第二話 2

この段落だけ地の文が麗華寄りになっています。


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 街の大通りから少し離れた、住宅地に近い位置にある晃の家『定食屋あきかぜ』。

晃は扉の前で冷や汗をダラダラと流し、動くことができなくなっていた。


「入らないの?」


「ま、待て。まだお婆ちゃんへの言い訳考えられてねえ!間違いなく怒られる!!」


 喧嘩になれば頼んでもないのに真っ先に突っ込んでいく勇猛さがある一方で、戦えない状況に陥ると途端に情けない声を上げる。

こいつは案外臆病な男だな、と麗華は思った。



「わかってると思うけど、ヴェノムジェスターという新たな敵が現れて状況が大きく変わった今、晶獣に関する事は無闇に話すべきではない。お婆さんや、友達や、先生を大事に思っているのならね」


「……ああ、下手に話すと喧嘩に巻き込まれるっつってんだろ?」


「そう。あなたみたいに自分から突っ込んでくる人はともかく、そうでない人は戦いに巻き込むべきではない」


 麗華はずっとそうやって、独りで晶獣を狩り続けてきた。

戦う力を持つ者と持たざる者がいて、持つ者として特別な扱いを受けてきた自分は、持たざる者と関わらない事が彼らを守ることに繋がると考えていた。

家族と、ごく少数の関係者以外に話せる事はない。

だからこそ、よくわからない理由で自分から厄介事に突っ込んできた目の前のバカには困り果てている。


「わかってるよ、この事はもう賢治や宏にも話さねえ。俺が勝手に首突っ込んだ事だから、巻き込まれんのも俺だけだ」


 ずっと真っ青な顔をしているが、そう話す時の目つきと声色には真剣なものを感じられる。

目の前の男はバカだが、きっとバカなりの良識は持っている。

想定外の状況でアーマライザーを使用したこの男の扱いをどうするかは自分より上の者達に一任することになるが、どう転ぶにしてもこいつの性根ならそう悪い事にはならないだろうという、小さな期待が生まれた。


「それで?いつになったら入れるの?お腹が空いているのをなんとかしてくれると言ったのはあなたのはずだけど」


 それはそれとして、空腹には耐え難い。

目の前で腹を鳴らし、恥ずかしさからパニックに陥っていた状態からは落ち着いたが、空っぽの胃は落ち着いてくれない。


「うるせーなもうちょっと待て!ちゃんと口裏合わせ――


「あ!やっぱり晃くんだった〜!」


 晃がまごついていると突然扉が開かれ、店内から中年の女性が姿を現した。

見た目にはまだ若々しさがあり、少なくとも晃や麗華の歳の子供がいるような年齢には見えなかった。


「うわぁぁぁぁ!?あっ、ま、松本さんお疲れっス」


「はい、お疲れ様……ん?晃くんもしかして……彼女連れて帰ってきた!?」


 自分に話題が来るとは思っていなかった麗華は。松本さんと呼ばれた女性に視線を向けられてぎょっとする。


「ち、ちげーし!そんなんじゃねーし!!ワケありなんだよ!!」



 晃はさっきまで真っ青だった顔を真っ赤にしてムキになる。

感情の起伏が激しい奴だな、と麗華は思った、


「はいはい、そういう事にしといてあげるね〜?じゃあ、紫織さんお先です〜!晃くん帰ってきてますよ〜」


 松本さんは店を出て晃と麗華の横を通り過ぎる際に、にっこりと微笑んで麗華に手を振った。

今まで経験したことのないタイプのコミュニケーションに戸惑った麗華は、松本さんに小さく手を振り返す事しか出来なかった。


「あの人はパートで働いてる松本さん。普通のおばちゃんだからあんま気にしなくていいぞ」


「随分若いお母さんだと思ったけど……違ったのね」


「うちは母ちゃんいねえんだ」


 その一言を発した時、晃の顔からスッと表情が消える。

今までの激情の変化とはかなり色の違う、晃らしくない冷たさがあった。

その話題が晃にとってのタブーであり、他人が触れてはいけない領域である事が麗華にも感じられた。


「晃!!しょうもない言い訳考えてないで、さっさと入ってきな!!」


「はっ、はいぃ!!!」


 店の中から紫織と呼ばれた女性、晃の祖母の怒声が聞こえてくる。

それが聞こえた瞬間、晃がまた臆病者の顔になり、恐怖で身体を縮こませながら店内に入る。


 何も考えていないバカにしか見えなかったけれど、案外抱え込んでいるものがあるのかもしれない。

麗華は、一瞬だけ見えてすぐ消えた晃の暗さからそんな事を感じ取った。




 閉店時間の9時を過ぎた店内に客の姿はない。

居るのはカウンター奥に立つ紫織と、手前で子犬のように震える晃。そしてその後ろでどうしていいかわからず立ち尽くす麗華の三人のみ。


「帰りが遅くなるんなら連絡を入れろって何回言わせりゃわかるんだい!」


「アノ、スイマセン、サセン、急な事情でして、サセンシタ」


 身体を90度に折り曲げて何度も何度も頭を下げる晃。

麗華はその様子がおかしくて笑ってしまいそうになるのを必死に堪えている。


「事情とかなんとか言って、どうせまた喧嘩してきたんだろ!!アタシの目は誤魔化せないよ!!」


「ハッ、ハィィーーッ!!スマセンシターーーッ!!」


 晃の祖母、秋山紫織あきやましおり

低めの身長、老人らしいパーマのかかったボブカットで頭髪はほとんど白髪になっている。

しかし年齢の割にはしっかりとした背筋、眼鏡の下の鋭い目つき、年季の入ったエプロンから強い女の風格を感じさせる。

確かにこの人ならば晃を黙らせる事ができるわけだ、と麗華は密かに納得した。


「賢治くんや宏くんとつるんで少しは丸くなったと思ったら、これだ!そっちの女の子はなんだい!とうとう喧嘩に女巻き込むほど落ちぶれたのかい!?」


「ハイッ!じゃなくてイイエッ!!これにはいりくんだじじょうがございまして、おばあちゃんのおしえにそむくようなことはけっして〜……」


 なおも頭を下げ続ける晃の視線が麗華に向く。

救いを求めるように涙目で訴える姿が気の毒に思えたので、助け舟を出すことにした。


「あ、あの……巻き込まれたというか、私が彼を巻き込んでしまったという形で」


「ほぅ……?」


 紫織の鋭い眼光が麗華に向く。

この人に下手な嘘は通じない、そう感じさせる恐ろしい目つきだ。


「その、ええと、ガラの悪い輩に絡まれていた所を彼に助けられたんです」


「助けたぁ?晃が?女の子を??」


「アノ、ホントス、ウソジャナイス、ハイ」


 100%の真実ではないが、嘘は言っていない。

紫織は訝しむような表情で晃と麗華の顔を交互に見比べ、顎に手を当て考える仕草をとる。


「ふぅ……ま、いいか。アンタが人を助けるような喧嘩するなんてね」


 麗華達の言い分を全部信じたようでもないが、ひとまず紫織の怒りは収まったようだ。

今にも死にそうだった晃の表情に安堵が戻る。


「で、なんでその助けた女の子を連れてきたんだい」


「腹減って死にそうだって言うから」


「そ、そこまで深刻には言ってな……」


 晃に反論しようとしたところで、また麗華の腹が鳴る。

紫織の機嫌が直り、居づらい空気がなくなったことで麗華の気も緩み、抑えていた空腹がまた暴れ出した。


「はぁ……わかった。どうせ晃の分を作ってやるところだったんだ。そこ座りな」


「すいません……」


 腹を鳴らしながらカウンター席に座り、麗華はようやく食事にありつける事になった、


「で、何食べるんだい?と言ってももう店閉めたところだから、メニューのもんをなんでもって訳にもいかないけどね」


「ええと……」


 学食やフランチャイズ店とはまったく趣の異なる、昔ながらの定食屋。

線香の匂いと、古い木造住宅に長年作り続けてきた料理や調味料の匂いが染み込んだ、所謂おばあちゃん家の香り。

麗華にとっては全てが初めての世界で、いざ料理を頼もうとすると思考がなかなか落ち着かない。


「婆ちゃん、アジフライ定食いける?」


「あっ、じゃあ私もそれで……」


 すっかり元の調子に戻って麗華のとなりの椅子に座り、無配慮に割り込んだ晃の注文が麗華にとっては助け舟となった。

正直なところ今はなんでもいい、美味しく腹を満たせればそれでいい。

口に出せないそんな本音を晃の野蛮さの後ろに隠した。


「アジフライ二つね、あいよ」


 紫織は客相手の応対と同じような口調で返し、調理を始める。

狭い調理場をテキパキ動き回り、慣れた手つきで二人分の定食を作り上げる紫織。

カウンター越しに見えるその光景は麗華にとっては新鮮で面白く、食い入るように見入ってしまう。


「アジフライはここで一番ウマイやつで人気あるから、期待しとけよ……おい聞いてんのか?」


 アジフライが揚がる音と香りのせいで食欲が刺激され尽くしているところに晃が余計な事を言ったせいで、食への期待値が限界を超えてしまう。

なんでもいいとは思ったが、食べるなら美味しいものがいい。

欲望が涎となって口から滴り落ちた。

その様子を晃が「ヤベェなこいつ……」と言いたそうな目で見ていた事には気づかなかった。


「ご飯の盛りはどうする?あんたは細い子だから、そんなに食べないかい?」


「俺、大盛オナシャース」


「あんたには聞いてな……」


「と、特盛!!!」


 また間に割って入った晃と紫織の会話を、更に割る麗華の声。

涎と共に出てきたその日一番の大音声を聞き、晃と紫織は言葉を失った。


「あっ!!あ、あ、大盛……いや、並で……いいです……」


 限界まで食欲が高まった時、その欲望を抑えられない。

誰にも知られたくなかった恥ずかしい自分を全開で、晃に対しては何度も見せてしまった。

口をあんぐりと開けて絶句する二人に対して、心にもない言葉で恥を取り繕う。


「あ、あのさ、お婆ちゃん」


「わかってるよ。まあ若いうちはそれで良いさ」


 紫織は全てを察し、麗華の前に特盛の白米を差し出した。

続けてアジフライ定食の皿と味噌汁の椀、漬物の小皿を置き、麗華の素敵な晩御飯が完成した。


「あ、あぅ……」


「ダイエットだの美容だのの事はアタシにゃわからん。誰も笑いやしないから、お食べ」


 口籠る麗華に対する紫織の言葉はとても優しく、慈愛に満ちている。

晃がこの祖母をとても大事にしている理由が、麗華の視点からでもはっきりわかった。


「ウホホッ、今日もウマそうだな。いただきまーす」


「い……い、いただきます!!!」


『あきかぜ』のアジフライ定食はアジフライ二枚に白米、味噌汁、漬物。それに千切りキャベツとポテトサラダを添えた王道の構成。

我慢の効かなくなった麗華は、まずメインのアジフライになにもつけずに噛り付いた。

熱々の衣がサクッと心地よい歯ごたえを鳴らした次の瞬間、鯵の味わいが熱と共にジュワッと口内に襲いかかる。


 すぐさま白米を掻っ込む。

遺伝子的には純日本人である麗華の舌が、魚と白米の組み合わせに喜びの雄叫びを上げる。

ドレッシングのかかった千切りキャベツと味噌汁で一旦クールダウンし、再び同じサイクルで一枚目のアジフライを尻尾までしっかりと平らげる。合間の一瞬でポテトサラダと漬物は麗華の胃の中に消えた。


 ここでようやく卓上の中濃ソースに気づいた麗華。

二枚目のアジフライにたっぷりとかけて、黄金三角形が美しく染まる様に舌なめずりをする。

新たな口当たりと甘みがプラスされたアジフライで麗華の食欲は更に暴走。特盛の白米が米粒一つ残らずアジフライと共に消えた。


「これ現実なのかあ……?」


 凄まじい勢いで食欲を満たす麗華を横で見ている晃の中で、クールで無口な才女のイメージが音を立てて崩れ去った。

前から見ている紫織は、その食べっぷりを何も言わずにただ笑顔で眺めている。


 ようやく我に返った麗華は晃の方を向き、弁明しようとした。

しかし晃の手元のアジフライが、それにかかったタルタルソースがまた麗華から正気を破壊する。


「な、なに、それ」


「な、何って……タルタルソースですけど。醤油かけても美味いけど王道はこれだぞ」


「なんでそれを先に言わないの!?」


「お前なんも話聞かずに食ってたじゃん!!」


 晃の皿のアジフライと自分の空になった皿を見比べ、麗華の顔は絶望に染まる。


「お……俺のやつ一枚いるう……?」


 「お前戦ってる時より感情豊かなんじゃねえの?」という言葉を飲み込み、恐れと共に自らのアジフライを差し出そうとする晃。


「ハァ……待ってな、おかわり揚げてやるよ」


 紫織は晃を止め、呆れた声でもう一度調理場に立ち、おかわりのアジフライを揚げる。

しかしその顔は変わらず満足感に満ち溢れていた。


 結局、麗華の胃には追加で丼に入った白米とアジフライが二枚、タルタルソースと醤油で味付けされて吸い込まれる事となった。


「お婆ちゃん、俺こいつコワイ」


「あんた、変な子連れてきたねえ……」

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