スパークスアワー
坂水雨木(さかみあまき)
1. カボス部
いつか、映画を見た。
人とアンドロイドが恋をする映画。叶わぬ恋。儚い恋。抗いがたい別離。
悲恋のようで当人たちは納得している、ビターチョコのような映画だった。
どうしてか俺は彼と彼女の決断を受け入れられなくて、沈んだ心を抱え家に帰った記憶がある。
幾らか歳を重ね、同じ映画を見ることになった。
内容は変わらず、俺の感性も変わらず。けれど、少々思うことはあった。
「それでそれで
「そっすね……」
俺の左斜め前に座る女性、カウンセラーの
「……やっぱ、ビターエンドは苦手です」
頬を撫で、苦笑しながら伝える。
やはり別れ物は苦手だ。心が軋む。
「ふむふむ、わかりました。なら私がこの映画の好きポイントを教えてあげましょう!」
ふふんと胸を張って、子供のような表情で紫衣さんは話し始めた。やれキャラが良い、やれ設定が良い、やれ伏線が良い。
適当な相槌を打ちながらも、俺は彼女の話に集中できないでいた。
「……」
生き生きと饒舌に話す姿は見ていて飽きないが、映画鑑賞中とのギャップが激しい。ほんの十数分前まで、紫衣さんはひどく寂しげな顔をしていたのだ。切なそうな、消え入りそうな。シャボン玉のようにふわっと飛んでいなくなってしまいそうな……そんな顔を。
俺はずっとこの人の表情ばかり気にしていて、映画そのものにも、今の彼女の話にも身が入らないでいる。
おかしな話だ。紫衣さんと出会ってまだ一か月程度だと言うのに、やけに心開いてしまっている。これが恋……? いやないか。俺はそんなちょろい男ではない。
「――火花君? 私の話聞いてますかー? 火花くーん!!」
「聞いてま――うわ!近い近い!紫衣さん超近いんですけど!!?」
「やっぱり聞いていませんでしたね。もう、そんなんだから頭弱そうとかクールぶってるとかカッコつけとか気障野郎とか言われるんですよ?」
「全部今初めて言われたんすけど……」
至近距離に迫っていた紫衣さんから逃れる。上等なパイプ椅子を動かし、一人分程度距離を取った。
微妙な顔の熱さを堪え、ちらと横を見れば頬を膨らませる美人がいた。
「いったい何を考えていたんですか? 火花君が私のお話以上に気にするなんて――はっ!! もしかして!」
「その想像は絶対に間違ってるのでやめてください。顔赤くしないでちらちら俺のこと見ないで……いやマジで違いますから!」
「そうですか。まあなんでもいいです」
ころころと表情を変える人だ。急にスンっとされると俺の気持ちが追いつかない。いつものことだが、生徒を弄ぶのはやめてほしいと思う。
「それより火花君」
「はい」
「火花君はハッピーエンドよりビターエンドの方が好みになりました?」
「俺の話聞いてました?」
感想はさっき言ったはず。抗議は流され、ちょいちょいと手招きされる。こっちに来ての合図だ。
仕方なく椅子の位置を戻す。従わないと露骨にしょんぼりするので、しょうがなくである。
満足げに頷いた紫衣さんは「もちろん!」とニッコリした。
「もちろんじゃないんすけど……。俺、ビターエンド苦手なんですって」
「それはそれは……お姉さんは悲しいです」
「何でですか」
「私の生徒が成長なく停滞していて、とっても悲しいんです」
「辛辣っすね……。でもそれ、先生のせいって可能性も」
「ないです」
「もしかしたら」
「ないです」
「……はい」
「ふふーっ」
ご満悦な美人から目を逸らす。子供みたいに笑っていても、この人はまごうことなき妙齢の美女。俺とて思春期男子。思うところはある。
「なんていうか、紫衣さんってたまに俺に厳しくなりますよね」
「そうですか?」
「そうです。初対面から俺に訳知り顔で色々言ってきて……実際何故かめっちゃ知られてましたけど……そもそもなんで紫衣さん、俺のこと知ってたんですか」
紫衣さんは考え込むように目を伏せ、胸元に垂れた髪を弄る。短い期間だが知った、この人の癖だ。
「火花君は時折おかしなことを気にしますね。私はカウンセラーですよ?」
「カウンセラーが万能職業過ぎる……」
「ふふふ、私はミラクルカウンセラーですから」
ふふんとドヤ顔で胸を張る。「それと私の方がお姉さんですからね」とも付け加えた。そういうところがお姉さんっぽくないんですよ、の一言は口にしない。細かいツッコミをすると、ムッとした顔をして拗ねるのだ。子供みたいな人である。
そっと目を逸らし、適当に頷く。
「そっすか。それで、そろそろ何かないんですか? 俺、カボス部に来てから一か月何もしてないんですけど。紫衣さんとダラダラ喋ってるのもいいけど……意味あります? 意味」
「やれやれ、これだから最近の火花君は……」
「若者とかじゃなくて俺限定ですか」
言うと、紫衣さんは首を振って指を立てた。まるで先生のようだ。いや部分的には先生なんだけど。
「いいですか? 火花君。ここはカボス部です」
「はい」
「カボス部の意味は何ですか?」
「カウンセリング、ボランティア部」
「そうです。誰が、誰からカウンセリングを受けて?」
「俺が、紫衣さんからカウンセリングを受けて」
「そのうちボランティアをする部活です」
「そのうちボランティアをする部活……」
繰り返すと、俺のカウンセラーは満足げにニッコリした。
この人は大人で美人な先生ではあるが、時折妙に幼く見える。俺より年上の"お姉さん"なのに、不思議だ。大人ってすごい"大人"な感じだと思ってたけど、紫衣さんはちょっと違うのかもしれない。無論、悪い意味ではなく。
「それでは火花君、今日も私と楽しくお喋りしてカウンセリングと行きましょう」
「お、おー……」
おー! と手を突き上げるお姉さんに、俺も弱弱しく続いた。
最近はずっと、紫衣さんのペースに呑まれている気がする……。
☆
俺がカボス部――正式名称Counseling Volunteer Club――に入ったのは今より一か月ほど前のことだった。
通学電車の中で偶然にも掏りの現場を目撃してしまった俺は、果敢にも罪人を咎め糾弾し、殴られた。
そう、殴られた。そして殴り返し、大喧嘩の末病院送りとなった。二人とも……。
病院の先生や学校の先生から"やりすぎ"とか"これからは落ち着いて"とか言われたが、やっちまったものは仕方ない。
同級生からも病院送り事件として腫れ物扱いされ……なんやかんやあって強制的にカボス部へ入ることとなった。
高校二年の六月、雨の日のことである。
不貞腐れ、退廃的な自分に酔っていた俺は、担任教師に言われるがままカボス部へやってきた。場所はこれから取り壊される予定のプレハブ校舎。旧校舎から新校舎への建て替えで一時的に作られた簡易校舎だ。
見た目チープだが中身は最新式エアコン完備の素敵建築。新校舎が完成した今となっては無用の長物であり、数年後には完全破棄されるとかされないとか。
そんなプレハブ校舎の二階、元二年生のフロア奥側。ほんの数年前まで教室として使われていた部屋の一室がカボス部の部室だった。
そこに、彼女は居た。
『こんにちは、火花君』
澄んだ声で俺の名を呼ぶ女性。
長い髪を後頭部で一つ結びにし、両頬から胸元まで髪の房を垂らしている。どこか紫がかった暗い赤茶色の髪は、窓から差し込む光を浴びて淡く艶めいていた。
じっと俺を見つめる瞳は温かみを帯びた優しい赤茶色。こちらも髪同様紫がかって見える。
俺はただ、綺麗だと思った。椅子に座り微笑む彼女が超然としていて、もし神様や精霊がいるならこれくらい美しいんだろうと思った。
『ふふふっ、ついに私のカボス部に火花君がやってきましたね!』
まあそんな恍惚も、パッと切り替わった好奇心と歓喜に満ちた表情で消え失せたが。
「――火花君? どうしたんですか? そんなぼんやりして、私に見惚れましたか?」
「ははは、いつも見惚れてるので今さらっすね」
「照れればいいのか困ればいいのかわからない返答ですね……」
俺のパイプ椅子とは異なり、高級そうなオフィスチェアに座る女性、
頬に手を当て、眉尻を下げて笑う美人。明らかに"美"が付く人だ。それも超が付くレベルで。
白のブラウスに紅茶色のスカートがシンプルながらいつも通り映えていた。紫衣さん曰く「首元の紐リボンがワンポイントです」とのこと。俺としては、くしゃっとした袖が良いと思った。口にはしなかったが。
「あ、そうです。火花君」
「あい」
「今日は一つ用があるんでした。今日が何の日かわかりますか?」
「何の日……?」
これはアレか。世界記念日とかそういうやつか。んなわけないか。とすると。
「夏休み初部活?」
今は夏。そして今日は夏休みだ。ほんの数日前に俺の通う学校は夏休みに突入した。
カボス部は部活と銘打っているが実際は俺のカウンセリングタイムでしかないので、夏休みだろうが普通に活動はある。週五日通学の夏休みだ。休みじゃねえなこれ。
「正解ですが不正解です」
「どっちですか」
「ふふ、どちらもです」
微笑み、生徒に言い聞かせるよう人差し指をピッと立てる。
「私は君の何ですか?」
「カウンセラーでしょ」
「です。カウンセリングは普段のお話で済ませていましたが、火花君にはもう一つやらなければならないことがありますね?」
「……ボランティアですか」
「はい」
「詳しくは後で本人から聞いた方が早いですね」と言われ、細かい話は聞けなかった。よくわからないが、俺はボランティアをやらされるらしい。
「ところで火花君。この数日は何をしていましたか?」
「何って、寝て勉強して本読んで寝て……何もしてねえな、俺」
「ふふ、人生を無為に浪費していて可愛いですね」
「罵倒してるのか褒めてるのかどっちなんですか……」
返事はない。ちらと見たらウインクを寄越された。妙な気分で頬を撫でて誤魔化す。エアコンがかかっていても暑い夏だ。
「逆に紫衣さんは何してたんですか?」
「私は火花君のボランティア活動を用意するので忙しかったですよ」
「ボランティアって用意するものなんすか……?」
「そうですよ」
「そうなのか。……紫衣さん、ちゃんと働いてるんですね」
感心の声を漏らすと、目前の美人は胸を張って「ふふん、お姉さんですからね」と笑った。子供っぽい仕草だ。はいはいと適当に返事をしておく。
だらだら紫衣さんとのカウンセリングで時間を潰していると。
――コンコンコン
「はい、どうぞ」
「失礼します。こんにちは、ご連絡した
「こんにちは。お待ちしていました」
極めて珍しいことに、カボス部へ来客があった。さっきの話を鑑みるに、このラフな半袖長ズボンを身につけた黒髪男性がボランティアの依頼主。……というか、部室に来るのかよ。聞いてないぞ。
抗議は飲み込み、ミニ冷蔵庫から冷茶を取り出しコップに注ぐ。
部室には長机一つを囲う形で椅子が四つあるので、そのうち入口に近い場所を勧めておく。
位置的に俺は部屋の左奥。壱橋さんは右手前だ。紫衣さんは真ん中奥のお誕生日席にいつも座っている。大したサイズの机じゃないし、どこでも会話に支障はない。
「どうぞ、粗茶ですが」
「あぁ、ありがとうございます。外は暑くて汗がひどく助かりました。いただきます」
大きめのタオルで額を拭っている男性。痩せているが健康そうだ。笑顔が爽やかな気の良い人相をしている。
椅子に戻ると紫衣さんがこっそり手をちょいちょいしてくる。耳を寄せると。
「よくできました。お姉さんは嬉しいです。褒めてあげましょう」
等と言われてしまった。ちょこんと頭を撫でてくる手から逃れ、照れくささを誤魔化すように頬を撫でた。紫衣さんが残念そうに笑っていた。俺は弟じゃねえんだけどな……。
微妙に悶々しながら壱橋さんの話に耳を傾ける。俺も他人事ではないので真剣に聞いた。
しばらく経ち、用事があるとかで足早に帰って行った依頼主を見送り椅子に座る。
壱橋さん曰く、ある事情で日本を離れなくてはならず、恋人に別れのプレゼントを贈りたい、と。二度と会えぬ悲しみ、寂しさを吹き飛ばし笑顔に変えるようなプレゼントを選んでくれとかなんとか。
椅子に深く腰掛け、ちらと紫衣さんを見る。
「紫衣さん」
「はい」
「これボランティアとかそういう次元じゃないでしょ」
「ボランティアです」
「……ボランティア?」
「ボランティアです!」
えっへんと胸を張っている。なんでこの人はこんな自信満々なんだ……。
「プレゼント選びとか俺したことないんすけど」
「私と同じですね」
「……できるのか、これ?」
「大丈夫です。私と火花君の二人もいるんですから」
これだけ余裕たっぷりだと本当に平気なのかと錯覚してくる。まあ、俺はともかく人生経験豊かな紫衣さんがいるなら大丈夫か……。
――二時間後。
「火花君、お待たせしましたっ」
「いやトイレ行っただけですよね?」
「……はぁ」
「……俺、今何かおかしなこと言いました?」
「はい。お説教です」
懇々と諭してくる。「女性との待ち合わせでは」「まだまだ学びが」「これはお手洗いではなくデートの待ち合わせで」「もっと乙女心を」等々。
ここは学校のプレハブ旧校舎ではない。最寄りの駅から二つほど離れたショッピングモールだ。
『インターネットで探していてもわかりませんね。買い物に行きましょうか』
と紫衣さんが言うので、生徒の俺は唯々諾々とついてきた。
ショッピングモールに入り、すぐトイレに行って戻った後の会話がこれだ。理不尽か?
「今、理不尽かと思いましたね?」
「エスパーですか?」
「ふふん、カウンセラーの力です」
「……了解。俺が間違えてました。次から気をつけるんで早く探しに行きましょ。ウインドウショッピングなんですよね?」
「うふふ、良い子ですね。はいっ。行きましょうか!」
「撫でてあげましょうか?」の一言は「いいっす」と断り、それでも撫でようと手を伸ばしてくるのでサッと避けた。
地味に「撫でる」「避ける」の攻防を繰り返しながら、なんだかいつもより元気で子供っぽさが強めな紫衣さんと買い物に行く。
ここのモールは三階建てで、左右にお店が並んでいる形式だ。通路の真ん中は吹き抜けなので風通しが良い。高い天井に吹き抜けの通路と、ショッピングモールにありがちな"広く大きくお店たくさん"を上手く魅せていた。
「ふふっ、火花君。手でも繋ぎますか?」
「そっ」
数歩歩いて、急な言葉に驚く。落ち着け、俺。これはいつものからかいだ。紫衣さんの顔も……まあいつもの微笑み。この人がデートとか言うから気にしちまうぜ……。
「……そういうのはいいから。依頼ですよ。探しましょ、プレゼント」
「ふふふっ、そうですねー」
機嫌の良い美女に連れられる形で歩いていく。
制服の俺がこんなところで目立つか? と思ったが、よく考えれば夏休みだし制服姿が見えないこともない。世の中意外と私服選びが面倒で休みも制服、という人間はいるのだ。
「火花君、あなたならどんなプレゼントがもらえたら嬉しいですか?」
「俺は……難しいな。一生会えない相手からですよね? 何もらっても悲しくなりそうです」
「そうですか……」
「そういう紫衣さんは?」
「私は……」
歩く。何か思うことがあったのか、紫衣さんは考え込んでいた。
ガキの俺と違って、大人な紫衣さんにはきっと積み上げた人生がある。家族や友人との別離もあっただろう。俺も大人になったら、こんなアンニュイな顔をするようになるのだろうか。
美人の横顔を盗み見て、羨ましいような申し訳ないような複雑な心地になる。
首を振り、二人並んでゆったりと歩いていく。
洋服エリアを抜けたところで、ちょうどよく案内所があった。今の時代当たり前になった、人型アンドロイドの受付だ。
「紫衣さん、モールの中の……紫衣さん?」
「――すみません、少し考え事を。何でしょうか?」
「いや……」
考えているのは知っていたが、そこまで没頭していたとは……。
微笑み尋ねてくる紫衣さんに首を振る。深く聞くのも野暮だ。
「案内所あるから、プレゼントについて聞こうかと思って。どうですか?」
「良いと思いますよ。聞きましょうか」
「うっす」
快諾も得たので人間と変わらない見た目のアンドロイドに色々尋ねてみる。女性型の受付は「いらっしゃいませ」から「何かお探しですか?」と続けた。
会話は普通に熟せるし、表情も移り変わるしで人間の女性と変わらなく思える。しかしアンドロイドだ。証拠は首や腕に見える微かな継ぎ目。いつ見てもすごい技術だと思う。
「わかりました。おすすめの場所に行ってみます。ありがとうございました」
お礼を告げ、会釈してその場を去る。会話主は俺だ。まあ普通の会話くらいならガキの俺でも熟せる。紫衣さんは……。
「ふふっ」
すごく嬉しそうな顔をしていた。
「な、なんすか……」
「ふふふ、火花君がきちんとお話できていて嬉しかっただけですよ」
「俺はそこまで対人関係終わってませんけど……」
「うふふ」
「そこは否定してくださいよ……」
「まあまあ、大事なのは今ですからね! 今の火花君は立派な男の子ですよ?」
「そりゃあざます」
「どういたしましてっ」
指の腹で頬を撫でる。照れ隠しだ。俺の頭を撫でようとしてくる美人の手からは逃げておく。
紫衣さんの調子は戻ったらしい。俺の対人関係はさておき、受付に示してもらったマップで店を探しにいこう。
「紫衣さん、マップデータ共有しときます」
「はい。受け取りますよ」
携帯を触れ合わせサクッと共有だ。アプリを開くと液晶の上にホログラムが浮かぶ。おすすめの店はチカチカ点滅しているのでわかりやすい。
「それなりにありますね」
「っすね。順番に回っていきましょ」
「はい」
ということで、本格的なウインドウショッピングが始まった。
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