第3話 先ずは腹ごしらえ
自分自身に回復魔法をかけて身体のだるさを取ってから着替え、場所をダイニングに移した。
テーブルを挟んで向かいに座っているジルヴァラと祖父の姿を見て、ティウは居心地が悪い。
二人とも結界にぶつかったせいで鼻が赤い。彼らにも回復魔法をかけようとしたが、ティウの体調が万全か分からないからと止められてしまった。
(え……さっき自分にも魔法かけたから大丈夫なのに……)
そう思ったが、余計に心配をかけてしまいそうだったので言うのは止めておいた。
ティウは少し溜息を吐きながら、周囲に満ちる記憶との差違を探して目の前の祖父を見る。
祖父の見た目は三十代に入ったばかりの、とても綺麗な顔をした青年の姿をしている。
希少種で長寿であるエルフ族の血が濃いため、これでゆうに五百歳は超えているなどと誰も想像つかないだろう。まごうことなきティウの祖父で、名をノアという。
ノアは鼻水ずるずるでえぐえぐ泣いていて、綺麗な顔が台無しになっていた。その隣に座っているジルヴァラは何か言いたげにじっとティウを見つめている。
「ああ~~よがっだよ~~もう目が覚めないかと思っていたんだ~~」
「えーっと……私、そんなに寝てたの?」
「丁度、百年かなぁ」
「ひゃ、く!?」
ノアの言葉に、ティウの頭の中が真っ白になった。
「精霊族はよく眠るから放っておけってサミエは言うし……ハラハラしながら様子を見ていたけれど、百年は長かったよぉぉぉ~~」
サミエとはティウの母であり、ノアの娘だ。ティウの父であるマーニが精霊族でよく眠るとはいえ、まさか百年も寝ていたとはティウ自身困惑が隠せなかった。
今もこうして「びえええ!」と泣きながらテーブルに身を乗り出してティウに縋り付くノアを見ても、昔からの行動そのままで、時の流れを感じさせない。
ただティウの記憶にある姿と今を見比べると、確かに少しだけ歳をとったような印象があった。
一族特有の黒髪と黒い瞳。髪は長く、前髪も一緒に緩く流して後ろで一つに括り、小さな丸い眼鏡を愛用している祖父は、特にエルフ族の特徴が濃く出ていて耳が尖っている。
手先が器用で魔道具を作ることに精通しており、この世界で流通しているほとんどの魔道具の原型は、このノアが作り上げたものだった。
「びえええええ!!」
鼻水ずるずるで泣き方が酷く子供のようであるが、れっきとした一族の一人である。
さらにティウの一族が「賢者の一族」と呼ばれるきっかけになったのも、このノアだった。
「ぶえええええ!!」
泣き方が非常に汚い。そしていつもより特に酷い。
(じーちゃん、全然変わってないや)
ジルヴァラがノアの腰を掴んでティウから引きはがし、そのまま椅子に座らせた。甲斐甲斐しいその様子を見たティウは、もしかしたらジルヴァラはノアと一緒に住んでいたのかもしれないと思い当たる。
「あー……えっと、ごめんね、じーちゃん」
「ごれでやっどティウのご飯が食べられるぅぅぅ~~!!」
「そこっ!?」
思わず突っ込むと、いつものティウだとノアが喜んだ。
「……ご飯」
隣でずっと黙っていたジルヴァラも期待した声で呟いた。「あなたもなの!?」と、ティウが反射的に言った瞬間、彼女のお腹から「ぐううう~」と音がした。
先ほど自分に回復魔法をかけたので、身体の調子も戻ってきたのだろう。
「……分かった。私もお腹が空いてるみたいだからご飯作るね」
身体は正直だと思う。ティウが苦笑しながらも席を立つと、ノアとジルヴァラが歓声を上げた。
*
エプロンをしてキッチンに立ったティウは、横にいるジルヴァラをちらりと見て、とりあえず肉食かなと思った。
ここしばらくはジルヴァラが食事を作っていたそうで、食材などを把握していたのは彼だった。
随分勝手が変わったキッチンの様子に戸惑いながらも、ティウは今ある材料や調味料をジルヴァラに聞きながら一つ一つ確認していく。
百年の間に調理器具もキッチンも進化を遂げていた。これには驚きの連続である。
「なにこれーー!」
「ノアのじーさんが作った保存庫だ。常に食材を冷やして保存ができる」
「じーちゃんが作ったの!? じゃあこっちは?」
「それは魔道コンロだ。魔石を燃料に自動で火が点くようになっている。これもノアのじーさんが作った」
「きゃ~~楽しい!」
昔は薪に魔法で炎を点けるのが当たり前だったのと比べて、なんて便利になったのだろうか。
ティウは大はしゃぎで火を点けて色々試している。弱火から強火まで好きに調節できると知って感動しきりだ。
しかし、ノアがこれらの道具を作った理由を聞いて呆れた。料理担当のティウが眠ってしまった後、自分で料理をしなければならなくなったノアが薪を準備するのが面倒だからだったという。
「自分が楽をするために魔道具作るのは変わってないね」
「……昔からそうなのか」
「うん。全然変わってないよ」
カゴに入った根菜類を手に取って一つ一つ確認しながら、棚からまな板と包丁、スキレットを取り出して準備をする。
「保存庫にお肉もお野菜も一通りあるし、大丈夫そう!」
同時進行で三品作ることにした。最初は道具の場所や魔道具の扱いに手間取っていたものの、ジルヴァラに使い方を説明してもらいながら何とか料理を作っていく。
香ばしい匂いで部屋が満たされる頃には、ノアとジルヴァラがいそいそと食器を用意してくれた。
ジルヴァラは手慣れた様子でバゲットが入ったカゴを丸ごとテーブルの中央に置き、ブレッドナイフで斜めにスライスして皿に並べた。
一品目はノアの好物である、塩とハーブで味付けをした鳥の香草焼きを、スキレットごとテーブルに持っていく。
それを見たジルヴァラが鍋敷きを持ってきてテーブルに敷いてくれた。それは使い込まれて厚みが薄くなり、汚れてボロボロになっている。昔、ティウが手作りした鍋敷きだった。
(……百年も使ってくれてたんだ)
大事に使ってくれていたのが分かって嬉しい。
(中の綿が潰れちゃってる。香り用に入れてたハーブとかもダメになってるだろうし……今度作り直そう!)
ベイリーフやクローブ、ローリエなどを入れて鍋敷きを作る。
上に温かいスキレットや鍋を置けば、ふわりとハーブの香りが立つアイテムとなる。ティウはこういうキッチン用の小物を作るのも大好きだった。
さすがに今のこの鍋敷きでは厚みが薄すぎるので、厚みを足すために鍋敷きの下にふきんを敷いた。
もう一つのスキレットには、二品目として作っていたジルヴァラ用の鹿肉料理が出来上がっている。こちらはミトンを鍋敷き代わりにしてテーブルに並べた。
牛の骨を煮込んで取った出汁が魔道具の中から出てきた。
さらにハーブを沢山入れて煮詰めた鹿肉も出てきたのでこれも利用することにする。
さらに甘めの味付けを施したタレをかけて焼いてみたが、彼らの目が輝いているので正解だったのだろう。
(この出汁、じーちゃんの魔道具の中に入ってたけど……私が昔作ったやつだよね? それって百年前……)
そう思うと生唾が出て思わずごくりと飲み込んだが、恐る恐る味見をしてみたら普通に美味しかった。
ジルヴァラは魔道具箱に入っていたなら時間の経過が無いから大丈夫だと言うけれど、ティウはこっそり腹痛用の薬を戸棚から取り出すのも忘れない。
「ナナの香草焼きだ!」
先に出したスキレットの中身を見てノアが喜びの声を上げた。
ナナとはティウの祖母の名だ。魔神族で戦好きだったナナはすでに亡くなっている。戦死だった。
亡くなる直前まで、ティウは料理の師として仰いでいた。だからこそ、ティウの料理は祖母の味をそのまま受け継いでいる。
切り分けた肉を次々と皿に分けていき、最後に三品目として作ったポトフもカップに入れて並べた。これは胃の調子を考えたティウ用だ。
ノアはスライスしたバゲットの上に香草焼きを乗せて齧りつく。口に入れた瞬間、またぶわっと泣き出した。
「うう~~ナナの味だ~~ティウのご飯だ~~~~!」
記憶力が良いこの一族は、その味の細部まで記憶しているからとても厄介だ。どうしても舌は覚えた味を求めてしまう。
「やっぱりティウの飯は美味い」
ジルヴァラもタレ焼きを口いっぱいに頬張りながらそう言った。
この発言から、以前にも食事を振る舞った事があるらしい。それすらも記憶に無い事に気付いて、ティウの手がピタリと止まった。
面と向かって覚えていないと言ってもいいものだろうかと悩む。だが、今この場で言うことでもない。とにかく食事をしようとティウは料理に視線を落とした。
ポトフはなるべく具材を細かく刻んで煮込んでおいたのだが、やはり長年寝ていたせいなのか、一口だけで胃が重たいと思ってしまった。
回復魔法で回復させたとしても、身体はとても正直だと複雑な気持ちが溜息となってこぼれた。
「私、百年も寝てたんだ……」
衰弱せずにこんなにも眠り続けられたのは、ひとえに父から受け継いだ精霊族の血のおかげだろう。
「ティウはやれるだけやったよ。あれから百年も経っているけれど、今もあの結界は健在だ」
「あの結界?」
思わず聞き返すと、ノアは持っていたフォークをからんと皿の上に落とした。ジルヴァラも目を丸くして、二人してティウを凝視していた。
「まさか……覚えていないのかい?」
しまったと思ったが遅かった。言い出しづらかったとはいえ、きちんと先に話せばよかったと後悔した。
「あ、いや、その……まだ混乱しているのか、なんでこんなに寝ていたのか分からないの……」
ティウは申し訳なさそうに言いながら視線をジルヴァラに向けると、すぐにその意味に気付いたらしく、彼もフォークをからんと落とした。
最初にジルヴァラが名乗っても反応できなかったことで、もしかしたら薄々気付かれていたのかもしれない。
「と、とりあえず、その辺の説明は長くなるからご飯の後にしよう。
場の空気が凍り付く寸前で、ノアが流れを変えてくれた。
「……うん」
何だか確認したくない。そう思ってしまったせいか、胃の都合よりも食の進みはもっと遅くなってしまった。
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