5. 昼下がりの訪問者

 

・ ・ ・ ・ ・



「♪先先先代から、俺はー♪」



 数日後の昼下り。料理人アンリはひとり、厨房流しの前に立っていた。



「♪君を、みがき始めたよー♪♪」



 ぐわっし、わっし、わっし! たわしを力強くこすりつけて、平鍋ティー・ハルを洗っているのだ。


 みごとに調子っぱずれ、料理人はおんちである。何の替え歌なのかさっぱりわからないが、本人が楽しそうなので良しとしよう。



――今日の昼は、本当に嬉しかったなぁ~!!



 周辺の事務所や倉庫で働いている男性らが、昼食を食べに来てくれたのだ。どの面々も、以前来てくれた人。つまりアンリの料理を気に入って、再来してくれたのである!


 数としては少ない。けれど常連になってくれる可能性が大いにある客たちに、アンリは全力投入の態度でのぞんだ……。お代わりをしてくれる人、そっけなくも「うまかったよ」と言ってくれる人。ああ、料理人としてこんなに幸せなことはない!



「今日もお疲れ、正義の焼き目ティー・ハル。よくやってくれたよ……」



 かめの水をかけてすすぎ、ぶんぶん振って水を切りながら、アンリは平鍋につぶやく。



『お前もな』



 魂の宿った古い鍋の言葉は、もちろんアンリには聞こえない。それでも鍋は満足である、焼きたてづらのこの若僧が、料理人として少しずつ成長してゆくのを見るのが嬉しいのだ。


 とっとっと……!


 玄関扉の呼び具が叩かれる音を聞いた気がして、アンリはふきんを使う手を止めた。



「わたしが出まーす」



 客間を片付けていた女将のエリンが、早歩きで廊下へゆく気配。


 誰かしらん、とアンリはいぶかしむ。“営業中”の看板はとっくに裏返しているのだから、お客じゃない。午後のたよりの配達には早すぎるし……。



――ふぁっ! まさか、何かのお金の取り立てではッ……。いかん、ナイアルさんはまだお手洗いにこもっているのだろうかッ!?



 胸中をよぎった不安のせいで、料理人の顔は暗くなった。てかりが瞬時に消え、二日前の売れ残りぱんのような惨めな様相になってしまった……かたいが、食べられる……。



「まあっ。 ……皆さーん、来てー!」



 エリンの呼び声に、どきりとびびりかける。アンリはきれいにしたばかりの平鍋を胸に抱きしめて、厨房から飛び出した!


 広く長い廊下、手洗から出てくるナイアル。階段をぎしぎし言わせて降りてくるダン。



「おひいさまー、どうなすったんですッ?」



 アンリは緊張して、玄関前のエリンを見た。くるっと振り返った顔が笑っている。



「ミサキお婆ちゃまよ!」



 わりと横幅のあるエリンの腰から下、そこの裏からふーいと現れたのは。


 ……枯草迷彩しみしみ柄のつなぎもんぺ服をびしっと着こなした、小柄な老婆の姿だった!



「岬のお婆ちゃーん!?」



 またたく間に焼きたてに戻ったアンリは、小さなお婆ちゃんをがしッと抱きしめた!



「何だ、どうしたんだ。来てくれるなんて、お婆ちゃんッ?」



 アンリの上から、ナイアルがお婆ちゃんの肩を抱く。



「……ひとり? イスタは?」



 高ーいところからぼそりと聞くダンに、老婆はふるふるっと頭を振った。


 その時後ろの玄関扉が開いて、麦わら帽子をかぶった庭師仕様のビセンテが入ってくる。獣人は牙……じゃなかった、犬歯をむいた。彼なりの笑顔である。



「岬のばばあ」



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