7. 彼らの事情

「ダンディな経営者の大人でシックなカフェ〜あなたと素敵なひとときを〜アヴリル」


 これはバレンタインの時期に販売された、地域雑誌のカフェ特集の見出しに記載されたもの。


 新しくオープンしたカフェ「アヴリル」の経営者であるがく。50代でセンターパートのミディアムルーズヘアに髭がよく似合う。世間では「イケオジ」と呼ばれる者である。

 新規出店にも関わらず、岳の色っぽくて低い声に魅了され、あっという間に30代や40代の女性達を虜にした。


 ブラウンを基調としたレトロで落ち着いた内装に懐かしさを感じる人も多く、岳の抜け感のある雰囲気も好評である。格好いいのに、喋ると気さくで安心感があるそうだ。


 中には碧人と健人のカフェ「セプタンブル」と比較する者もいた。

「セプタンブルはイケメン兄弟だが、あの顔面偏差値の高さはこっちが緊張する。アヴリルの岳さんは、格好よくてかつ人生経験の豊富な大人のおじ様でリラックスできる」といったSNSの投稿。


 さらに「アヴリル・ブレンド」と呼ばれる岳の淹れる珈琲は、美味しいの一言ではすまされない深い味わいを持つ。まるで、これまでの人生で彼が培ってきたものが凝縮されているよう。


「お待たせいたしました」と言うだけでファンの間では絵になるらしい。

 カウンターで、

「岳さん、うちの娘がね‥‥」と話し出す客。

「そうか、そんな年頃なのか」と聞いてくれる岳。

 誰かに聞いてもらえるだけで心の中はスッと軽くなるものである。

「俺も昔はヤンチャしてたからな」

 よくこう言っているおじさま方もいるが、岳が同じことを言うと、

「きゃー! ヤンチャしていても格好いいです♡ 何なら今ヤンチャしてもいいと思います♡」となるから不思議だ。



 ※※※

 


「セプタンブル」で健人が休みを取って碧人と幸成の2人で営業していた日。

 健人が差し入れのケーキを持って営業終了後の店に入ると、碧人と幸成が奥で強く抱き合いながら口付けを交わしていた。

 健人はそれを見て泣き出したものの、自分も碧人と同じように幸成とキスをしていたことを言った。だが、今日のこの状況は碧人と幸成が本気で愛し合っているように見えてしまい、混乱したようだ。


「俺のこと、忘れないでよぉ……あお兄ぃ……」

「忘れるわけないだろう? あの時から決めたんだ。ケンと一緒にこのカフェで頑張るって……父さんが出て行ったあの時から……」

 いつものカフェで完璧に振る舞う姿とは違い、辛そうな様子の兄弟を見た幸成。

「あの……大丈夫ですか? こうなってしまったのは僕にも責任があります。すみません」

「ゆきくんは悪くない……僕とケンの問題だ」と碧人。


 席に座って碧人が話し出す。

「もう僕達のことを見られてしまったから、ゆきくんには話すね」

 

 このセプタンブルは元々は両親が経営していたカフェ。父と母は本当に仲が良くて僕達も学校の帰りによく寄ったものさ。看板メニューのアップルパイはすぐ売り切れちゃってね。アップルパイを作ったのは父だけど……もともとは健人が子どもの頃に『ごろっとしたりんごが入ったアップルパイが食べたい』と言い出したのがきっかけさ。


 だけど5年前、母が病気でなくなってしまった。父は母のいない悲しみから抜け出せなかったし、僕達も辛い毎日を過ごしていた。

 プロポーズの時に約束したらしい。このカフェでお客様達にほっと一息つけるように2人で頑張ろうって。そして人生のパートナーとしてもいつまでも一緒にいようって。


 僕達も昔からカフェの手伝いをしていたから、母がいなくなっても何とかお店は回せたけど、父は……カフェにいる限り母のことを思い出しては涙を流している。

 愛する人を失った辛さを抱えたまま、カフェでお客様へおもてなしをすることは難しいと思ったのだろう、父はある時このカフェを僕達に託して家から出て行ってしまった。


「お前たちにこのカフェを託す。俺は少し旅に出る。俺のことは忘れてくれても構わない。すまない……元気でな」

 母もいなくなり父も姿を消してしまった。特に健人は毎日泣いていた。


 

 寂しさのあまり兄にしか頼れなかった弟。責任感の強さから弟を守るのは自分しかいないと思った兄。

 それがいつしか……健人は兄の碧人に恋焦がれ、碧人は弟の健人を愛おしく想い、その結果、2人にしか分かりえない世界を作った。

「あお兄」と言って甘える健人と「ケン」と言って全てを優しく包み込む碧人。


 

 親に託されたカフェを少しリフォームして、自分達らしく営業することとなった。メニューも一新したが名物だったアップルパイだけは、両親のことを考えるとやめることができなかった。

 そして兄弟でお互い愛するようなことが世間に知れたら……両親に申し訳ない。だから家にいる時だけは、2人で思い切り好きな時間を過ごすことでお互いの寂しさを埋めていた。



 一通り話して碧人が言う。

「僕達兄弟はお客様の期待に応えるためにきちんと振る舞っているけど……本当はケンがいないと生きていけない」

「俺だってそう。お客様に笑顔になってもらいたくて頑張るけど……あお兄と一緒だから……あお兄が大好きだからここまで来れたんだ」と健人も言う。


「兄弟同士こんな関係で、しかも2人揃ってゆきくんに迫っていたなんて……変だろう?」と碧人。

 幸成は黙っていたが、少しずつ話し出した。

「僕はクリスマスイブの時にお2人がこのカフェに入れてくださったこと、今でも感謝しています。きっとお2人の強い信頼関係、愛情があったからこそ、こんな僕にも優しく接してくれた。変なんかじゃ……ありません。むしろ強く結ばれた絆があるからこそ、ここまでお客さんに喜んでいただけている……そんなカフェだと思っています」


 健人はそれを聞いてまた涙を流す。

「ゆきくんありがとう。俺……こう見えて自信なかったんだよ……そう言ってもらえて嬉しいよ」

 健人が幸成に抱きついた。

「健人さん……大丈夫ですよ」と幸成。

「ゆきくん、僕からもお礼を言わせて。僕達のところに来てくれて、話を聞いてくれて……本当にありがとう」と碧人。

 碧人は健人と幸成の2人を抱き寄せる。


 そして、3人の中に新たな絆が生まれた。

「これからも僕達3人で……頑張ろうね」

「うん、あお兄……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る