第15房 その姿に重ねて🦍🌊
――5分後。
時刻【10時20分】
ゴリラは、声を掛けてきたマリンに自身が困っている理由を説明していた。
「――ウホ、ウホウホ」
白色のテーブルの上にあった申し込み用紙をその手に取り持ちながらだ。
「なるほど……それで書けずにいたのですね……」
そんな彼の向かいに座るマリンは、真剣な表情でその話を聞き入れている。
これは、経験とある人からの教えから学んだ相手に寄り添う対応。
「でも、大丈夫です!」
そう言うと親指を立てて笑みを浮かべている。
まるで、自信たっぷりの時のゴリラのような仕草だ。
しかし、そんなマリンに対して彼は疑問に思っていた。
それは言うまでもなく、ゴリラにとって知りえない情報だから。
その上、会ったばかりの人間に何の根拠もなく「大丈夫です!」などと言われたところで、それを受け入れるほど、彼はお人好し……いや、おゴリラ好しではない。
なので、ゴリラはその太い首を傾げてながら、マリンに尋ねた。
ちゃんとした信頼性のある証拠をないのかをだ。
「ウホウホ……?」
そんな彼の一連の仕草が彼女のツボにはまったようで、突然、笑い声を響かせた。
「うふふっ! 大丈夫ですよ!」
その反応を見てゴリラは「ムッ」とした表情を浮かべる。
それはとても自然なことだった。
間違えた自分のことを嘲笑ったように感じたからだ。
とはいえ、彼は紳士であり、都会のジャングルを生き抜いてきたインテリ系ゴリラ。
当然、これくらいでは怒りのドラミングには至らない。
寧ろ、彼の頭の中では1頭の大人……いや、大ゴリラとして、ちゃんと注意をしてあげた方がいいのではないか?
ここで自分が悪者になってでも、この態度について言ってあげないと、マリンがどこかで嫌な思いをしたりするのではないのか? などが浮かんでいた。
これは、きっと犬太や様々な出会いの中で、生まれたお節介と言う名の親心といったところだろう。
だから、ゴリラは心をゴリラから子鬼程度にして注意をした。
いつもよりも威圧感のある低音ボイスでだ。
「ウホゥ!」
これが普通のスタッフであれば、その迫力に圧倒されてしまい、次の一言すら出てこないところなのだが、マリンは違った。
「すみません! 馬鹿にしたわけではないんです!」
ゴリラの迫力満点の姿に、物怖じすることなく、すぐさま自身が失礼なことをしたという事実を認めて、謝罪したのだ。
その姿にゴリラはつぶらな瞳をより一層丸くして関心する。
「ウホゥ……」
しかし、ゴリラが色々なことを経て今があるように、マリンもまた初めからこうだったわけではなかった。
それはとある人物と出会った頃まで遡る――。
🦍🦍🦍
――6年前の春。
関東にある乙姫フィットネス本店、スタッフルーム内。
大きさは10畳半ほどの一室。
そこには、3人用の黒色の長机1台と椅子が3脚あり、その上にオンライン会議用のノートパソコンが2台。
あとは、その反対側に電子キーなどのセキュリティ関係のものが保管された鍵付きの棚が1つと、プリンターが1台あり、その隣にイベント用の景品などが入れられた段ボール箱が何箱か無造作に置かれている。
ここで、マリンは入社してから、初めての異動を経験しようといていた。
理由は、責任者となる為に定められた条件を満たす為。
その条件は、入社して2年実務経験をした後、他店舗での実務を経験することだ。
『亀ちゃん、おはよう!』
異動手続きをする彼女に声を掛けるのは、短め白髪と年中半袖半パン姿が似合う御年102歳になる
普通なら考えられないことだが、彼は102歳という年齢を度外視して、この店舗の責任者をしており、マリンの教育係を担当している。
体格は身長185cm、体重95kg。
好きな物は、バナナとプロテイン。
嫌いな物は、桃と老化。
その肌は日に焼け黒く、筋骨隆々な人物。
まさしく、ほぼゴリラの人間だ。
その昔、海で名を馳せた人物子孫だとか何だとか……真実は誰も知らない。
『あ、おはようございます!
臣は、いつものように笑顔を咲かせるマリンの頭を優しく撫でる。
『おう! ガハハハッ、今日も元気でそうでなによりだ』
『えへへ! 私は元気が取り柄ですので!』
『うんうん! 一番大切なことだからな!』
『はい! って、そのビニール袋! 今日もバナナ食べてきたんですか?』
彼女が指差すその手には、酸化し黒ずんだバナナ皮が1つ入っている透明なビニール袋が握られている。
臣はゴリラのように白い歯を見せ応じた。
『おう! プロテインもばっちりだ!』
バナナを食べるということは、当たり前だと言うわんばかりの勢いよく立てた親指付きの返事。
そして、ひと息つくとスタッフルームにあるカレンダーを見てから身支度をするマリンへと視線を向けた。
『ふぅ――それにしても亀ちゃんがここに来て2年か……”時間が流れるのは早いな”……』
自分が口にした言葉でダメージを負い頭を垂れる臣。
『んもう! 臣さんそればっかりじゃないですか?!』
マリンは、それを頬を膨らませながら指摘する。
この関係は、血こそ通ってはないが親子といったところだろう。
ただ、初めからこうではなかった。
これは臣がマリンを気遣ってきたからこそ築かれたものだ。
2年の間マリンが変な客に言い寄られていた時は、スタッフルームから刺さるような視線を送り撃退し。
女性ということで馴れなれしく接してくる人には、その近くに行き、持ち前のゴリラ並みの体格を生かした無言の圧をかけて、全力で排除してきた。
『いや、いや、歳を取るとな……ついつい――』
臣は背中を丸めて落ち込む。
『ほらー! そう言ってまた自分で落ち込むじゃないですか!』
『ガハハハッ! すまん、すまん! でも、立派になったな! 頑張ってこいよ!』
彼は豪快に笑い声を響かせると、娘のように思うマリンの肩を押した。
『ちょっと痛いですって!』
それを受けた彼女は「ムスッと」した顔を浮かべている。
だが、対する臣はその姿を見て少し誇らしげな表情をしていた。
『ハハハッ! そう言うが、全くよろけてないじゃないか! この2年で体幹もしっかりとしているな』
それはまるで娘の成長を喜ぶ父のような眼差しと言ったところだろう。
『は、はい……おかげさまです』
マリンは頬を赤く染める。
彼女が『おかげでさま』というように、この2年の間で、どこに行こうとも問題が無いよう鍛えられていたのだ。
『フフッ、そうか! 負けずにな』
臣は大きな拳を突き出す。
マリンもそれに応えるように拳を突き出した。
『はい! では、行ってきます!』
臣は嬉しそうに白い歯を見せると、もう一度マリンの背中を優しく押した。
『おう! 行ってこい』
――こうして、この後。
マリンは初めての異動をする運びとなり。
そこから6年間。
2ヶ月周期で、全国各地のジムを周り様々な経験を積んでいった。
初めこそ横柄な態度で接してくる人、挨拶を返そうともしない人やマナーを守ろうしない人などに戸惑っていたが、臣により鍛えられたことで、心の芯はほぼゴリラと化していたのだ。
まさに子は親に似るといったところだろう。
だから、今語気を強めるゴリラを目のあたりにしても、物怖じをすることはなく。
寧ろその姿や動きに臣の姿を想像してしまい、ついつい笑い声をあげてしまったのだ。
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