2:再会



「腹、減った…」


そんなことを呟きながら、オレは一人である街を黙々と歩き続ける。オレが今いるのは紅蘭市。人口が約180万人と大都市と呼ばれる場所だ。≪隔離区域≫の住人であるオレでも知っているほどの大都市である。日々若者が夢を追い、やってきては、挫折と苦悩に苦しみ、何かを失い、夢が破られ、去っていく場所ともいわれているらしい。それでも人口は増加し続けている。理由は二つある。一つは大手企業の本社が多数存在しており、商業施設を開発するなど都市開発に力を入れているからである。もう一つは、近年ある理由により人口の少ない都市をいくつか合併し、急に面積が増加したため、空き地が多くなったから。今や、この都市の中心部の時価は跳ね上がり、大手企業の社長などの富裕層が好む都市になっている。


そんな都市の少し外れにある商店街を歩いている。辺りは賑わっていて、多種多様な店が並んでおり、所々から売り買いや勧誘の声が聞こえてくる。


≪あそこ≫とは異なり、実に平和な街だ。≪あそこ≫から脱出してから二週間が過ぎていた。正体不明の男から渡されたお金でなんとか生きてきたが、そろそろそのお金も底を尽く。


「さすがに何か仕事しないとまずいよなぁ…」

「そこの少年!」


後ろから声を掛けられ、振り返ると青年と老人がいた。


「オレ?」

「そうそう。綺麗な顔をしているのう」


老人がじろじろとオレの体をなめるように見てきた。


「何か用?」

「仕事探してる?」


青年にそう言われ、頷く。


「君に向いてそうな仕事があるんだよ」

「どんな仕事?」

「お客様の相手をする仕事、まあ、風俗みたいな感じかな!」

「断る」


別の仕事を探そうと、この場から立ち去ろうとすると「なら力づくで連れて行くしかないな」と青年は鉄パイプを手に持ち、振りかぶってきた。青年の動きがスローモーションに見えるオレはひょいと避け、青年の背後に回り、首を叩く。青年は倒れた。


「貴様!何をした!?」


老人が叫ぶ。


「気絶させただけだよ」


オレはしゃがみ込み、気絶している青年と老人に声をかけた。


「せっかく、人間に生まれたんだから人生を無駄にするんじゃないよ」

「その言い方だと、まるで自分が人間じゃないみたいだな」


怯える老人にオレは笑った。


青年と老人を置いて、この場を後にした。老人が「…まさか、あの子は≪隔離区域≫の…」と呟いていたのは誰も知らない。


 



目立ってしまったから次の街に行こうと、都市の境界線に着いたときだった。目の前にオレを睨みつける大きな男が立っていた。通行の邪魔なので、男を避けて向こうに行こうとしたが男に邪魔される。


「え、何???」

「お前…」


男はオレを見るなり目を大きく見開く。その表情からオレが≪隔離区域≫を脱出したことを政府に知られたかと、鼓動が速くなった。けれど、焦らずにオレは静かな声で「急いでいるから、どいてくれないかな?」と言った。男は「悪い」と簡単に体をどかしてきた。


男は突然大きな声で、自己紹介をし始めた。


「警察庁討伐課の怪物討伐捜査官の橋野隆一だ!」


あまりの大きな声に驚愕し、オレは耳としっぽを出してしまうがすぐに戻す。


「≪隔離区域≫の住人が脱出したという噂を耳にした。何か情報があれば、怪物討伐捜査官の俺に連絡を」


橋野はオレに名刺を渡すなり、去っていった。


噂が広まっているらしい。オレが脱出したことに気が付いた政府がオレのところに来るまでにそう時間はかからないだろう。だが、それがどうした。オレはもう立ち止まらない。否、立ち止まれないのだ。




紅蘭市を出て、次の街である水掛市の境界線に足を踏み入れた。水掛市は港の街で、名前通り漁に強い街だった。海の匂いが鼻をかすった。≪隔離区域≫には海がない。海は架空のものだと思っていた。昔、母親に海はしょっぱくて、水を蒸発させると塩ができると教わったことがあった。そんな海が近くにある。海はどんな見た目をしているのだろうか。期待に胸を膨らませていると「久しぶりだね」と何の気配もなく、オレの背後に立つあの男に「ギャ!」と声を出してしまった。


「毎回何の気配もなく、背後に立つのやめてくれない?…竜王尚樹サン」

「はっはっは、ごめんよ。名前、覚えてくれたみたいでうれしいよ。あ、尚樹さんって呼んでね」

「あ、はい。で、何の用?」

「まあまあ、そう焦るなよ。君にお願いしたいことがあってね。ついてきてくれ」


執事らしき男がオレを軽々と抱き上げ、車に乗せられる。


「え、どこに行くんだよ」


そのまま尚樹もオレの隣に腰掛け、ニコニコと笑っている。いや、笑っていないで質問に答えてほしいんだけど。車はどこかに走り始め、オレは茫然と窓から外を眺めていた。


「これから行くのは僕の家だから」

「あ、そう」


楽しそうに笑う尚樹から逃げるのを諦めた。逃げても絶対に見つかるという野生の勘がオレにそう告げていた。正体不明の男、竜王尚樹。一体何者なのか?





車を走らせて、30分くらいだろうか。都会の真ん中に近づいていく。豪華な建物が連ねる中で、一際目立つ大きな建物が目の前に迫る。そこで車は止まった。車から降りると、ここが政治家たちの住処としている東京、白神町だと気が付いた。


「ようこそ、僕の家へ」

「でかすぎるだろ」


50メートルはある表門を目の当たりにし、唖然とする。竜王尚樹という男はどうやらお金持ちで政府と関わりのある人間だと察した。


尚樹に案内され、ある部屋に入る。本がたくさんあり、膨大な数の資料が棚にズラリと並んであった。書斎室なのだろうか。あまりの広さに落ち着かず、そわそわしてしまうオレを見て尚樹は笑う。


「さて、狼人くん。お話をしようか」


椅子に座り、有無を言わせない笑顔で彼は言った。オレは直感した。この人は怒らせるとダメな人だと。


「前に、君はどうして助けた?と聞いたね」

「ああ」


真剣な表情で話し始める尚樹にオレは姿勢を正した。


「君は自分の意志で≪あそこ≫から出たんだろう?」

「ああ」

「僕はそれを助けただけだよ」


机の上で手を組み、優雅に微笑む尚樹の笑顔はどこか寂しそうに見えた。


「ねえ、狼人くん。質問していいかい?」

「何?」

「狼人くん、人間が嫌いかい?」


尚樹の言葉に母親の言葉が脳裏に浮かんだ。




『ねえ、狼人』


母親の赤い髪がキラキラと煌めいている。周りの人間は「醜い」と言ったが、オレはそうは思わなかった。むしろ、美しいと思ったし、大好きだった。


『ん?』

『ここにいる人間はとても愚かなのかもしれないわね』


母親は盗み、暴力をする人間を見てそう話す。


『でも、ここにいる人間だけが悪なわけじゃない。世界は広いんだから、いつかあなたが心から信頼できる人間と出会えるかもしれない。好きになれとは言わないけど、嫌いにはならないでね』


優しく微笑む母親の顔がどこか、哀しそうに見えた。優しくも強かった母親の姿を今でも鮮明に憶えている。





「…別に」


回想を終えたオレは「別に」と答えた。


「じゃあ、好きかね?」


『好き』という言葉にオレは過敏に反応し、きつい言い方になってしまった。この時のオレの目は鋭くなっていたに違いない。


「それだけはねぇ」


そんなオレの答えに尚樹はただ「そうかい」と言うだけだった。


「一体、何の話がしたかったんだよ」

「そうだね、そろそろ本題に入ろうか」


先ほど執事が用意した紅茶を口にした尚樹。


「実は、君のことは神狼から聞いていたんだ」

「…」

「神狼は僕に言ってきたんだ。『オレの子、狼人はいつか≪あそこ≫から脱出するだろう。その時には狼人の手助けをしてほしい』ってね」


尚樹はじっとオレの顔を見てきたかと思えば、「ふふ」と笑い出した。


「君は本当に神狼に似ているねぇ」


尚樹が優しく微笑むものだから、父親と友人であることは真実なのだろうと思った。狼である父親とはどのようにして知り合ったのだろうか。聞きたかったが、いつか尚樹が話してくれるだろうと思い、聞くのはやめた。


「ま、僕は別の目的があって君を手助けしたわけなんだけどね」

「目的?」


椅子から立ち上がり、オレの目の前にやってきた尚樹は今までにない最高級の笑顔を向けてきた。


「今から君を何でも屋に任命します」

「---はっ?」

「何でも屋。依頼されたことは何でもやる。それが君の仕事だ」

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2024年12月22日 19:00
2024年12月28日 19:00

漆黒の狼〈Season1〉 氷魚 @Koorisakana

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