかけていた。



美湖が靴を脱ぐ音で、物想いから醒める。

いまも彼女の周りには異質な緊張感が漂っている。

美湖では無い。妖のような雰囲気だ。憑依…?そんな言葉が頭をよぎった。いや、そんなはずがない。わたしはそう思いなおし、いつもの様に接することに決めた。明日には元に戻っているであろう。

自分に言い聞かせるように、心の中でそう呟く。

ピリピリと空気をふるわせるように、唇を開く。

「美湖、おふろに入ってきたら」

平然を粧うように、美湖に語りかける。

声が、こわばっていた。

動揺が、美湖に伝わってしまったかもしれない。

少し不安になり、気持ちをそらそうとする。

わたしの心には何かが引っかかっている。

気がつけば、そんなことが脳裏に浮かんでいた。

大丈夫、明日には様子が、戻る。

再び、自分に言い聞かせた。

美湖が扉を開ける音からは十数分が立っている。

我慢できなくなり、わたしが声をかけても、いつもなら聞こえる、居間の扉を開ける音が聞こえない。

「美湖」

そう呼ぶが、返事はない。

辺りを見渡せば、既に美湖の姿はそこにない。

一階を探すが、美湖はいなかった。

ドク、ドク、ドク

心臓が鼓動を早めた。

階段を上る足音と、鼓動が、重なる。

階段を上り、辺りを見渡すと、正面にある美湖の部屋の扉の隙間から、光が漏れていた。

コンコン

次の瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。

気づけば、わたしは美湖の部屋の扉をノックしていた。

「ど…どう…したの…?」

戸惑う様な、美湖の声が帰ってきた。

ピンとはられた空気の糸を震わせるように、美湖が声を絞り出す。

ガチャ

わたしは意を決し、胸に手を当てる。

震える手で扉を開き、部屋に入る。

中には、蹲り、考え込んでいる様な美湖が居た。

思わず、言葉が口をついた。

「美湖。どうしたの?今日はなんだか様子が変だよ。」

「えっと……」

何かを隠しているかのように美湖は言い淀む。

「大丈夫?」

そう聞いても、もう答えはなかった。


わたしは、部屋をでていき、その場に抱え込むように座った。脳裏で、今日の美湖と昨日までの美湖の姿が交差した。

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