君と歩む、約束の小径
佐々森渓
第1話
――ビジネスの話がしたいのです。
そう書かれた手紙を
差出人は学園屈指の有名人、
しかも智恵理の生活圏を担当するのは、本来別の者のはずだ。
だが、わざわざ指名するということは意味があるのだろう。
閑は担当者に断りを入れてから、指定されたカフェテラスに足を向けた。
彼女はどこにいるのだろう?
閑はその切れ長の目を細めながら、入り口から店内を見回した。
こういう時、閑の高身長はプラスだった。
混雑するカフェテラスを見渡すと、いくつかのテーブルを固まって使っている少女たちが目にとまる。
《女王国》――そう呼ばれる
黒いセーラー服の胸元に、赤いバラのバッジをつけた少女たち。
学園の最大派閥だけあって、
その集団の一番奥、二人がけのテーブルに一人で腰かけ、他の子たちとは少し距離を取っている少女がいた。
ウェイブが少しかかった栗色の髪がよく目立つ、上品な顔つきの少女。
立ち上る茶の香りを逃さないよう、口元へティーカップを寄せている。
その瞼は伏せられていて、長いまつ毛が目についた。
カップを持つ細い指、白磁のように透き通った肌。
こくりと茶を嚥下する姿は、どこか近寄りがたい優美さを感じさせた。
彼女は、この学院でお嬢様といえば真っ先に名前のあがる有名人だ。
しかし、彼女はそんなことを鼻にもかけない。むしろ、その評価に困っているようですらあった。
だが、間近で見ると、それが謙遜でしかないことは明らかだった。
制服はまるで特別に誂えたかのように思えるし、他とは違う色味を持っているようなオーラがあった。
ただ美しいというだけではない、女王国という巨大組織で一二を争う派閥の長なのも納得できる。
彼女が白鷺智恵理。
閑を呼び出した相手であり、逃すにはあまりにも大きな魚だ。
緊張で硬くなる体を深呼吸でゆるめながら、閑は一団へと歩み寄っていく。
一団の端、制服からするに中等部だろう少女たちに声をかける。
威圧感を与えないよう、少し姿勢を低くして、楽しい時間に割り込むことを詫びるような表情を作った。
「お話中ごめんね。君たち、女王国の子だよね。白鷺さんに用事があるんだけど……」
突然の声を掛けられたことに驚いた少女たちは、その声の主に気づくと嬌声をあげた。
「お、王子……!」
その呼び名に、思わず苦笑した。
閑は171センチと女性にしては身長が高く、スレンダーな体形だった。
凛とした佇まいと、鋭い目元。後ろで一つに結んだおさげ髪が特徴的で、最近では王子という呼び名が定着していた。
「ええと、取り次いでもらえたりする?」
「あ、はい!」「こちらへ!」「わ、わたくしがご案内します!」
正気を取り戻した少女たちは口々にそういうと、慌ただしく立ち上がった。
客人がくることは共有されていたのだろう。智恵理の前へと案内してくれた。
「お、お姉さま! お話になっていたお客様です!」
見るからにがちがちになった少女の一人が、背を伸ばして報告する。
そんな少女に、智恵理はふんわりと微笑んだ。
微笑むことを花が咲くように、と形容することがあるが、まさかそれがぴったり当てはまる人間がいるとは思わなかった。
美女慣れしている閑も、思わず見惚れそうになってしまった。
それだけの経験値のある閑ですらこうなのだから、お姉様と憧れている少女が耐えられるはずもない。
ぼんっと音がしそうなくらいの勢いで、耳まで真っ赤になっていた。
「食事中だったでしょうに、ありがとう」
か細くも芯のある声だった。
少女たちの喧騒に紛れてもおかしくはないのに、不思議と耳にしっかり届く声。
指導者にはふさわしい声だ。
その造作といい、きっと神様のお気に入りなのだろう。
「僕からもありがとう。機会があれば一緒にお茶でもしようね」
智絵里が天賦の神々しさならば、閑は人造の王子様だ。
姿勢を低く、正面から目を合わせてゆっくりと聞き取りやすい発声で礼を述べた。
こうすれば喜ばれる……その人ごとに違うそれを、テーブルでの少女の話し方から考えて提供したのだ。
「い、いえ! お気になさらず!! ごゆっくり!」
二種類の神々しさにあてられた少女は、すっかり目を回してしまって、いそいそと頭を下げるとぎこちない動きで去っていく。
戻っていった先から黄色い歓声が上がるのが聞こえた。
今日のことは彼女たちのいい思い出になるだろう。
――さて、と。
小さく息を吸った閑は、少女から智恵理へ視線を移した。
智恵理の大きな瞳と視線が重なった。
長いまつ毛に縁取られた眼差しは、閑を捉えて離さない。
油断すれば、ペースを握られてしまいそうな、そんな印象を受けた。
「どうぞお座りください」
智恵理はゆったりとした笑みを浮かべ、閑に着席を促した。
言われるがまま腰を下ろし、ベルで呼び出したスタッフに茶を頼むと閑は口を開いた。
「お手紙ありがとう白鷺さん。何かご入用かな」
この学院は世間から隔離されている。
だが、うら若き乙女たちが流行から完全に離れられるわけもなく、そんな少女たちのために物品を持ち込む者たちがいる。
それこそが《烏》と呼ばれる閑の所属するソサエティの仕事だった。
「ご足労ありがとうございます。あなたが欲しいのですが、おいくらでしょうか」
その言葉に、閑は一瞬耳を疑った。
内容に対してあまりにも自然体だったから、自分がおかしくなったのかと思ったのだ。
「……それはどういう意味かな」
予想外の言葉に動揺を隠すように、少し眉を持ち上げた閑はそう返した。
自分の言った言葉の意味を理解しているのか、恥じらう様子もない智恵理は、困惑の表情を浮かべた。
「そのままの意味ですけれど」
どうしてこの人は値段を教えてくれないのだろう。そう言いたげな表情だった。
――ペースを握られている!
「勧誘なら断ることにしてるんだけど……」
無論、閑だって、わざわざ《烏》を呼び出して勧誘をしていると思っているわけではない。 そもそもビジネスの話をするためにきたのだ。
内容が想定外すぎて、反射的に守りに入ってしまった。
だってそれは、特別なお客様ということだから。
智恵理もそれをわかっているのか、閑が言葉を続けるのを待っている。
「……まあ、そんなわけないよね。だけど、少し不躾かもしれない」
「そうですよね……ごめんなさい」
「ああ、いや、いいんだ。それは別にいい」
なぜか特別悪いことをしてしまったように感じて、慌てて訂正した。
どうにもペースを乱されてしまう。
手ごわい相手だ。
「でもどうして? 君ならもっと気を使った言い方ができそうなものだけど」
言葉に、智恵理は語尾をあげながら「褒めてくださるんですか」と喜びを露わにした。
それがお世辞だとわかっていても、そうすることで閑の気持ちを宥めようとしている。
《女王国》で培われた技術なのだろうが、やりにくさを感じた。
「たしかに、一度はくだくだしく文言を並べて誘うことを考えました。けれど、あなたはそういう直截な言い方が好みだと聞きましたから」
「ふぅん」
紹介者に、ということだろう。そこまでわかっているならと、閑も頭を切り替える。
「なるほどね。君からそういう言葉が出てくるのが意外だったから。もしかしたら緊張のせいかもしれないと思ってね」
「ああ……そういう子もいるでしょうね。みんな親の言うことをよく聞くいい子たちですから、《烏》に仕事を頼むだなんて、緊張で言葉をいくつか飛ばしてしまいそう」
まるで自分はそうではないというような調子だった。
いいや実際、ここまで全てが計算尽くなのだから、彼女はこんなことでは緊張はしないのだろう。
こちらとしては、あまりにも自然体すぎて調子を狂わされてしまう。やりにくいというしかない。
「だけどあいにく、うちは人材派遣はやってないよ。それ以外のものなら……」
「石に花が咲くように、海の底にはそれが住む。……ですよね?」
なおもとぼけようとした閑に、智恵理はその言葉を差し出した。
それは閑が決めた合言葉。
《烏》の中でも一握りの特別である彼女が、客を選ぶための言葉だ。
それを聞いた以上、降参するしかない。
うっすら笑みを浮かべたままの智恵理が、また違って見える。
その笑顔の裏に何を隠しているのか、まったく掴めない。
底知れない、恐ろしい女だ。
タイミングよくやってきたお茶で喉を潤して、椅子に座り直す。
「どこでそれを、っていうのはマナー違反だね」
「私は別に構わないのですけど……だいたい、予想も付いているのではないですか?」
「残念ながら心当たりはないよ。それはともかく、本当にそれをお求めでいいのかい? 君なら、わざわざ対価を差し出さなくても……」
言ってしまってから、まずいことを言ったなと気づいた。
あまりにもペースを乱された苛立ちで、言葉選びが疎かになっていた。
自分を求めるということは、その者たちでは足りないということなのに。
「そうですね。あえて、あえて口にしましょうか」
「言わなくていい。すまない。僕が悪かった」
「いいえ、言わせてください。腹を割る、という言葉もあるでしょう?」
くすり、とさっきまでと変わらない笑い声が、いやに冷たく聞こえた。
「たしかに、私が求めればあの子たちは差し出すでしょう。私たちがお姉さまにしたように、あるいは歓喜と共に、あるいは恐れと共に。けれどそれでは、何も得ることはできない。私が求めるものは、何も、何一つとして」
この少女は、自分を通して何を得ようとしているのだろう。
この学園で手に入らないものなどほとんどないだろうに、あえて財を投じてまで得たいも
とはなんなのか。
「だってそれは憧れの歪んだものでしかない。彼女たちには特別だけれど、私には特別ではないのです。なぜなら、私にとって、あの子たちはみんな同じだから」
どこか疲れたように智恵理は囁く。
カフェテラスに充満する彼女を慕う少女たちの談笑が、どこか遠くに感じた。
「……君は、本当は何を求めているんだい」
「改めて言葉にすると、気恥ずかしいですけれどね」
言いながら頬を少し赤らめた智恵理は、すっとテーブルから身を乗り出して閑の耳元で囁いた。
「私は愛を知りたいのです。そう遠くない未来、ただの鎹と成り下がるより前に、それに伴う快感も体験も、何もかもを味わいたいのです」
その声には切実な熱量があった。
そのためならどんなことだってする……そういう人間が放つ熱だ。
「それは……難しい注文だね」
「出来ませんか?」
智恵理が、甘えるように手を握ってくる。
ここまで
「僕に出来るのは、真似事だけだよ。昔からそう。そうやって、隣を埋めて……埋まっていないと耐えられない人を支えるのが、僕という
あれだけ真摯な告白の前に、模造品しか差し出せないのはあまりに心苦しかった。
思わず顔に出てしまった閑の複雑な感情を見て、智恵理はほっとしたように優しく微笑んだ
「だからこそ、私はあなたを呼んだのです」
「なるほどね……」
閑は深くため息を吐いた。すっかり喉が渇いていた。
「これからよろしく頼むよ」
「はい、こちらこそ色々なこと、お願いいたします」
そうして、テーブル越しに二人して笑みを向け合う。
ただそれは、今はまだ少し虚ろ。形だけのものだ。
「楽しみに、していますね」
愛を得たいと焦がれるその想いだけが、空っぽの器に注がれている。
閑は、握られた手を握り返しながら、自分に何ができるだろうと深く考え始めた。
閑は、智恵理がこの学園を巣立つその日まで、彼女の心を様々な色で染められるよう、全力を尽くすことを心に決めた。
彼女の求める愛を、二人で一緒に見つけ出していくのだ。
これからは忙しい日々が続くだろう。
二人が手を繋いでいることに気づいて、近くのテーブルが賑やかになっていくのを聞きながら、そんなことを考えていた。
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