P06 病室に通っているうちに、蒼汰は自分のことを少しずつだが私に話してくれるようになった。毎日顔を見せに来ているからだろう。私と一緒にいる空間に慣れたらしい
病室に通っているうちに、蒼汰は自分のことを少しずつだが私に話してくれるようになった。毎日顔を見せに来ているからだろう。私と一緒にいる空間に慣れたらしい。
話題は、写真と家族に関することが多かった。一つ一つ確かめるように話していたから、自分でも記憶の整理をしていたのかもしれない。
あるときはこう言った。
父親はカメラマンで、彼が海外で撮る作品は社会的に意味のあるものばかりだが、自分は何でもない日常の風景や、ポートレートを撮るほうが好きだということ。
特に子供の頃から家の近くにあった東京タワーを撮るのが好きで、それは季節や時間帯や天気によってぜんぜん違う写りかたをするから、何度撮影しても飽きないと語ってくれた。
「観光客とよく間違われるんだ」
蒼汰が照れくさそうに歯を見せたので私も笑った。うなずきながら泣きそうになった。もう何度も彼から聞いたことのある話だったからだ。
彼が戻ってきた、と思った。
このまま話を続けていたら、私のことも思い出してくれるんじゃないだろうか……。
しかし、カメラや機材の使い方の細かいことまでは覚えているのに、その機材をかついで私と東京じゅうを撮影しにいったことはすっかり忘れているのだった。
私は二人が一緒に住んでいた事実を伝えた。余計なプレッシャーを与えたくないから今まで黙っていたのだ。
「まじ?」蒼汰はぽかんとしていた。
「そうだよ。出会ってすぐに同居をはじめたの」
結婚する約束もしてたんだよ、とつけ加えたかったが、さらに混乱させそうなので飲み込んだ。それでも何か思い出してくれることはないかと期待を込めて彼の表情を見つめていた。
「そうだっけ」蒼汰は衝撃を受けており、私の複雑な思いには気づいていないようだ。こちらをじろじろ見つめたかと思うと、急に下を向いてはにかんだりと挙動不審になっている。
何かおかしなことを言ってしまったかな? と悩みそうになったとき、蒼汰は茶化すように私にこう言った。
「同棲かあ。なんかえろいな」
「……本当に覚えてないんだね!?」
尖った声がつい口から出てしまう。二人はいいかげんな気持ちで一緒に暮らしていたわけじゃないのだ。
今の蒼汰を責めてはいけないとわかっていても、「どうしてこのひと覚えてないの? おかしいでしょ」という疑問や怒りが、からだの中をぐるぐると駆け巡って、私は黙り込んでしまった。
「……ごめん」
異変に気づいた蒼汰は謝ってくれた。だが、別に彼は何も悪くないのだった。私の表情が硬いままだったので、向こうも口をつぐんでしまった。
やっぱり嘘なの? と蒼汰の目の奥をじっと見つめて真意を探ろうとしても、澄んだ瞳で、何? と見返してくるだけで、そこには何の意図も読み取れなかった。
「何だよ? 言いたいことあるなら言えば」
同じことを繰り返していたら、とうとう彼の機嫌を損ねてしまった。
「そういう目で見るのやめろよ。睨まれても、思い出せないもんは思い出せないんだからさあ」
投げやりに言うと、くるりと背を向けてスマホにかじりついたまま口をきかなくなってしまった。
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