触る紫苑に祟りあり~神力少女、異世界に落ちる~

ねずみもち月

第一話 神鏡に触れる

はじめまして、またはお久しぶりです。ねずみもち月です。

カクヨムでははじめての長編チャレンジです。さらに場所を問わず初めての和風異世界ファンタジ~~~~です。バトル多めの恋愛(のつもり)で挑んでいます。顔のいい長髪男子が登場します。よろしくお願いします。

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  嬉しき事有らむ人は、紫苑を殖えて常に見るべし。

  憂へ有らむ人は、萱草を殖えて常に見るべし。

――『今昔物語集(兄弟二人、萱草と紫苑を殖うる語)』



 破片が散らばっていた。

 ほんの少し前まで丸い鏡だったものだ。今は鋭利な切断面をさらした残骸と化してしまっている。

 鈍く光る鏡面は室内の景色をまばらに映し出した。腐った板壁、穴が空いて堆積した落ち葉が見え隠れしている天井。人に見捨てられたぼろぼろの建物だ。運び出されたのかもともと存在しないのか、室内は空っぽで、唯一あるのは壁面に沿って設置された祭壇だけだ。


 ただし今は、ひとつだけ。体重をかけたらあっという間に踏み抜いてしまいそうなもろい床板に、スクールバックが転がっていた。


 モノに限らなければもうひとつ――いや、もうひとり。

 セーラー服をまとった少女が、鏡の欠片に囲まれて立っている。


 欠片の中の景色を遮るように、少女――志乃しのは覗き込んだ。やや歪んで映ったその顔には鮮血が散っている。思わず、といった様子で頬に手をやると、ぬるりとした感触がした。同時に鋭い痛み。深く切れている。

 一気に現実が帰ってきた心地がした。


 志乃は己の指先を染めた色に眉をひそめた。


「何やってるんだろ、私」


 頭にもやがかかったようで、ほんの数秒前のことがうまく思い出せない。志乃はぎゅっと眉間にシワを寄せて、記憶をしぼり出した。脳裏に浮かんだのは、ぼんやりとした赤い鳥居の輪郭だ。この神社の入り口の……そう、神社。志乃はうらぶれた神社に足を踏み入れたのだ。考えながら、血濡れた指を何気なくスカートに押しつける。

 しっかり拭ってから、しまった、と我に返った。しかし遅い。


「あちゃー……」


 おろしたてのプリーツスカートには、べっとりと血の跡がついてしまった。このセーラー服はまだ二度しか着ていない。いきなり台無しだ。おかげで頬の痛みよりも「母に怒られるだろうか」という焦りが勝った。


 そのせいだろう。背後から聞こえた声に、自分でも驚くほど跳び上がってしまった。


「誰だ」


 いやに厳しい男の声だった。

 振り返ると、ぴたりと口を閉じた格子扉がかたかたと揺れていた。鍵を開けているような重い金属音がする。次いで、太い鎖が擦れるようなじゃらじゃらとした音が響いた。


「そこにいるのは誰だ」


 唸るような問いかけと同時に扉が押し開けられた。

 開いた扉の向こうに立っていたのは、声から想像したよりもずっと若い男だ。志乃とそう年は変わらない。二十歳をいくらか過ぎた頃だろうか。

 鋭い目つきに、夏空の下でぴんと背を伸ばす稲の苗を切り取ったような淡い緑の瞳。隆々とした眉は寄せられて、眉間にシワをつくっている。


「里の娘……にしては奇天烈な格好をしているな。なんだその着物は」


 凛々しい顔立ちだからか、長く伸ばした紫苑色の髪を見ても、女性的な美しさだとか、たおやかさは微塵も感じられなかった。頭の高い位置でひとつ結びにしているからかもしれない。胸元に垂れた結い髪を払う仕草はどこか乱暴で、とにかく、一見して不機嫌に見える美丈夫だった。


「どうやってここに侵入した? 外から鍵がかけられていただろう」


 淡々と紡がれる低い声も耳心地がいい。ともすれば間抜け顔をさらして見惚れ、聴き惚れてしまいそうだったが、それよりも志乃の気を引くものがあった。

 彼の服装だ。

 和装なのである。白い小袖に水色の袴。肩にかけた、緑混じりの濃紺――鉄紺の羽織の下からは、大小二振りの刀の柄が覗いている。


(時代劇の撮影か何か?)


 まさか本物だろうとじっくり見たところで、志乃に真贋がわかるわけでもない。だいいち今はそれどころじゃなかった。志乃がぼうっと観察している間にも、男は絶えず彼女を責め立てている。


「いったい何者――」


 責め立てていたのだが、その言葉が不自然に途切れた。

 男の眉間のシワがわずかに解け、その目が驚愕に見開かれている。彼の視線は、志乃の背後に注がれていた。

 つられて志乃も振り返り、合点がいった。というか、真っ先に見咎められなかったことが驚きである。


 ふたりの視線の先には、台座が空っぽになった祭壇があった。

 肝心の祀るべきものはすでに失われているのに、配置が乱れた神饌だけが残されている。どこか滑稽だ。しかし笑うことはできなかった。


 なにしろ、そこに祀られていた神鏡を割ってしまったのは――おそらく、志乃なのだから。


「あの……ごめんなさい、何かの撮影ですか? この鏡って、備品……」


 志乃はそっと口を開く。若干の罪悪感を胸に、紫苑のポニーテールの男を見上げてひるんだ。


 違う、撮影じゃない。

 男の目に浮かぶ感情は紛れもない怒りだ。演技ではない。そもそも撮影だったらその場にいる民間人にひと声かけないわけがない。


「何かのドッキリ、とか……」


 ほとんど消えそうだった志乃の声は塗りつぶされた。


「縄を持て!」


 男の命令が内臓を震わせる。硬直する志乃の前に、どこに潜んでいたのか揃いの鉄紺の羽織をまとった男たちが続々と集まってくる。入り口は紫苑のポニーテールの男が塞いでいるので、彼らは建物の外にわだかまった。


「どうしたの、晴時はるとき


 代表して問いかけたのは、柔和な雰囲気をまとった青年だ。栗色の髪がふわふわと頬にかかった。この場にそぐわない人の好い笑みを浮かべていたが、その手にはしっかり縄が握られている。

 彼に晴時と呼ばれたポニーテールの男は、すかさず志乃を示した。


「その娘を捕縛しろ」


 苗色の瞳が細められ、鋭い眼光をもって志乃を刺す。志乃はまだ凍りついていた。状況が呑み込めない。


「抵抗する気はないか。それならば俺たちも手荒な真似はしない」


 栗色の髪の青年は、戸惑うように志乃と晴時を見比べた。それでも逆らうつもりはないらしい。晴時の横を抜けて本殿に入ってくる。


「悪いけど命令だからさ。我慢してね」


 志乃は縫い留められたように突っ立ったまま、手首にざらざらした縄目が触れるのを感じた。どうなっているのかたしかめようと身をよじれば、頬を伝った血が唇にかかる。拭いたかったが、肝心の手は今しがた不自由になったところである。


 鉄の味が口腔に忍び込む。

 見るもの触れることすべてが現実味に欠けている中で、志乃が流した血は本物だった。ドッキリでも、撮影でも、夢でもない。


 これは現実だ。


 思考がようやく焦点を結ぶ。志乃は今、謝罪する機会も弁明する機会も与えられないまま、問答無用で捕まえられようとしている。


「っは、放して!」


 どうしてぼうっとしてしまったのだろう。一も二もなく捕まるのなら即座に逃げるべきだった。だって、いきなり縄で縛るなんて尋常ではない。何をされるかわかったものじゃない。おまけに彼らは妙な格好をしている。揃いも揃って羽織袴。本物かはわからないが、凶器まで携帯して。


 もしかすると、危ない宗教――。


 わずかな逡巡。

 志乃は身をよじって、自分を縛り上げた栗髪の青年に当て身を入れた。


(あれ、思ったより……)


 よろけた青年を前に、手首をよじって縄を解く。思わず目視で確認してしまうほどおそろしく緩い拘束だった。これならうろたえる必要はなかったかもしれない。

 志乃は身をひるがえした。外では揃いの羽織の男たちが目を丸くして立ち尽くしている。わき目もふらずに全力疾走すれば、突破できる。


「抵抗するなら容赦はしない」


 突破できるはずだったが、晴時がいた。目だけで志乃の動きを追う彼に、外の連中のような動揺は見られない。思わず悪態をつきたくなるほどの冷静ぶりである。部屋に侵入した羽虫を追うときだってもう少し体を使うだろうに。


 志乃の心はあっさり折れた。

 やっぱ無理かも。

 予感と同時に、腹に重い衝撃を受ける。


(お、女の子相手に――)


 本当に容赦ない。志乃の意識はあっさり暗転した。


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第一話、お読みいただきありがとうございました♡

まあ追ってもいいかなという方はぜひ作品フォローよろしくお願いします。投稿初日の今日は第五話まで順次公開していきますので、お待ちください♡

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