金色のひまわり亭にいらっしゃい♪ジュテーム!腹ぺこちゃん

門戸

1. 祝・開店! ひまわり亭にいらっしゃい

 

 ぺかーッッ!!


 どよっと曇った薄灰色の空の下に、不自然にてかり輝く光源・・があった。


 白亜の城塞都市テルポシエ。光は海に面した南区、とある邸宅の厨房・窓ぎわから発されている……。


 異様な光の出どころは、おごそかな面持ちで空を見上げる料理人アンリの頬っぺた、焼きたて顔であった。



「そろそろ、時間だ……!」



 年代ものの平鍋の柄を右手に握りしめ、血色の良すぎる頬を赤くてからせながら、彼はつぶやく。



・ ・ ・ ・ ・



 薄灰色の空に、かもめが無数に飛び交っている。


 ぐ、ぐ、ぐ…… ごん。


 接岸の瞬間はどこもかしこも静まって、こんな巨大な船に何十人もの人間が詰まっているのが嘘のようだ。


 それは港の側でも同じこと。


 家族を、お客を、荷物を迎えに来た人々は息を詰めて、固唾かたずをのみながら、ティルムン通商船のテルポシエ港到着を見守っている。


 やがてもやい綱がきっちりと結わえられ、水夫らが渡し板をてきぱき出してくると、皆ざわつき始める。


 さわさわ……ざわざわ……あっ、誰か降りた!



「お父ちゃーん」


「お帰りなさーい」


「マンボ興産さまー、こちらです~」



 わらわらわら……。積荷に先んじて、まずは人間さまの下船である。


 感動の再会、ほっと安堵の帰郷、やる気むんむんの新市場開拓……。それぞれの目的をたずさえて長い船旅に耐えてきた乗客たちは、皆一様に疲れ切っている。しかし疲労にまじって、どの顔にも再び地を踏める喜びが輝いていた。


 大きめの旅行かばんを両手に提げて、よろめきながら渡し板を踏んできた痩せっぽちの青年がいた。背中にも大きな麻袋をしょっている、遠国ティルムンからやってきた若い商人らしい。彼は少し前の方にかたまっている仲間たちのところへ行こうとして、ばてて・・・しまった。ふうふう、と息をつぎつつ両手のかばんをちょっとだけ、地面に置く。


 さて、もう一度つかみ上げよう……としたところ。



「あ、ああッ」



 青年はぎょっとした。左右を通り過ぎた二人の人物が、そのかばんを持ち上げて早足で行ってしまう!



「ど、どろぼうッ」



 あんまりびっくりしたから、出て来た声も小さくしゃがれていた。


 青年の大切な商品見本の入ったかばんを奪った二人の人物は、周りにいる下船客や迎え人の雑踏にまぎれて、すぐに見えなくなってしまう。


 彼が青ざめた、その瞬間。



「ふぎゃんッ」



 小さな叫び声が上がる。人々がすいと身を引いて、場がひょいとひらけた。


 その真ん中、白い前掛けをつけた店者たなものふうのイリー人の男が、片手で若い男……こどもみたいな奴の腕をねじり上げている。


 さらにその少し後ろでは、もう一人の男が長い髪を揺らし、やはり大きな少年の首根っこをつかんで、顔を下向きにさせていた。つかまれた方は両手をばたばたさせているが、どうにも完全に力を封じられているらしい。少年二人は相次いで、青年から奪ったかばんをばたりばたりと取り落とした。


 ぱっ! イリー人の男ふたりが同時に手を放すと、大きな少年たちは網から外された川魚みたいに、するするするっと手ぶらで逃げていった。



 下船客の青年は、全てを目の前で見ていたけれど、凍りついたように動けないでいる。そこへ、長髪の方のイリー男がかばん二つをひょいと拾って、差し出してきた。



「嫌だねぇ、すりだよ……」


「髪と顔と、見たかい? 流入民の子どもじゃないかね。いやらしい」


「巡回騎士はいないのか、ここ」



 おずおずとかばん二つを受け取る青年の耳には、周囲の人々がざわめき立てる正イリー語も入ってこない。異郷でいきなり犯罪に巻き込まれかけて、青年はひどく動揺してしまっていた。


 ふわぁん……。


 そこへ、香ばしく甘やかな匂いが漂ってきた。



「もう大丈夫ですよ。ようこそテルポシエへ、だんなさん!」



 そこで初めて、若いティルムン商人は顔をはっと上げた。さっき、すりの一人をねじり上げて彼のかばんを取り返してくれた男が、目の前に立っている。



「あ、あの……。えらい、すんません……」



 青年がどもりがちに言ったティルムン語の感謝の言葉に、イリーの男はぎょろッとしたみどりの瞳を大きく見開いて、親しみのこもった笑顔を向けてきた。



「いいんですよ、ご無事でよかった。ほっとしたとこで、潮汁うしおじるはいかがです? 料理屋の味見なんで、お代はいただきませんよ」



 ぎょろ目男が片手に持った丸盆の上、小さな陶器椀の中からほこほこ湯気が上がっている。すてきな匂いも、そこから香ってきているらしい。



「……いいんですか?おおきに、ありがとう」



 今度は用心深くかばんをすぐ足元に置いて、若い商人は椀をひとつ受け取った。


 襲われた衝撃で震えていた両手に、やわらかい熱がしみて落ち着く。昼にはずいぶん早いけれど、彼は小腹がすいていた。そしてここは、故郷に比べて何と寒々としたところ……。あたたかいものは嬉しかった、すぐに口に運んですする。実は何も入っていなくて、明るい褐色の透明な汁が、白い陶器椀の中でゆらいだ。



「わあ……、うまいなあ……!」



 思わず、声に出てしまった。温かくてまろやかで、……何てほっとする味!



「君、どうかしたんかー?」



 ようやく気がついたらしい。連れの年かさティルムン商人が、ひょこひょこと近寄って来た。



「そちら様も、どうぞどうぞ!」



 小さな盆に載せていた椀をもう一つ、ぎょろ目男は如才なく差し出す。



「へえ、ええなあ。甘くてしょっぱくて、すっきりもしとるやん?」


「おや、何かもらえるの」


「私にもちょうだい。お兄ちゃん」


「どうぞどうぞ、皆さんにあります!」



 ぎょろ目男は、ぐるっと後方に腕を差しのべた。そこにあるのは簡易屋台、でかい鍋からもうもう湯気がたっている!



「リリ! どんどんいでくれッ」


「はいっ」



 ティルムン商人ご一行は、そこにわらわらと集まって行った。


 一番先に汁をもらった青年は、同僚に手際よく椀を差し出している年頃の娘が、ぎょろ目男にそっくりなことに気づいて首をかしげる。


 きょろっとした目に太い眉。きらッと輝く濃い金髪を紅色てがらでおさげにくくり、白い前掛けをきりりと身に着けて……なかなかの美人である! お兄ちゃんと同じ顔なのに、こっちだけ粋なのは妙だなあ、ともう一度反対側に首をひねった。



「まいど、南区“金色きんのひまわり亭”でございます!」



 椀を配りながら、ぎょろ目の副店長ナイアルは高らかに、朗らかに言った。



「お試しのうしお汁が、お気に召しましたら! ぜひとも店の方で、お食事いかがでございましょ~う!」


「あ、お店があんねんや?」



 ティルムン商人一団のかしららしき、初老の男がナイアルに近づく。



「おつゆがこうなら、ごはんもうまいのやろな。どうゆう料理出してんの?」


「はい、テルポシエ自慢の鍋ものでございます。身体の芯から、あったまりますよ」


「鍋かー……ええなあ。ほな皆、ちょいと早いけど、お昼に行こか~?」



 わああ、おおお! なごんだ声があがる。



「まいどぉぉぉ! ようっし、ビセンテ! ご案内だぁぁッ」



 屋台の後ろからふらりと現れ出た長身長髪の男に、商人一行は一瞬ぎくりとした。そう、さっきすりをねじり上げていた、もう一人の男である……。


 ぎーんとするどすぎ、野性的な肉食獣のごとき蒼い双眸……! 食べに行くはずが、何かたべられそうだ! 大丈夫なのか、こんなおっかない人相の店員を使っている店なんて!?


 しかし長髪の獣人は、すいと何か長いものを手に掲げた。棒の先っちょ、白い三角旗に金色ひまわりの絵が輝いている、……かわゆい!


 ビセンテはそれを掲げたまま、すたすた歩いてゆく。……と思ったら、くるりとまわれ右して戻って来た。すりに襲われかけた若い商人の前に来ると、旗の棒を横向き口にくわえ、商人の手から両手にかばんをつかみ取る。



「えっ……あのう、いいんですか……?」



 一番下っ端、荷物持ち役であるこの若者にぐぐっとうなづくと、ビセンテは再び歩き出す。



「はーい皆さん! あの旗を持ったやつに、ついていってくださいねー」



 にこやかぎょろ目男に促され、商人の一団はぞろぞろ獣人についてゆく。



「お料理屋さんの宣伝なの?」


「私にも、もらえまっかー」



 うしお汁の屋台に気づいた他の下船客や出迎えたちが、そろそろと近寄って来る。



「どうぞ、ご賞味くださいませー」



 若々しくも板についた愛嬌たっぷりに、汁をふるまう姪のリリエルの横。こちらも満面で愛想をふりまきながら、副長……じゃなかった、“黄金きんのひまわり亭”副店長のナイアルは、胸のうちで絶叫している。



――来たーッ。来た来た来たッ、客が来たぁッ。たのむぞ……おひい、大将、母ちゃん……新生・第十三遊撃隊! アンリ、お前の鍋の見せどころだぞうっっ。




・ ・ ・ ・ ・



「ぬおおおおおおッ」



 焼きたてぱんのような血色のよい頬が、燃え盛るかまどの火に、ぺかっと輝く!


 そこに据えられたふつふつ煮えたぎる大鍋の中に、おたまがどさっと突入した。柄を握る袖まくりした腕は、もじゃもじゃのもりもり……こっちも光った、ぺかッ!



「はまうり赤宝実とまと煮、ふたーつ!! ぷ・れーッッ!!」



 料理人の白い帽子からはみ出した、まき巻き苺金髪がふるふる揺れる勢いにて、アンリはうなった!


 乳色内装の新しい、ふだんは居心地の良い厨房の中で、おとこの気合が嵐のように猛り狂っている……ああ、熱くるしい!



「はーい、はまうり~」



 厨房と客間とを仕切る長台の上に、ぎょろっと翠の目が輝いた。ナイアル……ではない、その母である。きちっと結い上げた銀髪のてっぺんに紅色てがら、同色の紅の目立つ口角をきりっと上げて、そっくり伝説最年長のおばさんは、皿を両手にひょいひょい行ってしまった。


 入れ替わりに、白い頬をふわりと紅潮させた女将のエリンが、長台前に立って言う。



「アンリ君、鶏のみつば煮三つと、はまうり赤宝煮二つよ! それと、玉子とじをご所望のお子さんがいるの。いけるわよね!?」


「うぃいいいいッ! おひいさまぁッ」



 ぺかぺかぺかッ! またしても、料理人アンリは頬ぺたをてからせた。ああ何と血色のよい顔だ、彼は調理台の上方、壁にかけられていた平鍋に手をのばす……外す! がちッ!



「お前の出番だ。うなれぇぇぇ、正義の焼き目ティー・ハルーっっっ」


『玉子とじぃぃぃ』



 魂の宿った古い平鍋もまた、アンリにこたえて雄叫おたけびを上げる!


 一人とひとつ、もはや離れ得ぬ絆で結ばれたたちの熱くるしい咆哮が、にぎやかな笑いに支配された客間を通り過ぎてゆく……、 ということはない!



――……厨房の壁に、防音板しこんどいて本当によかったー。



 廊下から、ちろっと客間をのぞいたダンは、高ーい所にある坊主頭をすぐに引っ込めた。


 十個ある卓子はほぼ満席、お客はみな楽し気に食べて飲んで、しゃべっている……。良いことじゃん?と口角をあげてわらった、こわい笑顔である。


 そして玄関脇、お客用外套かけの持ち場に戻る。大きな衣料用毛払ぶらしを取り出すと、そこにかけられた色とりどりの上衣うわぎにさかさか、あて始めた。



――うーん。こういう、ださい型が最近のティルムンの流行はやりなのかなあ。俺だったら着なーい……あ、でも裾の切り込み入れ方は、参考になるかも……?



 昼営業の現場では全く何の役にも立たない店長(副業)は、本日もぶっちぎり平常心である。本業のお直し職人として、むしろ見えないところで役に立っていた。


 ひょろんと巨大な彼の後ろ、隅に置かれた小卓の上には、まだ新しい芳名帳がある。


 その隣、白い壺に活けられた大輪のひまわりの束が、アンリの頬同様にきらきらと輝いていた。


 そう……ここは新しく開店した料理屋、“金色きんのひまわり亭”。



「腹ぺこちゃーん!! いらっしゃぁぁぁい!!」



 じゃかじゃかじゃか。


 平鍋上で刻み玉ねぎを五回転半させながら、主人公の料理人アンリは、またしても雄叫びを上げた……。





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