サンタクロースを待つ
うみべひろた
Santa Tell Me
店内に流れていた曲が終わって、有線は次の曲を流し始める。
毎年この時期になると必ずどこかで一度は聞く曲。マライアキャリーの「All I want for Christmas is you」だった。
レジカウンターの中、「クリスマスソングだ」と呟くと、
「さっきのもそうだっただろ、クリスマスソングなんて今に始まったもんじゃない」
おにぎりの棚の下、着荷分のバーコードを読み取りながら澤村が言う。
「さっきの? なんかどこかで聞いたことはあったんだよなぁ。あれサザンだよね? 全然クリスマス要素なかったけど」
桑田佳祐の声のバラード。サザンにクリスマスソングなんてあったっけ? ベルの音も鐘の音もしない曲のどこがクリスマスソングなんだ。
ちょうどレジから真正面の位置に見える時計。もう23時を回っている。一時間前までぱらぱら来ていた客も今は途絶えて、交代直前のこの時間帯はいつだって誰もいない。だからやりたい放題、話したい放題のバイトになってしまう。
「えー、いや、何だったかは俺も覚えてないけど。でも確かに12月になるとよく聞くだろあの曲」
よく分からないけれど確かにそうだ。記憶を掘り起こそうとうんうん唸りながら考え込んでしまう男二人。
「ケンタッキーの曲でしょ、ブルーヘブンって」
パンのバーコードを読み取って棚に並べていた七海が、空になったバケットを抱えてレジに歩いてくる。小さな身体にふわりふわりとチョコレート色の髪を揺らしながら。
「おぉ! そうだケンタッキーの曲だ。絶対どこかで聞いたことあると思った」
ぽんと手を叩く澤村をちらりと一瞥して、七海はレジ裏の倉庫へバケットを運び込む。レジ裏のスペースは広くはない。ふわりと漂う花の香りに押し出されるように、避けてスペースを開ける。
「あの曲を聞くと、ケンタッキーの味を思い出しちゃってしょうがないんだよね。すごく食べたいんだけど」
ねえサンタさん、私にプレゼントをちょうだいよ。
七海のそんな願い事。っていうかそんなプレゼントで満足なのか。
「いや、ケンタッキーなんてここにはないでしょ」
「普通のフライドチキンでもいい。バイトを始めた瞬間には山積みになってたから。残ってたらスタッフが美味しく頂いてあげる。SDGsだよ」
「30分前に売り切れました」
「じゃあから揚げ棒ですらいいんだけど」
「この時間にまでから揚げ棒が残っていたことが今だかつてあっただろうか」
「……じゃあ何が残ってるの」
「どうせいつもと同じ肉まんだろ」
がっかりした様子の七海と、おにぎりを並べ終わって笑いながらバケットを置きに来る澤村。
「きょうはすごいよ」俺は七海の問いに答える。「さらに、あんまんまで残ってる」
「せめてピザまんだったら良かったのに」あからさまに落胆した七海の声。
「百歩譲って、ピザまんならばまだクリスマスだーやったーって拡大解釈できるのに。肉まんはもう飽きたよー」
「そんなに食べたきゃ先に買っときゃいいんだよ」
と七海に言うと、
「それは違うよ」と指をこっちに向けて反論した。
「お金があれば何でもできるっていう価値観自体が問題なの。何が残るのか、私は神様に委ねてるんだよ。フライドチキンだって残るかもしれないじゃない。それが運命ならば」
「そして今日も残らなかった」澤村は最後の一つのバケットを運び込む。「運命ってのは、待ってたらそのうち向こうから来てくれるものなのか?」
「……そういうこともあるかもしれない」俺は澤村に対して言った。
「そうよね、さすがユー君、話が分かる」ばちーんと背中を叩いてくる七海。
笑顔で大きく頷いた七海に、俺は続けて言う。
「神様はあんまんを選んだんだ、他でもない七海に対して」
ぶはは、と澤村が吹き出した。
「いいなぁあんまん。15年は食べてないぞ。滅多に口にできないレアものだから心して食べろよ」
「今日はまだその運命の日じゃないんだよ」
七海がむくれて言ったところで、店長がバックヤードから出てきた。
「今日も楽しそうだなおい」と、大きな欠伸を押し殺そうともせずに言う。
「おつかれー、もう時間だからとっととあがれー」
「お疲れっす、店長」と澤村がいち早く挨拶する。
「今日はこいつらもらって行きます」
澤村が掲げたレジかごには、ショートケーキが三つ入っていた。
「ケーキなぁ。賞味期限がやたら短くてあんまり売れないんだよな。クリスマスも近いのに。ちょっと発注絞るか」
かごの中の期限切れのショートケーキを見て、店長がうーんと唸る。
「いや、いいんじゃないですか? オレ、ケーキ好きなんで」
「なんか勘違いしているようだから教えてやるけど、お前にやるために仕入れているわけじゃないんだよ」
店長は澤村をじろりと睨む。
「じゃあフライドチキン入れましょう」
「ピザまんも」
口々に仕入れのリクエストを伝え始める七海と澤村に、店長は「はいはい、さっさと帰りな、遅くなっちゃうぞ」と手で払いのける仕種をする。
お疲れ様でしたーと店長に挨拶をしてバックヤードへと移動する。
バックヤードは倉庫と休憩所と更衣室が合わさったようなスペースで、空調は効いているけれども段ボールやごみや荷物で雑然としている。
ぱたんとドアが閉まって、澤村が言った。「チキンもピザもないけど、ケーキならある。ハッピークリスマスだ」
いつもどおりの習慣で、俺は積み重なった段ボールの上に座る。
七海は事務机の椅子に座り、澤村は弁当類が入っていた青バケットに座るとケーキの包装を解き始める。
キャスター付きの椅子に座った七海はくるりとこちらを振り返るなり、苦々しい顔で言う。
「クリスマスなんて中止になればいいのよ」
バックヤードにも流れている有線のクリスマスソングは、いつの間にか山下達郎に変わっていた。
「ケーキあるんだからいいじゃん別に」
と言うと、
「違和感無さすぎて忘れてたけど、さっきここに入って来る時にそこの鏡で見えて思い出しちゃったんだよ」
七海はドアに貼り付けられた鏡を指差す。「このサンタ帽子」
あ、と男二人は間抜けな声を上げて頭の上を調べ出す。
「なんかクリスマスだって浮かれてる人みたいでバカみたいだっておもったんだよ。今すぐにでも、今日のお客さん全員に向かって叫びたい。これは私の真の姿ではないのです、社会に押しつぶされた哀れな被害者なんです、って」
「クリスマス、そんなに嫌なのか?」
自分の頭のサンタ帽を手でばさりと払って、澤村が七海に聞く。そちらをちらりと見る。何か探るような視線だった。
「嫌だよ。とても嫌」七海は首をぶるぶると振る。
「ホワイトクリスマスの恐怖」
「ホワイトクリスマス? あれ? 七海って北国出身だったっけ?」
と聞いた俺に、七海は心底分からないといった表情を見せる。
「静岡出身なんですけど。確か何度か言ったよね。静岡が北国なら、東京なんて北の果てだよ」
そして思い出したように続ける。「まぁ静岡は確かに寒い」
「クリスマスに雪を怖がる奴なんて、俺は雪に埋もれる北海道人しか知らないけど」
俺が言うと、澤村も口を開く。
「ホワイトクリスマスって、以前言ってたあれか? 予定は未定、予定は白紙って」
「何だよそれ」
と訝る俺に、
「これだよ。12月の予定帳」
七海は机の上の鞄からがさがさと取り出したメモ帳を見せる。
「普段はこんなに忙しいんだよ」
示した12月前半の、びっしりと文字で埋め尽くされた日付欄。バイト、ライブ、テスト、バイト、友達とごはん、バイト。
「で、これが現在の予定」と細い指で示された12月後半の予定は、クリスマスを中心に前後3日が完全な白紙になっていた。
「みんな友達よりも彼氏彼女を優先する。裏切り者の踏み絵なのよ。この日は」
「キリスト教徒でもないのに踏まされるなんて、現代の踏み絵って怖いな」
澤村が笑う。
「だから私は働くの」22日から25日までを繋いで、でかでかと矢印を書く。そしてその下に、さらに大きな字で「バイト」と書いた。「裏切り者ばかりでも、一人でもしっかりと生きて行けるように」
「キリスト教の神聖な日を、己の欲望の言い訳に使う。この世は罪人だらけだ」
澤村の言葉に、ふん、と七海はため息とも何ともつかない声で応じる。
「何とでも言うがいいさ。明日からホワイトクリスマス期間、絶対に負けない」
七海は澤村の差し出したショートケーキを掴む。慣れた手付きでくるくると包装を取って畳むと、そのままぱくりと口に含む。
俺も澤村も、同じように続く。
「なんかいつもよりもおいしい気がするな」
と俺が言うと、澤村も頷く。
「クリスマス効果だな」
気がつけば、有線の曲はアリアナ・グランデのクリスマスソングに変わっていた。
この世界に、いったいクリスマスソングは何曲あるのだ。
「おいしい」七海も小さな声でつぶやいた。「ただ、いちごだけはいつもどおり。すっぱい」
「確かに酸っぱいな」澤村が言った。
「酸っぱいからケーキの甘さが際立って、これはこれで悪くないんじゃない?」俺は言った。
ケーキは一瞬で食べ終えてしまった。
「クリームはとっても濃厚だね。甘い」七海が指についた生クリームを舐め取りながら言う。
”ねえサンタさん、もう二度と恋に落ちないようにしてほしいんだ”
”だってこれ以上愛なんて生まれないんだ、来年彼がいないなら”
アリアナ・グランデの曲がまだ流れている。
来年の春には大学を卒業する3人が、このままでいられる時間はあとどれくらいだろうか。
カレンダーに残った3か月。例えば七海の予定表の、それまでとそれから。
――運命ってのは、待ってたらそのうち向こうから来てくれるものなのか?
澤村の言葉に答えることなんて出来ない。
自分だけが、
「帽子、取らないの?」
こんなところで考えても仕方ないので、いつまでも帽子を取らない七海が気になって聞く。すると、
「今はいいや」と言った。「この帽子、見た目によらず暖かいから」
そして七海は、くすぐったそうに笑った。
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