虹の記憶

おれんじ

第1話 菜の花畑から

 雨の雫が時折落ちてくる桜の木の下で、あやかは1人、泣いていた。

 今日は、菜の花遠足の日だ。小学三年生のあやかは、学校の行事で、地域の菜の花畑まで遠足に来ていた。楽しみにしていた菜の花遠足だったが、あやかは、一緒に歩いていた同級生の男の子にいじめられてしまった。彼に涙を見せまいとしたあやかは、いきなり走り出し、気づくと1人で菜の花畑を離れ、迷子になってしまった。おまけに雨まで降り出して、あやかはやっとのことで一本だけあった大きな桜の木の下にたどり着いて雨宿りしていたのだ。

 涙はとめどなくあふれ出てくる。彼は、少しほおの赤いあやかの顔をからかって

「ア○パンマン」

と言ってきた。あの国民的ヒーロー、ア○パンマンが嫌いなわけじゃない。でも、悪意ある言葉には、いくら普段おだやかなあやかでもたえられない。あやかは1人、彼をにくたらしいと思っていた。

 その時だった。

 空の向こう、おおわし山の見える方角に、大きな虹がかかっているのを、あやかは見た。

 すごくきれい。

 あやかは、桜の木の下から一歩前へ踏み出した。雨は、ほとんどやんでいた。

 あの虹の上を渡って、どこかへ行けたらどんなにすてきだろう。

 あやかはそう思いながら、虹の方へどんどん歩き出した。虹は、どんなに歩いてもなかなか近づかない。でも、そんなことはかまわない。あやかは、あの虹に近づきたくて、歩みを進めた。

 そしてふと、気づいた。足元のふみごこちが、何だか変だ、と。歩きづらいし、ふわふわしている。

 あやかは虹から目をそらし、足元を見た。そこであやかはやっと、さらさらした砂を踏みしめていることに気づいた。

あやかは、いつの間にか、砂浜の上にいたのだ。それも、ただの砂浜ではない、海の上にある、一本道のような砂浜だ。

「すごい、本当に 『どこか』へ来ちゃったんだ」

 あやかはそれが嬉しくて、砂の道を走り始めた。

 虹は、いつしか消えていた。かわりに、砂浜の道の向こうに、島が見えた。

 その島には、ドーム型の屋根を持つ建物が見えた。あの建物の中なら、人がいるかもしれない。あやかは、そこを目指して走り始めた。

 いざ建物の前まで来てみると、その建物はひどく古く、不気味な感じがした。

 中に入ってみたい。でも、入っては行けない感じがする。拒まれているような感じがする……。

 建物の雰囲気にけおされそうになりながらも、あやかは、ドアを開けた。ここまで来て、引き下がれない!

 建物の中は薄暗く、奥の方は窓からの光が差し込んでいた。そこにはテーブルと椅子があり、大きな帽子を被った人が座っていた。顔は、帽子に隠れてよく見えない。

 あやかは、急に怖くなって、後ろ手にドアを開けて帰ろうとした。その時だった。

「待って!」

 奥から声が聞こえて、あやかは、固まった。

「怖がらなくてもいいわ。私、あなたと同じ子供よ」

 それは確かに女の子の声だった。

「嬉しいわ。ずっと一人だったの」

 彼女はそう言うと立ち上がり、帽子を脱いで光の中に顔を出した。彼女は、確かに子供だった。とても綺麗な茶色の瞳、茶色の髪、白い、袖の大きなワンピース、手には大きな麦わらの帽子。

「……おばけじゃない……?」

 あやかがゆっくりと近づきながらそう言うと、彼女は、笑って手を出して、

「触ってみて!」

と言った。

 あやかがその手にそっと触れると、そこにはあたたかな感触があった。

「ようこそ、ここへ。あなたが来てくれて、うれしいわ」

 女の子の名前は、シャラと言った。

 あやかとシャラは、すぐに仲良くなって、何日もたくさん遊んだ。この不思議な世界では、どれだけ遊んでも決してつかれることがなく、あきることもなかった。夢のような時間だった。

 ある日、あやかとシャラが、海辺で遊んでいる時のことだった。

 初めてそれを見た時、あやかは驚いた。

「あれは、何?」

 それは、空に浮かぶ大きなクジラだった。黄緑色をしていて、潮をふくところから、大きな桜の木を生やしている。桜の木は満開だ。

「あれは、私のあこがれの国、『自由の国』よ」

 シャラは言った。

「あの国では、色んなものがあって、色んなことができるんだって。私、あの国へ行ってみたくてたまらない」

 シャラはそう言った時、少し悲しそうな顔をしていた。あやかの初めて見る顔だった。

「行けるよ。きっと行ける。私だって、ここへ来れたんだから、きっと行ける。そうだ、私、虹を見た時、あの虹を渡ってどこかへ行けたらいいなと思ってずんずん歩いたら、ここへ来れたんだった。きっと、シャラも同じことをすれば、『自由の国』へ行けるよ。一緒に行こう!」

 あやかは、そう言ってシャラの手を両手でとった。シャラは、

「うん」

とうなずいて笑った。

 その日から二人は、遊ぶかわりに、調べものを始めた。建物の中には、たくさんの本があった。そこは、一種の図書館でもあったのだ。

 調べ物をしながら、二人は語り合った。

「『自由の国』へ行けたら、何がしたい?」

 あやかが言った。シャラは、本からつと顔を上げて、

「あやかが教えてくれたら教えるわ」

と言った。

「何それ、ずるーい」

「いいから教えなさい。言い出しっぺはあなたよ」

シャラにそう言われて、あやかは、少し悩んだ。なんだろう。本当に『自由の国』へ行けたら何がしたいかな。悩んだ末、あやかは言った。

「学校なんか行かないで、好きなだけ遊んでいたいな……」

「何それ。変なの」

 シャラは言った。

「どうして変だというの」

 あやかは聞いた。シャラはクスクス笑いながら言った。

「だってそれ、もうすでにここで叶ってるじゃない」

「あ、本当だ」

 じゃあ、なんだろう。不思議な世界に行きたい?いや、それも今、叶っている……。

「……わからない。シャラは?」

 あやかが聞くと、シャラは、

「私は逆に学校に通ってみたいわね」

と言った。

「シャラは学校を知らないからそう言えるんだよ」

 あやかは呆れてそう言った。するとシャラは、

「学校って、そんなに辛いものなの?」

と聞いた。

「そう。嫌な宿題が毎日あるし、給食で苦手なものが出ても食べなきゃいけないし、馬鹿な男の子はいるし…

…」

 ここまで言って、あやかははっとした。あれ?私、そういえば、あっちの世界からこっちの世界に来て、何日経った?馬鹿な男の子にいじめられてこっちに来たけど……、あれ?馬鹿な男の子ってそもそも誰だっけ?

「どうしたの、あやか」

 シャラの声で、あやかは我に帰った。

「なんでもない。どうでもいいの。それより、調べよ‼︎」

 あやかはそう言ってまた調べ物に戻った。 

 そして二人は、とうとう求めていた情報を見つけ出した。

「〜柒つの力を持つ光の作り方〜

 壱、天神の泪、錻力の如雨露になみなみと注ぐ

 弍、如雨露を持て日神を背に天神の泪を空に放つ」

 二人はすぐにやってみた。

 ブリキのジョウロに、海水をなみなみと満たし、太陽を背に、立った。

「いっせーのーで!」

 虹は、すぐにはできなかった。そううまくはいかない。ジョウロが悪いのかもしれない、と、ジョウロの注ぎ口にシャワーヘッドをつけてみたり、太陽が最高に照り輝く時間をうかがったり……。

 そして、ついにその時が来た。

「あっ」

 二人は、顔を見合わせた。七色の小さな光が、空中に輝いていた。

「すごい!虹って本当に作れるんだ‼︎」

 そう言って、あやかは思わずそれに手を伸ばした。

 その瞬間、それは消えてしまった。

 ふと気づくと、あたりにはシャラがいなくなっていた。それどころか、そこは海辺の島ですらなくなっていた。そこはあの、菜の花畑の近くの桜の木だった。その時、後ろから声が聞こえてきた。

「いた!やっと見つけた。こんなところにいたのか。みんな心配してるぞ」

 あやなか、振り返った。

 そこには、あやかにひどいことを言った、あの男の子がいた。

 そうか、私、帰ってきたんだ……。

 あやかと男の子は、二人でみんなのいる菜の花畑まで歩き始めた。

「あのさ、さっき言ったこと、本気で悪気があって言ったわけじゃないから。ちょっと、からかったつーか、さ。許して、くれる……よな?」

 男の子は、歩きながらそう言った。

 なんだ、悪気はなかったのか。そうか。

 そう思いながらあやかは、

「いいよ。おかげで、いいこと知っちゃったし。」

 と言った。

「何だよ?いいことって」

「虹の作り方…とか、不思議な世界への行き方……とか?」

「は?何言ってんだ?」

 男の子は言う。

「信じたくなかったら、信じなくていいよ」

 あやかはそういうと、歩みを速めた。

「なんだよ、それ。つーか、歩くのはえーよ」

男の子の追いかける足音が後ろから聞こえたが、あやかはさらにあゆみを進め、しまいには走り出した。シャラと別れた悲しみの涙が、今さらになってあふれてきたのだ。

 せっかく悔しさの涙を隠せたのに、また泣いているのを見られたらひとたまりもない。

 走りながら、あやかは思った。

 そうだ、今日のことを日記に書いておこう。今日だけじゃない。何日も遊んだあの日々のことを、そして、あのすてきな友人、シャラのことを絶対に忘れないように……。忘れなければ、きっとまたいつか、シャラに会える。

 菜の花畑は、満開だった。

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