第2話 目覚め



 鮮明かつ長い夢を見ていた気がするのに、一瞬で忘れてしまうのはなぜだろう。


 必要ないと分かっていることでも頭は全て記憶してしまうのに、興味はあるのに「夢」とは相性がとても悪いらしく、いつも忘れてしまう。


 寝起きすぐの頭は重く、いつもよりも動きが悪かった。ぼんやりしながら凝り固まった腕を回し、首回りを解しているとゴキゴキと嫌な音がした。


 今日は特に頭の動きが鈍い。どれだけ寝ていたのかとぼんやり考えていると、突然部屋の入り口から叫び声がした。


「ティウ!?」


「……え?」


 知らない声が「ティウ」と呼んだ。その名は自分の名前だと驚いて振り返ると、こちらを呆然と見ている青年がいた。


 目鼻立ちがハッキリした掘りの深い顔。雪のような銀の短髪、快晴を思わせるような透き通った青い瞳。

 身長は目測でも天井に近いことで凄く高いと分かる。頭にはピンッと真上に立った大きな耳、その背後で勢いよく振られている尻尾。


 パッと見た印象では二十代の中頃だろうか。


(どうして獣人の犬族がこの家に……? 入れるのは一族か魔力の多い者だけのはず。でも色が薄い……まさか、精霊科のフェンリル族?)


 この世界には沢山の「種族」がいる。それらは長い歴史を辿り、今や「科」と「族」で分けられていた。

 その中に人と獣の特徴が半々の姿をした獣人という種族がいて、だいたいが人族と同じ姿であっても犬や猫の耳と尻尾、または鳥の羽が背に生えている種族と様々だ。


 彼らは長年の月日をかけて獣から人へと進化を遂げた種族であるが、それとは別に「人化」・「獣化」と言って、人の姿と獣の姿を自在に操れる種族もいた。

 後者は高い魔力ゆえに進化した希少種と呼ばれる種族だった。


 獣人は元から耳や尾、角や鱗といった獣の姿の一部が出て生まれてくる種族であったが、「人化」は完全に人の姿を取ることもあれば、身体の一部のみを変化させて獣人のような姿を取る事もできた。


 「獣化」は獣そのままの姿を取ることを指す。


 ティウの目の前に立つ青年は、希少種の一つである精霊科・フェンリル族特有の色を備えていた。


 銀と青。フェンリル独特の色合いを持つ青年をティウはまじまじ見て、驚きが隠せない。

 個人的な知り合いでもないし、一緒に住んでいる祖父の知り合いにもフェンリル族がいた記憶はない。


 どうしてこの家にいるのだろうかと周囲を見回すと、目に入った家具全てが記憶よりもさらに経年変化を経て、飴色に変わっているのに気付いた。


「あれ?」


 自分の部屋であるはずなのに、置いてある調度品が少し変わっている。


 新調したばかりのお気に入りのシーツやカーテンも別の物に変わっていた。まるっと新しくなっているのを見て、覚えが無いゆえに居心地の悪さを感じた。


(私が選んだシーツとカーテンじゃない……)


 ミモザの花束の絵が刺繍された可愛い柄にしたはずだった。今はただ無機質で、趣味の違いを感じる。


 困惑したまま目の前の青年に視線を戻せば、こちらを見て感極まった顔をしていた。何だか泣いてしまいそうなその様子に、思わずたじろいだ。


「ティウ、目が覚めたんだな。良かった……!」


 急に青年が両手を広げて距離を詰めてきたので、驚いて反射的に無詠唱で防御魔法を使ってしまった。


「ぶっ!」


 ガンッと良い音と共に顔面から結界にぶつかった青年は、鼻を押さえてその場に蹲った。


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 もしかしたら祖父の知り合いかもしれない。この家は特殊で、丸ごと祖父が作った魔道具だった。人の出入りどころか、家を目視することすら簡単にはできないようになっている。


 そんな家に入れるという事は、この青年は祖父の知り合いで間違いないだろう。


 しかし、自分にとっては知らない人だということに変わりはない。

 知らない人に急に詰め寄られたら、防御してしまうのも仕方ない……と、心の中で言い訳をする。


 そう正当化しつつも、痛みに悶絶している青年を見ていたら、やはり罪悪感が拭えなかった。


(回復魔法をかけた方がいいかな? でも結界を解いて近付くのも何だか怖いし……)


 距離があるから回復魔法が使えないというわけではないが、このままでは自分の結界に阻まれて回復魔法が青年に届かない。


 結界を解くか解かないかで悶々と悩んでいると、呻きながら青年が立ち上がった。しゅんと垂れた耳と尻尾を見て、さらに罪悪感が強まった。


「そ、そうか。あの頃より俺も大きくなったからティウは分からないよな。俺、ジルヴァラだよ」


「ジル、ヴァラ……?」


 そう名乗った青年の頭から足下までじっくり見る。彼はこちらをわくわくしながら見ていたが、ティウの記憶にその名は無かった。


「…………ジルヴァラ」


 犬族特有の耳と尻尾。精霊科のフェンリルだとすれば、今は人化している状態なのだろう。

 彼の髪の明るさからして魔力量はあまり多くないのだろうが、その色からフェンリル特有の氷と水の魔力が強い事も分かった。


(そもそも普通の獣人なら魔力が足りなくてこの家には入れないはずだし……でもフェンリルに知り合いなんていたかしら?)


 眉間に皺を寄せながら「ジルヴァラ……」と、何度もぶつぶつと呟いている姿に不穏な空気を感じたのか、ジルヴァラが慌てて言った。


「ノ、ノアのじーさんにティウが起きたって教えてくる!」


 ジルヴァラはバタバタと足音を立てて部屋を出て行った。




          *




 ジルヴァラの背中を呆然と見送っていたティウは、ハッと我に返った。

 もう一度、周囲を見回しながら寝る前の記憶と今の風景を一つずつ確認していった。


 やはり、部屋の中心にいる自分だけが、どう考えても異質に思えて仕方がなかった。


 ジルヴァラはこちらの事を知っているのに、どうしてこちらの記憶にその名が無いのだろう。己の一族からしてみれば、「覚えていない」という状況はおかしい事だった。


 何よりティウの一族はどの種族よりも特殊で、さらにある理由で一族全員の記憶力がずば抜けているのだ。


(思い出すのに時間がかかったとしても絶対覚えているはずなのに……どうして自分の部屋の事すら覚えていないの?)


 寝ている間に周囲の家具を祖父が変えたにしても様子がおかしい。じゃあ母だろうかと首を捻る。


 他に何か判断するものはないかとベッドから降りてみれば、くらりとめまいを起こしてふらついた。それに足腰に力が入らない。寝起きだからというよりは、まるでしばらく寝たきりだったようだ。


 サイドチェストに手をかけながら、カバーがかかっている姿見の前までなんとか移動した。


 恐る恐るカバーを外して自分の身体を鏡で確認する。


 一族特有の黒々とした髪は襟足が少し長いストレートのショートヘア、真っ黒な瞳。

 父にそっくりだと言われる童顔と十六歳という年齢に比べて小さな体。

 でも、記憶よりも自分の身体がだいぶ痩せていてぎょっとする。


 そのせいか、記憶にある自分の身体よりもっと小さく見えた気がした。


(……十六?)


 何だか記憶に齟齬を感じた。それが何かと考える前に、廊下の向こうから慌ただしい足音がした。

 ジルヴァラが呼んできた祖父かもしれないと扉の方へと顔を向けると、やはり祖父だった。


「ティウ~~! 目が覚めたんだね!!」


 がばっと両手を広げて突進してくる涙目の祖父の姿にティウがぎょっとした瞬間、解くのを忘れていた結界に彼は見事にぶつかった。


「ぶっ!」


 ドゴッと良い音と共にずるずるずる~と結界の壁に沿って落ちていく祖父の姿を見ながら、ティウはとりあえず「おはよう、じーちゃん……」と言ってみた。



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