ソフトキャンディとラムネ
おれんじ
ソフトキャンディとラムネ
カンナは、うす暗い部屋の中、ベッドから身を起こした。カーテンを開けようとするが、体中がさびついたように動かしづらい。長いことねむりすぎたみたいだ。今は梅雨。外は雨で、カーテンを開けてもまだ暗い。白い目覚まし時計は十時半を示している。いくら休みの日だからって、これだけねむっているなんて、もし会社のせんぱいのユリさんに知られたら、本当にあきれられるんじゃないだろうか。いつものカンナだったらそう思うことだろう。しかし、今日のカンナにとっては、そういうことはなんだかどうでもよかった。そんなことより、また、あの夢を見た。
カンナは、なぜかはわからないが、夢によく昔のクラスメイトを見た。そういう夢を見た日は、なんだか昔がなつかしいような、しかし戻りたくないような、ふくざつな気持ちになる。あいつは今、どうしているかな。いつもなら夢のことも忘れて、生活に戻っていく。しかし、今日はやけに夢に出てきたあいつのことが頭からはなれなかった。料理がにがてなカンナは、シリアルに牛乳という簡単な朝食をとったあと、自分の部屋にもどった。クローゼットを開け、奧の段ボールから小学校のアルバムを取り出した。写真にのこるなつかしい顔、顔、顔がカンナの心を、カンナがゆるしてもいないのになでていくような心地がした。そして、さらにページをパラパラとめくったすえに、見つけたのだ。あいつの写真を。彼は走っていた。運動会の写真だ。それを見たとたん、なぜかあの日のことを思い出した。写真の運動会とは関係ない日のことなのに。
強い日ざしの中、ひたいに汗を流しながら歩く少女がいた。彼女のやや茶色がかった、長くてクセのある黒かみは、ゆわれることもなくふわふわと風になびいている。彼女は白いフリルのついたノースリーブと、グレーの布地に、すその方に赤、青、白のししゅうのかざりがついた、くるぶしまである長いスカートをはいている。手には水色の、ビニルせいで、ファンシーな白い犬のようなキャラクターの絵が描かれた水泳バッグを持っている。彼女のまゆは、こめかみに向かってスッと上にのび、くちびるはかたく結ばれていた。彼女は、いつもよりおしゃれな服を着ていたのに、おこっていた。彼女は歩みを止めることなく、校庭の中をずんずんと先へ進んでいった。
すると、うしろから走ってきた少年が一人いた。ふかみどり色のTシャツに、ベージュの短パン、手には青い水泳バッグといういでたちだ。少女は少年の「カンナ」とよぶ声にふり向き、足を止めた。
「何?」
カンナはぶっきらぼうに言った。
「戻ろう」
「やだ」
カンナのあいかわらずぶっきらぼうな言いかたに、少年はためいきをついた。
「お兄ちゃんだけもどればいいじゃん」
カンナはさらにつづけた。
「でもさ、ほら、みんな待ってるから」
という兄、トウヤの言葉に、
「ワタルがいるからやだ」
というカンナ。この言葉に、はぁーというさらに長いためいきをついたトウヤは、しばらく何も言わずに、サンダルの先で地面をザリザリともてあそびながら、カンナがもどる気になるのをまっていた。カンナも、今はふたたび歩き出す勇気はなく、ただ地面にできる、自分と兄の黒いかげの形を、じっと見つめていた。どこかでせみがないていた。
ふと、トウヤが、
「これ、あげるから」
と、ポケットから取り出したのは、小学生に人気のおかし、『ソフトキャンディぷっちぇ』の銀色のつつみだった。
「これ、食べていいから、もどろう」
カンナは、ぷっちぇをにくらしげに見つめていた。しかしもどる気は起こらなかったらしく、まだ立ち止まったままでいた。
「ほら、あの人たちも来るから、早く」
トウヤは、遠くからやってくるPTAのおばさんをみて、そう言った。カンナも、この人たちにはかなわないと見て、
「じゃ、ちょうだい」
と言ってぷっちぇを兄からうけとり、つつみをあけて口にほうりこんだ。ぷっちぇはソーダ味だった。
こども会のむれの中にもどると、ワタルがこっちを見ている気がしたが、カンナは見むきもしなかった。道すがら、小さくなったぷっちぇをなめながら、
「お兄ちゃん、何でおかし持ってたの?」
とカンナはトウヤにこっそりきいた。
「ああ、ワタルくんにもらったんだよ」
え、とカンナはかたまり、ワタルの歩いているななめ後ろの方を見た。カンナと同級生でお調子者のワタルは、二つ年上でひねくれやのサトルと、クールなリクと一緒に並んで歩いていた。三人は今、昨夜放送されたアニメの話をしている。サトルの方が、カンナのしせんに気づいたらしく、カンナを見た。
「大丈夫だよ、それカンナの分だから」
サトルはニヤリと笑って言った。
「ほら、トウヤ、もういっこ持ってんだろ?」
とサトルはトウヤにきいた。
「うん」
とトウヤは、おばさんたちがお話にむちゅうになっているのをいいことに、ぷっちぇを取り出して見せた。カンナは、だまってそれをふしぎそうに見たあと、ワタルの方を見た。
「ちげーよ、ひとり二個やったんだよ」
とワタルは強めに言った。
「え?ひとり二個だったの?じゃー俺にもういっこちょうだい」
とサトル。
「おい、サトルにはさっき俺からもやったじゃんかよ」
とリクがさとす。
「つーか、なんでケンカしたの?おまえら」
サトルがおもしろそうにきいた。
「だって、ワタルがわるくち言ってきたから」
カンナは、うらめしげにひくい声で言った。
「なんて?」
「かみの毛バクハツしてるねって」
大きなわらい声があたりにひびいた。サトルとリクがわらっている。しかしトウヤとワタルはわらっていなかった。
「ちょっと」
カンナのようすを見たトウヤがそう言った。
「あーあ、なかせた」
リクが言った。カンナの目はなみだをためて、今にもあふれ出しそうだった。
「あやまったら、ワタル?」
サトルがますますおもしろそうにワタルをなじった。
「べつに、なかせようとおもって言ったわけじゃねぇよ」
ワタルが強い口調で言った。しかしカンナはまだなきつづけている。
「本当だって」
ちょっとこまったような声になってワタルがつづけた。
「あやまれ、ワタル」
リクがぼそっとワタルに言った。あんまりカンナがなきつづけるので、サトルも、ワタルをこづいている。
「ごめん」
ワタルがつぶやいた。
「ごめんだって、カンナ」
サトルがカンナにむかって言った。カンナはすこしおちついてきたが、まだ手で目をぬぐうようにかくしていた。
「カンナ、ワタルくんもわるぎはなかったんだって」
トウヤも、カンナをなだめた。
「でも」
カンナはヒックとおえつしながらやっと言い出した。
「私がクセ毛だってことにかわりないじゃん」
この言葉に、ワタルが、
「ごめんって言ってんじゃん。本当にわるぎなかったのに。カンナなんて一生ないていればいい」
といかりをあらわにした。ワタルは、はや歩きになって、列の先頭をおいこし、さらにその先まで歩いて行ってしまった。
「こら、ワタルくん、ひとりでそんなにいかないの」
車のすくない道ではあるが、列からはなれるワタルを見て、あぶないとばかりにさけぶおばさんの声をききながら、カンナは、なにかとりかえしのつかないことをしてしまったような気がした。彼におこりすぎた、と気づいたのだ。しかし、
「カンナもなきすぎだよ」
とサトルが言ったのをきいて、
「なんで?だって、ワタルが先に……」
とカンナがあらがおうとすると、
「カンナ、マジでワタルは、わるぎはなかったんだとおもう」
と、あまりカンナにしゃべることのすくないリクがそう言った。
「というか、ほめたつもりだったんだとおもう、あいつ」
とリクはつづける。
「あいつ、ごいりょくないし、すなおでもない。でも、あいつは人のこときずつけてわらうようなやつじゃないよ」
ごいりょくとはなにかカンナは知らなかったが、リクの言葉に、少しカンナの心はうごかされた。
「あーあ、ワタルのやつ、あんな遠く行っちゃって」
青ざめて「どうしよう」とつぶやいたカンナに、
「あやまりに行くか?」
とリクはきいた。
「というか、なだめに」とサトル。
さっきまでカンナをわらったりしていたくせにリクもサトルもまじめに持ちかけている。
「うん、けど……」
カンナはゆっくりなやみながら言った。
「ゆるしてもらえるのかな」
しんぱいするカンナの言葉に、サトルは、
「カンナ、手、出せ」
と言って、カンナの手に何かをのせた。
「これ、リクとトウヤにはあげたけど、ワタルにはまだあげてなかったんだ。というか、今日はあいつにあげる気なかったんだけど。あいつ、まだこれのこと知らないから、お前からってことで渡せばいいよ。多分これでキゲンなおる。こーいうの、あいつ好きだし」
手の上には、五、六個のつぶがきいろいビニルにつつまれたラムネがのっていた。でも、とサトルを見たカンナに、
「もちろん、あとでおれになにかかえせよ、ばいがえしだ」
とサトルは強く言った。
「うん」
「じゃ、さくせんけっこうだ。おーい、ワタルーっ」
リクが大声でよびながら走り出した。サトルもトウヤもつづく。カンナも、走った。
せの高いひまわりのさいているかだんのそばにワタルは立ち止まっていた。やっとおいついたカンナは、まだワタルがおこっているな、と思った。
「あとはじぶんらでかいけつしろ」
とうしろにさがったサトル、リク、トウヤにのこされたカンナとワタルは、おたがいにすごく気まずいおもいをしながら立っていた。うしろの列の人たちはまだ来ない。サトルたちはかなりうしろまでさがっている。かだんのひまわりはなにも言ってくれない。せみのなき声だけがむなしくひびいた。汗がうでをつたっておちる。勇気を出さなければ。
「ワタル、ごめんね」
やっとのことでそう言ってカンナは手を出した。ワタルは
「こっちこそ、ごめんな」
とラムネを受け取った。そして、
「これ、サトルくんのでしょ?」
とニヤリと笑った。
「何でわかったの?」
とカンナが言うと、
「だってサトルくん、いつもこれ、くれるもん」
と言ってきいろいビニルをねじり、もぐもぐラムネを食べ出した。
「あー、うめー」
食べたしゅんかんに空を見上げて、大きな声でさけんだワタルを見て、カンナは、あやまってよかったとおもった。
「カンナも食う?」
カンナが、あんまりまじまじと見ていたので、食べたがっていると思ったのか、ワタルがラムネを分けてくれた。
「あ、うま!」
「だろ?」
今までカンナは、ラムネはあまりおいしくないとおもっていた。すっぱすぎるのだ。しかしなぜだろう、このラムネはさわやかに感じておいしい。
「本当に、わるぎがあったわけじゃないから」
ワタルがふいにそう言った。
「うん」
「カンナがかみのこと気にしてるとは知らなくて」
「うん、もう気にしてない」
え、という顔をしたワタルに
「ワタルは、ごいりょくがなかっただけなんだよね」
「ごいりょくって何?」
「私も知らない」
すこししずかなじかんがながれた。
「しかし、ラムネはうめーな」
「うん、おいしい、これ」
「うん、おいしー」
「てか、サトルくんになにかえそう?」
「うめーもんがいいよ、なにか」
うまい、うめー、おいしい、おいしー。二人の口からは、それ以外にラムネのおいしさを言いあらわす言葉が出なかった。しかし笑いながら、サトルたちのいる方に向かってだらだら歩いていった。この日の空は、ラムネのように爽やかな青だった。
その後、カンナとワタルは小学三年生になってクラスが別々になったが、五年生になってまた同じクラスになった。ワタルはあまりまじめに勉強するタイプではなかったが、運動がとくいで走るのがはやかった。人となかよくなるのもうまかった。あくまでもカンナから見てだが、がさつそうなワタルにしては意外なことに、家庭科の料理もうまかった。(あとで考えてみたが、彼の家は母親が一人で働いていることもあって、母が留守の時に料理することになれていたのではないか)そんなワタルとカンナは、とある日の席がえでとなりどうしになった。いくらおさななじみとはいえ、五年生になってからはそんなにおたがい話すことはなかったので、カンナはこれをきっかけにまたなかよく話せるんじゃないだろうか、と思って少しうれしかった。しかし、カンナが話しかけても、ワタルはそっけなかった。カンナは彼にきらわれているのだ、と思った。そして、その何倍も彼をきらってやろうときめた。彼女は、クラスメイトの男の子と、先生の目をぬすんで悪ふざけをするワタルを相手にしなくなり、カンナ自身はまじめに勉強するようになった。
小学校を卒業し中学に入り、またクラスがはなれたが、中学二年になり、またもや同じクラスになった。その時はもう、カンナとワタルはまったくちがう世界にいるようだった。おたがい話もしない、見むきもしない。部活にいそがしく、かつやくしている、ようきなワタルと、教室のすみでなにかにとりつかれたように、本や教科書を読んでいるカンナ。二人は光とかげのように、反対のところにいた。
中学の終わり、カンナはいじめられるようになった。明るく、美しいとされる女の子たちが、いんきなカンナのことをちょうど良いおもちゃにしようとしたのだ。カンナは、みじめさと強いいかりを感じた。しかし、前のようには、あの夏の日のようにはおこれない、声を上げられないカンナになっていた。カンナは学校が死ぬほどいやだったが、決して彼女たちのために休んでやるまいと毎日学校にかよった。
そのあと、彼女は高校の受験に合格した。クラスの中でも他にいない、県で一番有名な進学校へ行けることになった。そんなことで、いじめられた彼女のみじめさもいかりも、そのあと消えることはなかったが。
カンナはワタルがどこの学校に行ったのかは知らない。知るよしもなかった。
カンナはアルバムを閉じると、それをクローゼットにしまった。代わりに机につきピンク色のノートを開いた。
このノートは何年か前から書いている、いわゆる夢ノートというものだ。夢は紙に書くと本当にかなう。テレビでとある俳優がそう言っているのを見て、カンナも書くようになった。たとえば、こんなことが書かれていた。
やりたいこと
・好きなアニメ『おいしいラビリンス』を見る。
・フランス語の勉強をする。
・ドラマを見る。
・おしゃれをする。
・くつを買う。
・イラストを描いて、売る。
・ギターをうまくひけるようになる。ウクレレも。
・旅でもする。
・ユリさんとライブ行く?
・あぶら絵を描きたい。
・スマホケースを買う。
・バーベキューをする。
・募金する。
・勉強する。
カンナは自分の書いていたものをひととおりながめると、ペン立てからミント色のシャープペンシルをとり出し、新しいページにこう書き足した。
・語彙力をつける。
・なんでもいいから運動する。
・料理をする。
ここまで書いてしばらくなやんだあと、彼女はこう書きくわえた。
・新しい友達をつくる。
こんなことを大人になって書くのはばかげているのだろうか。しかしカンナが、それを消しゴムで消すことはなかった。
いつの間にか雨はやみ、まどの外から光がさして、部屋はさっきより明るくなっていた。
よし、今度、会社のせんぱいのユリさんに、ライブにいっしょに行けないかさそってみよう。ユリさんもあのバンド好きだったし、連絡先もこうかんしたし。そうときまれば、なんてさそうか考えねば。ライブの日づけもかくにんしなくちゃ。
カンナはその時、見なかったが、その日外では虹がかかっていた。この梅雨が明ければ、また夏が来る。そして、上空には爽やかで真っ青な空が広がるのだろう。
ソフトキャンディとラムネ おれんじ @orange_77pct
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