第一話 3

 陶子にコキ使われる放課後を終えた帰路。

万全の準備を整えた晃は昨日と同じ時間帯に、同じ路地に立っている。


 現れるのは白い鎧か、それとも木の怪人か。或いは何も来ないのか。

肩を怒らせ、背筋に力を入れて歩いていると後ろに迫る気配を感じた。


 緊張感が走る。だが負けてはいられない。

深呼吸をして、腹に力を溜め込んでから振り返り叫んだ。


「オウ、コラ!!昨日の俺と同じと思うなよ!!」


「同じよ」


 晃の怒声を物ともせず、冷たく反論した女は同じ嘉地鬨高校の制服を着た女子生徒だった。

晃の後ろに立ち、仏頂面で睨んでくるその女に晃は見覚えがあった。


「お前……羽黒?」


 羽黒麗華はぐろれいか。晃と同じクラスの女子。綺麗に整えられたストレートミディアムの髪が育ちの良さを伺わせる。

クラスで一番の成績とルックスを持つ、あらゆる意味で晃と正反対の女。

最初はクラス中の誰もが注目し持て囃されていた彼女だが、とにかく群れるのを嫌がっている様子だった。

あまり他人と会話する様子もなく、いつも一人で行動し、部活動にも参加せず、放課後は忽然と姿を消す。そんな不思議な女。

ナンパを仕掛けたが全く相手にされなかっただの、スカートの中はパンツではなく黒のスパッツだっただのと宏が騒いでいた事は少し覚えている。


 当然、そんな才女の麗華と不良の晃が関わる事など今まで殆ど無かった。

だが一度だけ目が合った時、その瞳がとても綺麗に見えた事だけが頭に残っていた。

まるで自分達と同じ人間とは思えないほど、綺麗に輝く瞳だった。


「な、なんだよ。何の用だ……」


 まったく予想していない人物の登場で、晃は溜め込んだ激情の行き場をなくしてしまった。

変わらず美しい瞳で強く睨まれ、ただ動揺することしかできない。


「あなたでは晶獣と戦えない事と、もう関わるべきではない事を伝えに来た」


「ショージュー?なんだよそれ、なんでお前にそんなこと……!?」


「晶獣とは、あなたが昨日いじめられた木の怪物のこと。なぜ私がそれを言うのかは……」


「まさかその声……お前が……」


 数回会話をしてようやく繋がった。聞いたことはあるけどわからない、そんな距離感の声を持った者。


「ようやく理解できたようね。そう、あなたが探してきた白い鎧の中身」


「あなたでは持つことのできない〝力〟を有した存在」


 左手首に装着した大きくて無骨な腕輪を見せつけ、麗華はそう言い切った。

大きな十字型の窪みが縦に二つ並んでいるその腕輪を見て、晃は白い鎧との関係性をなんとなく察した。


「要は道具がありゃ勝てるって事か?」


 晶獣と戦う力なんてやり方さえわかれば自分でもできる。

晃はそんな情けない思い上がりを捨てることができない。


「あなたでは持つことのできない、と言った。どう言えばあなたは納得するの……」


「では、実際にやってみてはどうかな?そういうタイプの子にはそれが一番だと思うがね」


 麗華の呆れ声に返事をしたのは晃ではなかった。

ボイスチェンジャーでグチャグチャに加工したような、気味の悪いその声が聞こえた瞬間に周囲が黒い霧に包まれる。


「うおっ!?誰だお前!?」


「言語を操る晶獣……?今までにいないタイプね…」


 麗華は怯む晃に自分の学生鞄を押し付け、声のする方へ一歩前に出る。


「その認識で概ね間違いないよ、レディー」


 霧の中から声の主が姿を現す。

それは衣服のようでもあり装甲のようでもある、灰色ファンタムグレイの道化服を纏ったピエロだった。

愉快な雰囲気も色彩もない、ただ不気味なだけの道化。

しかし右手に握っている拳銃型デバイスと、腰からいくつも下げている増設バレルを見て、それが戦う者である事は誰でも理解できる。


「私の名はヴェノムジェスター、とでも言っておこうかな」


「これテメェの仕業か!?さては昨日もやってやがったな!?」


 遅れて晃も前に出ようとするが、手を伸ばした麗華に阻止される。


「そうだね。君は無駄にイキがいいから利用価値が高いと思ったのだが……

レディー。キミのような奴が出てきてしまった」


 ヴェノムジェスターの銃口が麗華に向けられる。

加工された声だが、そこには麗華に対する憎々しさが読み取れる。


「キミが前々から邪魔をしているのは知っていたが、もう様子見に徹するわけにはいかなくなってね」


 ジェスターが左手を挙げると、背後の霧から重々しい足音が聞こえてくる。

晶獣が迫る音だ。


「なめんじゃねえぞ!俺にだって奥の手くらいあらぁ!!」


 麗華とジェスターの険悪な雰囲気に割って入る、空気の読めないバカの声。

麗華の制止を振り切って横に並び、自身の鞄から何かを取り出した。


「昨日と同じじゃ勝てねえことくらいわかってんだ!木が相手ならこういうモンがあんだよ!!」


 晃が得意げに取り出したのは折りたたみ式の小さな鋸だった。

刃を展開し、剣のように構えるバカを麗華とジェスターは冷たい目で見つめている。


 そしてジェスターの背後から晶獣が姿を現わす。

灰色ストーングレイの晶獣は石を固めて作られた、鋸で切れる見込みのない外観をしている。


「刃物はあんまシュミじゃねえけど俺もマジなんで……って石ィィィ!?」


「……お願いだから大人しくしていて」


 麗華は深い溜息をつき、頭を抱えた。


「……ま、まぁ試行錯誤する努力くらいは認めてあげてもいいんじゃないかな」


 想像を絶する空気の読めなさにジェスターも困惑の色を隠せない。


「それに、彼には居てもらわなければ困るんだ。何故なら……」


 呆れた声色から明確な敵意を示すものに一変。

銃口を麗華から晃に向け直して引き金を引き、銃弾型エネルギーが鋸を撃ち落とした。


「……レディーにとっての枷、なんだからね!」


 生まれて初めて銃を撃たれ絶句する晃に石の晶獣が襲いかかる。

昨日と同じように麗華が間に割って入り、ポケットから白い十字水晶を取り出した。


「仕方がないからもう一度言うわ、私が守る」


「ON-SLOT」 「FROSTYWHITE」


 十字水晶を腕輪の窪みに挿入すると、機械音声が鳴り響く。

麗華の周りに雪混じりの冷たい風が吹き荒れ、包み込むような領域を作り上げる。


「セットアップ」


 向かい来る晶獣に左手を開いて向け、呪文のような言葉を囁いて拳を握る。

無愛想な優等生の顔は既に戦士のそれへと変わっていた。


「IGNITION」


 機械音声が鳴ると同時に十字水晶が炎を灯すように光り輝く。

光が動力となり腕輪が展開・変形を繰り返すうち装甲が形成され手甲へと姿を変える。

装甲の範囲は左腕から肩、胴、腰、両足へと続き全身に広がり、全身甲冑を作り上げる。


「ONSLAUGHT!!」


 冷風の結界が内側から弾け飛び、装甲が兜を形成して顔面を覆うとそこには昨日見た白い甲冑の姿があった。


 晶獣は先頭に一体、後ろに二体のフォーメーションを組んで前進する。

数の力で一人を抑え込むのが晶獣の基本戦略だと理解している麗華は、速攻で最初の一体を排除し連携を崩す事を考えた。


「頭数を揃えたところで結果は同じよ」


 麗華の剣が前衛の一体を貫き、刺突された点から全身が凍り付いていく。

石の晶獣は木の晶獣より耐久力があるようですぐに斬り裂かれはしなかったものの、それが斃れるまでそう時間はかからない。

少し時間が稼げるだけ、ただそれだけの存在だ。


「御指摘の通りだよ。だから使い方を変えるのさ」


 余裕ありげに呟いたジェスターが左手の指を鳴らすと、後衛の晶獣二体が麗華を無視して左右に抜け、後ろの晃に殴りかかった。


「しまっ……!!」


 ジェスターの目論見に気付いた麗華は素早く剣を引き抜いて振り向くが間に合わず、晶獣達の通過を許してしまう。


「ヤベェッ!!」


 真正面から飛んでくる石の拳に対し、晃は腕を交差させて守りに入る。

人間との喧嘩では相手の攻撃を避けず、真正面から受けて殴り返すのが晃の戦い方だった。

しかし晶獣相手には通じない。昨日から何度も味わってはかき消してきた現実がいよいよ誤魔化せない距離まで迫ってきている。


「うわああっ!!!」


 当然、防ぎきる事など出来ずに大きく後方に吹き飛ばされる。

麗華から預かっていた学生鞄の口が衝撃で開き、中身をぶちまけながら倒れ伏す。


「クソッ!!」


 ワンテンポ遅れた麗華が二体の晶獣に追いついて交戦するも、晶獣の立ち回りが一体目とは大きく異なっていた。

回避と防御に専念し、致命傷を避ける。凍りつく事を避けるため、攻撃を受けた箇所そのものを自らちぎり取る。


「痛え……畜生…」


 晃はなんとか上半身を起こすが、防いだ腕の尋常ならざる痛みに苦しむ。

喧嘩での痛みには慣れてるつもりで、上手く防いだ自覚もあった。

それでも腕に襲いかかる激痛は、身体に襲いかかる現実だ。


「フフッ……」


 晶獣が時間を稼いでいる間に、ジェスターが妖しく微笑んで行動を開始する。

腰に下げている増設バレルの一つを外し、右手の拳銃に装着してライフルのような形へと変形させた。


「SumMoN_BArrEL」


 バレルからジェスターの声と同様の歪な起動音声を鳴らすと、続いて上部の挿入口に十字結晶を投げ入れる。


「GROWNDBROWN」


 晶獣の対応に追われ背を向けていた麗華に対し、ジェスターは冷酷な銃口を向ける。


「後ろだ!危ねえ!!」


「これが本命の一撃だ。お別れだよレディー。」


 その様子に気付いた晃が叫び、麗華がジェスターの術中にハマった事を理解した時は既に引き金が引かれていた。


 二体の晶獣をようやく始末し、振り向いた麗華に飛んできたのは銃弾ではなく土色グラウンドブラウンの十字水晶だった。

手裏剣のように回転運動を伴って向かうそれの内側から滲み出るように岩が飛び出し、麗華の目前で発光する。

光の中からは今までのものよりサイズの大きい晶獣が姿を現し、発射の勢いをそのままに麗華を殴りつけた。


「アアアーーッ!!」


 腹部に強い一撃をもらった麗華は手から剣を落とし、晃のさらに後方へと殴り飛ばされる。

晃の後ろには受け身も取れずに倒れ転げる麗華。目の前には麗華すら圧倒する晶獣、自分は何もできない役立たずのバカ。

現実は身体だけでなく、心にも絶望を突きつけた。


「早く立ちたまえレディー!彼は前座達と違って手加減が苦手なんだ。そのままでは少年を殺してしまうかもしれないよ?」


「ガハッ!!……ゴホッ……に、逃げ……」


 逃げる。

逃げる力が残っているのかも、逃げ切れるのかも、逃げ道があるのかもわからない。

しかしそれが自分が取れる最良の選択である事が、晃の頭でも理解できた。


「う、う、う、うわぁ……」


 喧嘩になる相手じゃない。怖い。腹が減った。死にたくない。

恐怖が顔に現れ、震えを生み、額から汗、目から涙になって流れ出る。

自分一人で逃げればいい、麗華を置いて逃げればいい。それが一番……


――ヤだな、それ。


 晃の心には此の期に及んで、まだ歯向かう力が残っていた。

それは子供の頃からずっと心にあった、納得できないものを絶対に許せない反抗の力。

今まで晃の気性と人生をめちゃくちゃにし続けたそれが、怯えきった晃の弱さを無理やり叩きのめす。

どうにかできないのか、他に誰かいないのかと周囲を見渡してもそこにあるのは地面に落ちた晃と麗華の学生鞄。

それと殴られた際に散らばった、麗華の鞄の中身。

蓋が開いて中身が溢れ、地面に水たまりを作る水筒。麗華やジェスターの使っていた十字水晶。そして……


「早く!逃げなさい!!」


「もう一度言うぞ……やだね!!!」


 痛む腕をやせ我慢し、怯える心を怒りで燃やし、流れる涙をこっそり拭い、晃は再び立ち上がった。

両手には勝機とは呼べない、小さな可能性が握られている。

いくつかの種類がある中、吸い寄せられるように拾った、妙にしっくり来る持ちごたえをした常緑色エヴァ―グリーンの十字結晶。

そして左手に装着したのは、麗華のものと同型の無骨な腕輪。


「あなた……ま、まさかスペアのアーマライザーを!?」


「アーマライザー、っつーのかこれ。なるほどな」


「やめなさい!普通の人間に扱える道具じゃないのよ!!あなたの身体に何が起きるか……」


「うるせえんだよ!!!」


 麗華の方を振り返らずに、晃は大きな叫び声を上げる。


「どいつもこいつも、ゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャよくわからん理屈を述べやがって……

俺がそんな聞き分け良いように見えんのかよ!!あぁ!?

……俺はな、自分で言うのもなんだがバカなんだ。何言われたって納得できねえんだよ!!!」


 今まで鳴りを潜めてきた、晃の一番愚かな部分が声となって響き渡る。

誰よりも愚かで情けない、誰よりも間抜けでみっともない。

だから今、戦える。


「……俺の心で良いって思うことしかできねえんだ」


「ON-SLOT」 「EVERGREEN」


 麗華のやったプロセスを見様見真似で行い、十字水晶を腕輪の窪みに挿入すると、機械音声が鳴り響く。

麗華が行った時と同様の反応を、誰も想像しなかった奇跡を、アーマライザーは機械的に返した。


「う、ウソ……」


「何がッ…!?」


 目の前で起きた事に対して、麗華もジェスターもただ唖然として見つめる事しかできない。

晃の足元から大地の熱気が吹き出し、包み込むように領域を作り上げる。


「セットアップ!!!」


 天に向かって左手を勢いよく掲げ、親指から小指まで一本づつ指を追って握り拳を作り、自分を作り変える言葉を叫んだ。


「IGNITION」


 機械音声が鳴ると同時に十字水晶が炎を灯すように光り輝く。

光が動力となり腕輪が展開・変形を繰り返すうち装甲が形成され手甲へと姿を変える。

麗華のものとは異なり美しい彫刻はないが、がっしりと重量感のある造りの装甲が左腕から肩、胴、腰、両足へと続き全身に広がり、全身甲冑を作り上げる。

最後に円柱状の兜が頭部を覆い、一人のチンピラが戦士へと生まれ変わる。


「ONSLAUGHT!!(猛撃せよ!!)」

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