私が考える現代社会の生きづらさについて

@Tougarasinoko

現代社会におけるコミュニケーションについて

これはあくまで全て私の考えに過ぎないのだが、多くの人々が考えるコミュニケーションが私は間違っていると考えている。

これはあまり人種は関係ないのだが「いじり」や「下ネタ」また過去のトラウマなどを軽く扱いそれらをおもしろおかしく話し、それらをやられた方に我慢を強いるということをやめない限り社会に」出たくないと考える人が増えるなは当たり前のことである。だが、ここまでの考えを理解するどころか持ち合わせている人があまりいないのだ。そして私自身もコミュニケーション能力を身に付けたいと思い様々な人々と話しながら考えたのだがそのなかで最も話すのが上手だと思ったのは宗教勧誘をしていた方とマルチ勧誘の幹部の方だったのだ。

「話をきいてもらう」という面にはとくに特化してると言えるだろう。

それから人の懐に飛び込みかわいい後輩という扱いを受けれらる人もコミュニケーション能力が高いとされる傾向がある。

それからもしかして認識がずれているということを実は皆気が付かずに生きているのではないかと疑念を抱いた。


私は日本の教育から疑問に思っていることがある、それは国語と道徳の授業に関してだ。

なぜかというと日本の義務教育では「人の気持ちを考えよう」「自分がされていやなことは人にしてはいけない」と教えてしまっている点だ。

あまりにも曖昧な教え方で幼い子供では自力で答えにたどり着ける可能性が低いのにも関わらず曖昧にしか教えないのだ。さらにこれが何の問題があるかとすると無自覚のうちに加害してしまっても「私は嫌ではないから」と同じ過ちを繰り返してしまう恐れがある。

私の考えでは「他の人と私は違う人間なので考え方や育ち方が皆違って当たり前」

という前提がある。だからこそ自分と他の人はちがう個体として認め教育するべきだと考える。

また、ネガティブを悪としポジティブを善とする点だ。

ポジティブであることもネガティブであることもただの個性にしかすぎない割にはネガティブ人間の居場所の少なさも気になる点だ。

別の視点で考えたら同じような人間しかいなくなり気味の悪い社会を良しとするともとも言いたくなる。

教師というものも学校でのコミュニケーションしか知らないことも問題である。


それからまだまだ社会は男性社会の文化が根強く残っており、男性社会にわざわざ入ってきた女性に対して下ネタを面白いものとして発してしまいセクハラと言われる男性は未だに後を絶たない。男性同士であればたとえ会社でも許されるというのであればそれすらも間違っているのだ。だが彼らにはそんな自覚がないことが問題なのだ。

それから嫉妬という感情もかみ砕けばただ羨ましいという感情が根本にあるということに気づかづず、攻撃してしまう人も問題なのだ。だが、一番の問題は彼らからの間違ったコミュニケーションで心を病んでしまった人々を救済する手段が少なすぎることと、彼らを弱者と呼んでしまう世間だ。

彼らも最初から弱者であったことなどない、あくまで今ある社会の枠組みの形が異様であるにしか過ぎないのである。



聞けた人数が少なかったためあまり参考にはならないが、その中でコミュニケーション能力が高いと思った特徴として最も挙げられたのは「気遣いができ、人に寄り添える人」だったのだ。

私はこれが最も得意とするのは宗教勧誘をしている女性だと思うのだ。

なぜそう思うのかと言うと彼女たちはつらいことはないか?と優しく聞いてくれる上にフレンドリーであることが多い。

彼女たちが宗教勧誘ではなければ良い印象を持つであろうと思わされるくらいなのだ。


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