隣人の主席は俺の食生活が気になるらしい
タツキ屋
第1話
三月下旬。
春の柔らかな日差しが、カーテン越しに部屋の中へ差し込んでいた。
「ふぅ……ちょっと休憩するか」
引っ越し作業は、予想以上に骨が折れる。
普段の彼ならば、勉強や運動、さらには何気ない日常の雑事まで、効率よくこなしていく姿が周囲の称賛を集めるのが常だった。
けれども、この段ボールの山や家具の組み立てに対しては、さすがの遼も勝てないようだ。
(父さんと母さんは両方とも仕事だからって一人で大丈夫と言ったけど、思ったより大変だな……)
遼は苦笑しながら床に腰を下ろし、ペットボトルの水を飲み干した。
成績優秀、スポーツ万能、誰もが認めるイケメン。
中学時代には周囲から『王子様』ともてはやされた彼だが、その華やかなイメージとは裏腹に、新しい環境での生活は地道な作業の積み重ねだった。
「ひとまず飲み物でも買ってくるか」
そう呟いて立ち上がり、ジャケットを羽織る。
鏡で軽く髪を整え、財布と鍵を手に取って玄関のドアを開ける。
その瞬間、視界の端にふと人影が映った。
「……?」
遼がそちらを見ると、隣の部屋の前で大きな段ボールを抱えた少女がいた。
同い年くらいだろうか。
彼女はこちらに気づいたようで、遼と目が合う。
その瞬間、遼の動きが止まった。
ふんわりとしたボブパーマ、整った顔立ち、そしてどこか冷たいようで落ち着いた佇まい。
その容姿は、思わず周囲の時間を止めてしまうほどの美しさだった。
(……綺麗な人だ)
そう思った次の瞬間、彼女が軽く頭を下げながら口を開いた。
「あ、ども」
耳に心地良い少し低めの声が遼の耳に届く。
その容姿からのイメージからはちょっとずれたような、少し気だるげな挨拶。
その気だるげな声が、かえって親しみやすさを感じさせる。
遼は少し戸惑いながらも自然を装い応じた。
「ども」
短いやりとりの後、彼女は静かに隣の部屋へと消えていった。
その背中を見送りながら、遼は心の中で呟く。
(すごく綺麗な人だった。同じ学校だったりするんだろうか)
◇
段ボールをもって部屋に入った少女、
「めちゃくちゃイケメン。背も高め出し、大学生?いやそれにしてはまだちょっと幼いのかな?」
だとしたら高校生か。
もしかして同じ高校だったりするんだろうか。
「どっちにしろ女子慣れしてそうだし、ガンガン来られると面倒だなあ」
それにしても失敗した。
普段なら面倒な付き合いを避けるために学校では、刺々しい他者を寄せ付けないようなキャラクターを演じている。
楓は自分が美人であると自覚している。
両親の血のおかげもあるだろうし、少し年の離れた姉にあこがれて真似しだしたスキンケアの努力も影響しているだろう。
そのせいか、中学では色々な男子からの誘いや告白を受けた。
本当に面倒。
女子からのやっかみもあった。
そんな面倒な人間関係を省エネでやり過ごすために身に着けたのが冷たいキャラクターだ。
全ての誘いをバッサリ一刀両断にできる。
そのために学校では別の自分を演じている。
なのに。
「はぁ。気が抜けてた。素で挨拶をしてしまった」
まあでも挨拶だけだったし、これから演じても変ではなかったりするだろうか。
すぐにガツガツ来るようなら、気にせず演じてしまおう。
大丈夫そうなら素のままでいよう。
急にキャラ変わったなあいつとか思われても恥ずかしいし。
そんなことを考えながら、引越しの作業に戻る。
◇
数日後。
4月初旬、新生活の幕開けとなる入学式の日。
遼は新しい制服に袖を通し、鏡に映る自分を見つめていた。
その姿はどこからどう見ても「完璧」だった。
制服のシルエットに隠れてもわかる引き締まった体、自然と整えられた髪、そして何より、目鼻立ちの整った顔立ちが目を引く。
それでいて彼の穏やかな笑顔は、どこか話しかけやすさを感じさせるものだった。
鏡を見ながら笑顔を終わらせニュートラルな表情に戻す。
今までは周りからの期待に応えようと理想の自分を演じてきた。
だが、今日からはそれを捨てると決意した。
確かに王子様をしていたころは、人気者だった。
先生からも学生からも声を掛けられる存在になれていた。
ただ、みんなは王子様という記号を見ているだけで、誰も天城遼という自分の本質を見てくれなかった。
いつでも隣に居てくれた、彼を除いて。
王子様という作られたキャラクターが称賛されるのが苦痛だった。
王子様だから告白してくる女子たちが面倒だった。
王子様だからとなんでも頼んでくる周りや先生たちが嫌いだった。
だから、高校からは素の自分を出していくと決意した。
そう改めて思い直し、玄関を開ける。
(そういえばあれ以降、お隣さんとは会ってないけど、今日の入学式に居たりするんだろうか)
◇
マンションを出て校門に向かう途中、すれ違う人々の視線がちらちらと遼に注がれる。
女子生徒の間から「かっこいい」「あの人新入生かな」とささやき声が聞こえたが、遼本人はそれに気づかないふりをして歩を進める。
講堂に入り、新入生たちと共に椅子に腰を下ろした遼は、式の進行をぼんやりと眺めていた。
アナウンスが場内に響く。
「……続いて、新入生代表挨拶。一条楓さん」
その名前に遼は自然と壇上に目を向けた。
ステージに上がるのは、あの日、隣で引っ越しをしていた少女――一条楓だった。
(……えっ、あの子)
驚きを隠せない遼は、思わず彼女を見つめた。
楓はその場に立つだけで会場の空気を支配していた。
背筋をまっすぐに伸ばし、制服のリボンが優雅に揺れる。
その整った顔立ちに見惚れる者も多い中、遼は彼女の表情にどこかかつての自分と似たものを感じていた。
楓が話し始めると、その透き通った声が会場中に響き渡る。
「綺麗だな……」
「お姫様みたい」
そんなささやきがあちこちで漏れる中、楓は淡々と挨拶を終えた。
遼はその独特の力を持った声とマンションでの挨拶をした際の気だるげの声との差を強く感じ、関心するとともに考え込む。
(彼女も、きっと周りに『理想の存在』として見られているんだろうな……)
遼の胸の内に、かつての自分が思い出される。
あの中学時代、自分を「完璧な王子様」として見られることに疲れた記憶がふとよみがえった。
挨拶が終わり、拍手に包まれる会場。
その中で、遼は彼女への興味を隠しきれないまま目を伏せた。
式が終わり、教室への移動。
「1年1組」と書かれたプレートの教室に入り、遼は空いている席に腰を下ろした。
どの席からも彼の整った顔立ちに驚くような視線が飛び交い、一部からは「あの人、すごくイケメンだね」「ねぇねぇあとで声かけてみようよぉ」と小声が聞こえる。
それでも遼は意に介さず、窓の外を眺めていた。
しばらくすると、扉が開く音が教室に響く。
入ってきたのは、入学式で代表挨拶をしていた少女、一条楓だった。
その瞬間、教室内がざわつき始める。
「めっちゃ美人……」
「ねぇ、ほんと。代表で挨拶してたってことは頭もいいんでしょ?」
遼と楓の目が一瞬交わったが、すぐに目線は外れる。
楓は空いている席に静かに腰を下ろした。
遼もその様子を一瞥しながら、心の中で呟く。
(まさか同じクラスになるなんてな……)
一方、楓も内心驚いていた。
(隣に住んでる人が、まさかクラスメイトだったなんて……。めんどくさいことにならないといいけど)
こうして、天城遼と一条楓の高校生活が静かに幕を開けた。
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