第20話 大分へ

「ああもう、最悪!」


 戻ってきてセラフィーナの第一声であった。

 それから簀巻きも解除せずにちらちらと悠花の方を見てくる。聞いてくれと言っているようなもので悠花としては辟易した。

 面倒くさいが聞いてあげないとこのまま簀巻きだろう予想ができたので、嘆息して聞いてあげることにした。


「はぁ……何かあったんですか?」

「逃げられた!」

「え、マジで言ってます?」

「お兄様が出て来て持って行った! もう! 最悪!!!!」


 ぷりぷりと怒っているが悠花としてはのっぴきならない言葉が気になって仕方なかった。


「お兄様? あなた家族いたんですか」

「いたみたい」

「なんですかそれ」

「死んだと思っていたんだよ……ああもう、ボクのご飯を持ち逃げするだなんて! きちんと殺しておけばよかった!!」

「……そうですか。それより逃げられるとか、死にたいんですか」


 逃げられたら血を飲ませるといったというのに、どうして逃げられているのか。これで他の人間に被害が出たらどうするのだ。

 そんな非難をしたはずであるが、セラフィーナは不満そうにふくれっ面を見せてくる。


「……少しは慰めてくれてもいいじゃないか、ぷぅ」

「嫌です。そんな義理ありませんから。それに人を襲う吸血鬼を取り逃がした方が問題です。どうしてくれようか」

「どうしてくれようかはこっちの台詞だよ。ぜぇぇったい取り戻しに行く。獲物は絶対に逃がさない」

「まんまと乗せられてる気がしますね。こういう時は放っておくほうが良いんでしょうけど、相手が吸血鬼なのが痛いですね、放っておけません」

「よし、追いかけよう」

「居場所、わかるんですか?」

「マーキング済みだからね! 福岡だよ!」

「福岡――」


 かつては九州で最も人口の多い県であり、歴史や自然等々有名なところであったが吸血鬼が現れてからは人が住めるような場所ではなくなっているという話である。

 今や、福岡は九州一の吸血鬼の楽園とされている。そこでは人間は家畜のように扱われているのだとか。

 吸血鬼の庇護下で何不自由なく暮らせる楽園、みんなで行こう福岡! だとかそんな胡散臭いCMが流れていたことを悠花は思い出す。


「敵の本拠地みたいなところですね」

「ちょうど良いよ。ヤケ食いしてやる」

「フラグっていうらしいですよ、そういうセリフ」

「ボクが負けるとでも?」

「知りませんよ、わたしはあなたがどれだけ強いかとか知らないので」

「すっごく強いよ」

「そう言うなら逃がさないでください」

「ちょっとお兄様が生きてたことに驚いただけで負けてないから」


 ともあれ次の目的地は福岡ということで武装列車を乗り継ぎ、阿蘇から熊本市へ行くことになる。

 ただ、その前に阿蘇観光を譲らなかったセラフィーナにより少しだけ観光をすることになった。

 もちろん目当てはあか牛である。

 名あか牛のステーキ丼をいただく。


「ん~~、美味ぃ~~」

「うわ、美味しい……高いですけど」

「いいんだよぉ、そんなのはー。値段なんて気にして観光ができるかってもんだよ」

「こんな楽しんでていいんですか?」

「いいんだよ! イライラしてちゃ旅が楽しくないし、万全で戦えないしね。んー、わさびと合わせた肉本来のうまみ! んっふー!」

「よくそんな緑のからいの食べられますね」

「むしろなんで本場の人間が食べられないのか」

「籠島にはありませんでしたので」

「ねえねえ、お酒飲んでいい?」

「わたしが飲めないので遠慮してください」

「ちょびっとだけだからー!」

「はぁ……少しだけですよ」


 もちろん焼酎を六合くらい飲んだ。

 その日出発するはずであったが、出発が翌日になった。


「うぅ……頭痛い」

「なんで再生能持ってる吸血鬼が二日酔いで苦しんでるんですか。ちょっとって言ったのに飲みすぎるからです。二件目に居酒屋なんか言って馬刺しまで食べて飲み続けるなんて、馬鹿なんですか?」

「やめて、罵倒が効く……でも馬刺し美味しかったじゃん……甘みがあって歯ごたえのある馬肉にゴマ油、すりおろしたにんにくつけて地酒をくいっと……この幸せには勝てないって……」

「わたし隣で馬肉食べただけなんで」

「美味しかったよね!?」

「まあ、はい。美味しかったですけど……」

「でもお野菜残してたよね」

「嫌いなので」

「お野菜も食え」

「アレルギーです」

「アレルギーじゃないの知ってんだよ、こっちは!」


 ともあれ阿蘇のグルメを楽しんだ後は、熊本市まで武装列車を乗り継いで移動し、九州縦貫自動車道を徒歩で福岡まで向かう。

 悠花の移動速度に合わせたことで都合四日の旅であった。


 途中、熊本の片隅を根城にして暴れている盗賊のユッケ馬賊に襲われて返り討ちにしてユッケをごちそうになったり、吸血鬼に襲われていた農村を救ってからし蓮根をいただいて残っていた溶岩魚と交換したり、超獣くまもんと一騎打ちをしたり。

 超獣くまもんは、使い魔として熊耳メイドさんになってもらって熊本守護を命じた。熊本はこれで安全というもの。

 そんなこんなのすったもんだの末、二人は福岡との県境に辿り着いたのである。

 二人はここで立ち往生していた。


「あーもう、入れないじゃないか!」

「なんなんですか、この高い壁」


 熊本と福岡の県境には巨大な壁が鎮座していた。都合、五十メートルほどはあるだろうか。

 継ぎ目すらなく、頂上付近はネズミ返しになっているようで、壁を伝って上ることもできやしない。

 そもそもこの壁自体に超高出力の電流が流れているようで、触れただけでセラフィーナの腕が焼け落ちたほどだ。


「どう考えても吸血鬼の異能だね。空を飛んでも、たぶん入れないだろうね」

「試してないのにわかるんですか?」

「ん」


 見てみと空に視線を送る。つられて悠花も見上げてみれば、飛ぶ鳥がちょうど県境を越えたところではじけ飛んだ瞬間を目撃してしまった。


「うげぇ……なんなんですか」

「侵入したら爆発するような術が仕掛けられてるみたいだね。大がかりだ、かなり大きな血盟が関わってるんだろうね」

「ずっと気になってたんですけど、血盟とは?」

「血の家族のこと」


 繁殖によって産んだ血の繋がった家族関係と、自らの血を分けて転化させた主従関係による吸血鬼の一団のことをと呼ぶ。

 セラフィーナとエーヴェルトが血のつながった家族関係で、エーヴェルトと音夢が血を分けた主従関係となる。


「大規模になれば百人とかそれ以上いたりするよ。小規模だったら最低一人からとかだね」

「一人は血盟と呼ばないのでは」

「ボクも一人血盟だよ」

「嫌われ者なだけでしょう」

「しまいにゃ泣くよ、ボクでも!」

「あとお兄さんが生きていたと判明したばかりなので、一人血盟ってわけじゃないですよね。二人ですよね」

「知ってる? 正論ってめちゃくちゃ効くんだよ、本当に泣いちゃうよ?」

「どうぞ、ご自由に。そういえば、あなたのお兄さんが吸血鬼にしたあの子は、あなたのお兄さんのことをお父様と呼んいたそうですけどそれは?」

「それはお兄様の趣味じゃない? 普通は主従関係みたいな感じに主とかそう呼ぶし。たまに下剋上とかあるけど」

「ド変態兄妹ということですか」

「ボクは違うからね!?」

「それよりもこの壁を越える手段を考えないと」

「ねえ、聞いてよ!?」


 悠花は無視した。

 壁の向こうに行かなければ福岡にいけないし、この中に吸血鬼がいるのならば殺して回る必要があるのだ。

 些事について考えを巡らせる暇はない。


「とりあえず壁沿いに移動して入れるところがないか探そうか」


 数日かけて外周を回ってみたわけであるが、入り口らしきものは発見できなかった。


「こうなったら、ボクだけでも入るか」

「招かれざる客としてペナルティー喰らって終わりだと思います」

「クソぅ」


 しかし手詰まりだ。どうしたものかと焚火を囲んでいると見知った気配が近くに現れた。


「へぇ、そっちから来たんだ」


 妙にもじもじとした音夢が木陰から現れた。

 悠花はすぐに立ち上がってセラフィーナの背後で構える。


「……大分に行けばいいわ」

「なんだって?」

「大分よ、湯布院。そこならここの入り方知ってる人がいるわ」

「なんでそれをボクに?」

「お父様が、きっと今頃、困ってるだろうから助けてあげてねって」

「お兄様、絶対にバカにしてるだろう」

「じゃ、じゃあ、伝えたから!」

「あ、待ってよ。ボクに吸われてから帰ろうよ。というか、キミを吸い殺して異能を得たら大分まで行かなくて済むし」


 ぺろりと舌で唇を舐めた仕草を見ただけで音夢は顔を真っ赤にする。

 身体をかき抱きながら音夢は震える唇を開いた。


「い、良いけど、お父様が『ほんの少しも我慢できないところはまるで変っていないね。可愛い仔猫。いつまでたっても子供のまんまだ』って……」

「…………」

「そ、それで吸う?」

「……良いよ、帰って。我慢してあげようじゃないか、ボクは大人だからね」

「自分で言うの子供っぽさ全開ですね」

「うるさい! ほら、キミはさっさと帰ってお兄様に乗ってあげるよ、大人だからね、って伝えて」

「ん、う、うん」


 音夢は顔を真っ赤にしながら異能で消える。


「良いんですか? どう考えても罠ですよ」

「全部吹っ飛ばせばいいんだよ」

「はぁ、子供っぽいですね」

「子供じゃないもん」

「そういうところですよ」


 ともあれ、大分に行けばこの壁を越える手段があるということで、二人は一路大分へと向かうのであった。

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