【博覧会Vol.2】はじめてのおつかい
紫吹明
第1話 ありふれたハプニング
「……あっ」
『どうしたの?』
「靴ひもが切れた」
それは、街道沿いを歩き続けて数日が経った夏の日のこと。不意に後ろから聞こえてきた会話に、アイラはぱちりと瞬きをして足を止めた。振り向けば、焦げ茶の頭をした少年と青白い毛の仔狼が身を寄せ合うようにして足元を覗き込んでいるのが見える。
少年――ジェナは、顔を上げると眉をハの字にしてアイラを見上げた。
「アイラ、直せる……?」
「えっと……」
控えめな問いかけに、アイラは思わず言葉に詰まりながら鞄を手で押さえる。
家を出る時に、必要だと思ったものは全部持ってきた。とはいえ、旅なんてしたことがなかったアイラに想像できる「必要なもの」などせいぜいがお金や非常食ぐらいのもので――つまり。
「ごめんね、替えの靴紐や糸は持ってなくて……」
技術はあっても、必要なモノが荷物に入っていないのだった。
街道から少し離れた木立の陰で、急遽会議が始まった。
『とりあえず、選択肢は三つだよ』
青く澄んだ目で一同を見回してザイロが告げる。
『一つ目、何か適当なツタを代わりに使う。昔の人間が使ってたやつ覚えてるから、採れそうな場所までボクが案内するよ』
外見こそ一対の翼を生やした愛らしい仔狼だが、ザイロは邪神の配下として長年にわたり信徒への贈り物を担当している。過去の人間の暮らしも大陸中の地形や植物の分布も、この場で一番詳しいのはザイロだろう。
無事だった方の靴紐を片手でいじりながら、反対の手を挙げてジェナが尋ねる。
「ツタを取って結ぶならお金もかからないし、それが一番いいんじゃないの?」
「……そうかも」
鞄の中身を思い浮かべてアイラも小さく頷いた。持ち出した財布の中身は日々の食事に少しずつ、だが確実に減り続けている。買わなくていいというのは正直かなり魅力的な選択肢だ。
けれど、ザイロはぺしょりと尻尾を垂らして首を振った。
『確かにそれはメリットだけど、ツタは紐と比べたらあまり使い勝手が良くないみたいだよ。結びづらいとか脆くなりやすいとか……そんな感じの理由でみんな紐を使うようになったはずだから』
「そっか……ちぎれやすいのは困るかも、その時ツタが取れるような場所にいるかどうか分からないし」
ぽろりと懸念を漏らしたアイラに、ジェナも大きく頷いてみせた。
アイラ達の行き先は、次に戦うべき敵がどの街を拠点にしているのかで決まる。目的地を選べない以上やはり身につけるものは安定して手に入る物が望ましい。
「でも、ツタが難しいならやっぱり紐を買うことになるよね?」
『それはそう。選択肢二つ目は、行商人を待つこと!』
ジェナの問いかけに、ザイロは高らかに次の選択肢を掲げることで応じた。告げられた言葉にアイラとジェナは揃って首をかしげる。
「行商人って、特産品を買っていってよその地域で売る人だよね……?」
「うん。僕の住んでたとこでも野菜を買ったり魚を持ってきたりしてたけど……あの人たち、靴紐も売ってるの?」
行商人と聞いて二人の頭に浮かぶのは、交渉役の大人を相手に商品を買い付けたり家々を回って各地の特産品を売り捌いたりする姿ばかり。彼らがどの街でも手に入るような日用品を持っている様子など想像がつかなかった。
そんな二人にザイロは力強く頷いて説明する。
『今みたいに旅の途中で突然困ったことが起きることもあるでしょ? そういう旅人に売る用に、たいていの行商人はビスケットやちょっとした道具を少しは持ってるんだよ』
「へぇ……。街に行かなくても買えるんだ」
「でも高そう」
目を輝かせるアイラの横で、反対にジェナは眉間にしわを寄せる。正反対の二人の顔に、ザイロは小さく吹き出した。
『うん、メリットもデメリットも二人が言ってくれた通り! いいヤツに当たればちょっと高いぐらいで済むけど、あくどい奴は「こっちは別にアナタに売らなくてもいいんですよ」とか言ってあり得ない値段つけてたりするよ』
「うわぁ……」
意地悪そうな声真似を混ぜて語られた目撃談に、ジェナが心底引いたような声をあげる。アイラも声こそあげないもののぎゅっと眉を寄せて鞄の紐を握りしめた。そんな状況に直面してしまったら、旅の資金を守りきれる自信が残念ながらアイラにはない。
こうなったら、最後の選択肢が良いものであることを祈るしかない。アイラは鞄を持つ手に力を込めたまま真っ直ぐにザイロを見て口を開いた。
「選択肢は三つ、って言ったよね。あとの一つは……?」
ジェナが居住まいを正す。風が吹き、アイラの髪を軽くなびかせた。葉擦れの音が止むのを待って、ザイロは何ということもないように答えを告げる。
『とりあえずツタで応急処置だけして買いに行く! ちゃんとした靴紐が手に入るし行商人から買うより安いっていうのがメリットかな』
明るい声と裏腹に、ザイロの青い目は真剣な光を宿してアイラとジェナを見つめている。その目から逃げないようにして、アイラはゆっくりと考えを声にのせた。
「デメリットは、街に入らなきゃいけないこと……だよね」
「小さい村を選んでもそれはそれで怪しいもんね。なんでわざわざこんな所に?みたいな」
唇に人差し指を押し当てて目を伏せたジェナが言葉を続ける。辺りに重い沈黙が落ちた。
街を歩いて買い物をすれば、それだけ素性が知れる可能性が高まる。「邪神の子」「世界に仇なす反逆者」――アイラとジェナを表す言葉はシンプルだが重い。故に求められるのは、正体を隠し通すかあるいは追手をすべて薙ぎ払って逃げ切るか。どちらにせよそこそこ難度の高いミッションだ。
靴紐をツタで代用すること、行商人から買うこと、街に買いに行くこと――三つの選択肢を頭の中で慎重に比べて、アイラは決断を下す。
「街に行ってみよう」
「アイラ……いいの?」
「うん。もし戦いになっちゃったとしても、早いか遅いかの違いだし……それを心配するよりちゃんとした装備を整えるほうが大事だと思うから」
反逆者として生き続ける以上、いずれ必ず戦わなければいけない日が来る。アイラはポケットに手を入れ、つるりとした感触のクリスタルに触れるとそっとそれを握りしめた。父のように想う神から授けられた力の結晶はアイラの魔力に反応してふわりと優しい光を放つ。
『わかった。じゃあまずはツタのあるところ、それから一番近い街に案内するね』
アイラのポケットから漏れる光に目を細めながらザイロが告げる。静かに成り行きを見守っていたトロンが、楽器と蛇の融け合ったような身体から了承の音を鳴らす。ジェナもアイラとザイロを交互に見てしっかりと頷いた。
こうして、アイラ達の旅は少し進路を変えることになるのだった。
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