第2話 遠い過去の悲劇《回想》
***
「クラウド様っ、クラウド様!」
こぼれた涙が青白い頬の上を滑り落ちた。
祖国の裏切り。……いや、裏切りとは違う。最初からこうする算段だったのだ。
だからこそ、彼は敵兵に背後を取られた私を庇い死の淵にいる。
「……どうした、レティシャ。そんな、顔をして」
もう、息も絶え絶えのはずなのに。あなたはいつもと変わらない、優しい陽だまりのような笑みを浮かべてくれる。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。私が祖国を説得できていたら、私がもっと役に立っていれば……!」
「あーあー……またお前はそうやって自分を責めてしまう。その癖、まだ完全に治っていなかったな」
まるで幼子を見つめるような慈悲深い眼が揺れる。仕方なさそうに憂いだ眉がそっと下がり、彼――クラウド様は一層微笑んでみせた。
「レティシャ、聞いてくれるか」
口の端に血を滴らせながら、彼はなんとか言葉を紡ぐ。
「今一度誓わせて欲しい。黄昏の誓約の下、この身この命絶えても、俺は願う。お前の幸せを、永遠に願う」
ああ、やめて。これでは本当に別れの言葉のようだもの。
もっとあなたと一緒にいたい。どうかそばにいさせて欲しい。
誰かと笑うことの喜びを、誰かと共に日々を歩む幸せを教えてくれたあなたが、この世から居なくなってしまうだなんて耐えられない。
「嫌です、クラウド様……そんなこと言わないで。私のよろこびは、あなたがいなければなにひとつも叶わないのに」
「……レティシャ」
震える彼の手が、私の頭に回される。
そっと引き寄せられたと思えば、冷たい唇が重ねられる。血の味に混じって喉の奥深くに感じた違和感に、私は大きく目を見開いた。
「っ!?」
「どうか、生き……今度……こそ」
「クラウド、様? いや、そんな……!」
眠るように瞳を閉じた彼が再び動くことはない。もう、温かな黄昏色の瞳がこちらを向くことはない。私の名を呼んでくれた愛おしい人の声が、世界から途絶えた瞬間だった。
ああ、どうして。
ゆるせなかった。憎らしいと思う人間は山ほどいる。裁きを願う者も、もう手のひらで数えただけでは足りない。
けれど、そのような者よりもはるかに罪深いのは。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
守られてばかりいた。
淡い期待を抱いてしまった。
どんな人間でも変われるのだと希望をもってしまった。
もっともっと、やれることはあったはずなのに。
大切な人を失うまで弱い私のままだった。
甘えていた、油断していた、無知だった。
そんな自分がなによりも、誰よりも許せなかった。
「おまえは本当に、どうしようもなく弱く、愚かだな」
まるで私の心を嘲笑うかのように響く声が頭上から降ってくる。今は睨みつける余裕も抵抗する力もない。
なぜなら、その言葉の通りだったから。
弱いままでは、なにも守れない。
弱いままでは、なにも救えない。
黄昏に染まる大広間。この悪夢が愛おしいソルディアの民に降り注ぐ時は近い。嘆くだけでどうすることもできない。
己の無力さをそれを身をもって知り――私は、死ぬのだろう。
ルスタン大陸歴720年。
北帝国『ソルディア』は、長年統治権争いを繰り広げていた南帝国『ガルト』の侵略により滅びた。
その背景には、和平協定を結んだ隣国『シュトラウス』の裏切りが深く関わり、ソルディア帝国皇妃レティシャの祖国であった。
クラウド皇帝の死、そして北ソルディア帝国滅亡後、南ガルト帝国とシュトラウス王国によって亡国の大地は分断される。
冷酷無慈悲と近隣諸国から恐れられたクラウド皇帝の寵愛を唯一受けていたレティシャ皇妃もまた、北ソルディア帝国滅亡から半月が経った頃、その命を儚く散らしたのだった。
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