第15話 ノアの記録


 宿に戻ったティウは、部屋に入ると真っ先にインクの経年変化について調べることにした。


遺伝書録アニマリベル!』


 魔法陣と共に出した書物は、ノアが作った万年筆の記録だ。

 本屋でも思ったが、欲しい書物が念じただけで出てくる遺伝書録アニマリベルは本当に便利だと思う。


(探す楽しみもあるんだけど、いっぱいあり過ぎて時間が全然足りないのよね)


「どれどれ~?」


 パラパラとページをめくって文字を追う。


 万年筆の発想はやはり遺伝書録アニマリベルで、構造の試行錯誤から始まり、万年筆専用のインクの開発も行ったようだ。

 ノアは魔力を帯びた魔石を砕き、インクに配合しようとしたことがあるらしい。

 これが成功すれば、遺伝書録アニマリベルを書くペンと同じような、魔力を帯びたペンが出来ると考えていたようだ。

 しかし魔力を帯びた魔石は砕いた時点でその魔力が霧散してしまい、実用には至らなかったと記録されていた。


「これ、危なくない……?」


 魔力を帯びたインクで魔法陣を書けば、単純に威力が上がったり便利だろう。だが、それと同時に大変危険なものだという事も分かった。


 もし紙に書いた魔法陣だけで魔法が使えるようになってしまえば、事態はさらに深刻化する。

 百年の歴史の中で、紙は生活の中で当たり前の存在へとなっていた。つまりどこにでもあるという事だ。

 紙は折り畳んでしまえば容易に隠し持てる。雨に濡れて魔法陣が変化し、暴発だってし得るのだ。

 人が多い所で、急に魔法が暴発したりする可能性だって捨てきれない。


「どうした?」


 黙ったまま青ざめていた様子のティウを怪訝に思ったのか、ジルヴァラが心配そうに声をかけてきた。


「じーちゃんが危ない物を作ろうとしてた……」


「……それはいつもの事だろう?」


 今更何をと言わんばかりに首を傾げるジルヴァラに、ティウはきょとんとした。よくよく考えてみれば、ノアの魔道具の数々はそういった攻撃力を高める物も確かに多い。

 それもそうかと苦笑しながら次のページをめくった。


「えっと……インクの劣化は酸化によるものだということが分かっている。これを逆に作用させれば、インクに配合させる鉱物の種類とその量で、経年変化としてインクの色が変えられるだろう……これだ!」


「さんか……?」


 ジルヴァラの眉間に皺が寄っていた。それに気付いたティウが笑う。


「錆とかの事だよ。茶葉に含まれる成分と鉄をあらかじめインクに混ぜておけば、空気に触れてインクの色がどんどん変わるんだって。鉄が錆びる仕組みを応用してインクにしたみたい」


「錆……あ、あれか!」


「どうしたの?」


「ノアのじーさんに言われて、なぜか鉄の鍋やらを大量に買わされた事があったんだ。それをわざと全部錆びらせるもんだから、何しているんだって呆れたんだ」


「それは多分、インクの酸化速度を計るために実験してたんじゃないかな? というか、材料として鉄の鋳塊があるのに、どうしてわざわざ鍋を買いに行かせたんだろ?」


「それは別で使うからとりあえず買って来いと言っていたが……」


「あはははは! 追加で鋳塊買えばいいのに、じーちゃんらしい~」


「たしか、あの後に錆を取ればティウが使えるから大丈夫とかも言っていたぞ?」


「えええ! インクまみれのお鍋があるって事? 洗ったら使えるかなぁ?」


「……ちょっと嫌だな」


 インクの成分は主に茶葉から取っているようなので、そう考えたら別に嫌悪感はないのだが、ノアの実験後の鍋というだけで眉をひそめてしまう気持ちが分かった。

 お茶の葉以外に色々試しているはずなので、それを教えて貰ってから洗うか決めようとティウは心の中で思った。


 ある程度知りたいことが知れたティウは、スッキリとした顔をしながら言った。


「あ、ついでに私の書録にメモ書きだけしちゃってもいい?」


「構わないぞ」


「ありがとう。急ぐね!」


「いや、急がなくていいぞ。ゆっくり書け。俺が見張っているからな」


 それを聞いて、今更ながらどうしてノアがジルヴァラと絶対に一緒に行くようにと強く念を押したのかようやく理解した。

 遺伝書録アニマリベルに記録している間は、夢中になりすぎるゆえに特に無防備になりやすい。長命種族なのに、眠る時間すら惜しんだほどだ。

 だからこそ戦闘が苦手なノアとティウは魔道具の家の中で生活していた。


(私、全然危機感が足りてなかった……)


 百年前に迷惑をかけて、また心配させている。

 ティウは調べていたノアの書録をぱたんと閉じ、ジルヴァラにお礼を言った。


「ありがとう」


「ん? 気にするな」


 そう平然に言いながらもジルヴァラは照れているのか、尻尾がぶんぶん振られているのが分かった。


 ティウはさっさとメモ書きを済ませてしまおうと、自分の書録を魔法陣から取り出し、ペンを持つように手を軽く握った。

 するとティウの手の中に赤い光がふわりと輝き、気付けば先ほど購入した万年筆と似た形のペンのようなものを持っていた。


 ティウは白紙のページにすらすらと文字を書いていく。書いた場所が赤黒く光り、そして白い紙の中へとすうっと吸い込まれて消えていく。

 確かに文字を書いているはずなのに、次の瞬間には文字は消えてなくなってしまう。

 その光景はまるで、文字が本の中に吸い込まれてしまったかのようにジルヴァラの目には映っていた。


「……眠らなくて大丈夫か?」


「うん。メモするだけなら平気。調べ物しながらとかになっちゃうと、眠っている方が集中できて効率が良いってだけなの。あとは寝ている時間を有効活用したいだけかな?」


「そうなのか。……あ、だからノアのじーさんはいつも作業机に突っ伏したまま寝ているのか?」


 百年一緒に暮らしていても、無精で机で寝ているだけだと思っていたのだろう。ジルヴァラは呆れた溜息を吐いていた。


「じーちゃんは書録に書くのも途中で夢中になってメモ書きじゃ済まなくなっちゃうんだと思うの。それで、そのまま寝ちゃってるんだと思う」


 苦笑しながらティウがそういうと、なるほどな……とジルヴァラが神妙に頷いた。

 きっと何度もベッドに行けと注意してくれていたのだろう。


 ティウは箇条書きで簡単に、朝食のメニューから書いていく。チラシ、売られていた本、手帳にインクの経年変化。


(あ、そうだ。インクまみれのお鍋もメモしとこ!)


 これは書録の日記に書こうか、それとも買ったばかりの旅行手帳に書こうか一瞬迷い、ティウは魔力のペンを消した。


「もういいのか?」


「うん。ありがとう!」


(買ったばかりの手帳と万年筆を使いたいな!)


 書録とは違ってインクと一緒に経年変化を楽しめる手帳。これに旅の思い出として記録しようと心に決めた。

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