第2話 しゃべるナイフ

「止まれええええぇぇぇ!!」


 ダンジョンの中を爆走するグレース。苦労をして深くまで潜ってきた道のりを後戻りしていく。

 どんなに力を、気合を入れてもボス部屋から遠ざかろうとする己の足を止められない。


 何層も上まで戻ってきて、やっと足が止まる。

 どうして俺は逃げたりしたんだ……!? 恐れ? いや違う。相手がドラゴンだとしてもこの俺が臆するわけがない。


 愛用の大剣も使えないし、俺に何が起きているんだ!? そうだ、このナイフ、何かしゃべっていたような……。


「おい! お前のしわざなのかっ!?」


 右手に握られたナイフに声をかけるが、返答はない。しかし確かにあの時、「俺を使え」と言ったし、「もう無理」だなんてほざいていたのはこいつだ。


「この野郎! 呪いの武具か!?」


 ダンジョンの中でナイフを罵倒する様子を誰かに見られたら、かわいそうな人だと思われることだろう。


 なお何も応答がないナイフに話しかけるのを諦め、グレースは慌てて仲間たちの元へと引き返す。頼む、間に合ってくれ、無事でいてくれ……!


 かなりの距離を全力で走った、いや、走らされたため、グレースの足は重い。それでも結果的に見捨ててきてしまった仲間のことを思い、重装備の体に鞭打ち、懸命に走った。


 ボス部屋の扉は開かれたままだった。中で戦闘が行われている様子もない。体中から汗を滴らせながらグレースが部屋へと入る。


 そこには倒れた者や、立っていてもボロボロになった仲間たちがいた。ドラゴンは幾筋もの剣撃を受けた傷を残して、完全に息絶えているようだ。


「あんた、なんで逃げたのさ」


 険しい顔をしたニーナが仲間を介抱しながら、戻ってきたグレースに声を投げる。彼女自身もローブが焦げ、軽い火傷を負っている。


「逃げたわけでは……いや、本当にすまない。生きていてくれてよかった」


 グレースを一瞥したニーナは彼の言葉を無視し、仲間に声をかける。激怒されるもの当然だ、俺はそれだけの失態を犯してしまったのだから……。


 ドラゴンの前で膝立ちに屈んでいるエルザの姿を認め、グレースは走り寄る。彼女の鎧はところどころ溶けており、刃こぼれした剣を握りしめている。


「エルザ! 大丈夫か!?」


 グレースの言葉に弱弱しく顔を上げるエルザ。


「グレース……? 戻ったの……?」

「俺はなんてことをしてしまったんだ……」

「何か、わけがあるんでしょう……?」

「弁明はホームに戻ってからにさせてくれ」


 今にも意識を失いそうなエレザを抱きかかえようとするグレース。


「おいっ! 卑怯者がギルマスに触るんじゃねぇ!!」


 アレクスの怒声が響く。最前線で体を張り仲間たちを守ったのだろう、鎧を脱いだアレクスの全身は真っ赤に腫れている。


「彼女は俺が運ぶ」


 グレースを押しのけ、満身創痍のアレクスがエレザに歩み寄る。


「アレクス、お前も重傷じゃないか。ここは俺に……」

「うるせえ!! てめえが逃げて、エレザは一人でこの化け物に向かってったんだぞ!」


 既に気を失っているエレザを抱え、アレクスは時折ふらつきながらも、歯を食いしばって出口へと向かっていく。


 その後ろ姿を見送ることしかできないグレース。今、自分に出来ることをするしかない……。彼は倒れた仲間を背負い、ダンジョンから撤退した。


―――――


 ギルド「アジャースカイ」がドラゴンを倒し、高難度ダンジョンを制覇したという話は、瞬く間に市中に広がっていった。

 一人で強敵に立ち向かい討伐に至ったギルドマスター、エレザの名は賞賛と共に語られた。同時に、黒鉄くろがね鬼兵きへいグレースが敵前逃亡したという噂も。


 ギルドのホームの一室で、グレースとエレザは対面していた。彼女の頭には包帯が巻かれ、赤い戦姫の異名の元となった赤く綺麗な長い髪も、焦げた部分をカットしたのか短くなっている。


「傷は、まだ痛むのか?」

「まあ、少し、ね」

「おっ、こないだの可愛い子じゃん。やっほ~」


 エレザの手は包帯で埋められ、痛々しい白さを放っている。ドラゴンを倒してから1週間が経つが、傷が癒えるのはまだ先のことだろう。


「さてと、世間ではあなたが敵前逃亡したと言われているけれど、私はそうは思わない。何か理由があったんでしょう?」


 祈るような目でグレースを見つめるエレザ。


「俺がしたことは否定しない。だが、例え信じてもらえなかったとしても、君にはありのままを話す」


 彼はテーブルに例のナイフが収められた鞘を置く。


「こいつが原因なんだ。これを持つと、一度攻撃をすると体が勝手に敵から逃げてしまうんだ」

「あの時のナイフ、呪われているの……?」

「呪いだって? 俺様をそんな風に言うなよな~」

「いや、教会で見てもらったがそういう類のものではないらしい。特殊効果の一種だろうと」

「呪いじゃないなら、捨てたりできないの?」

「可愛い顔してひどいこと言うなぁ。カチカチの俺でも、心が痛むぜぇ」


 グレースは諦めた顔で頭を掻く。


「こいつから数メートル離れると、それ以上は動けなくなる。基本的に肌身離さず持つしかないし、他の武器を使うこともできなくなった」


 この1週間、グレースは街の周辺に出没するモンスターで色々と試していた。一度攻撃すると自分の意思に関わらず逃げてしまうことはすぐに分かった。


 あの時は相手が強力なドラゴンだったから効果が発動しただけだと思いたかったが、低級なモンスター相手でも結果は同じであった。


「そんな……どう考えても、それは呪いだわ……」

「だ、か、ら~、呪いじゃないっつーの」


 エレザの顔色がいっそう曇る。


「なあ、ここには俺と君しかいない、そうだろう?」

「どうしたの? そうよ」

「俺様もいるだろ~、無視しないでくれよ~」

 

 グレースは大きなため息をつく。


「さっきから、俺にはごちゃごちゃとさえずる、こいつの声が聞こえている」


 ナイフを指差し苛立った声を上げるグレース。


「え? どういうこと?」

「そのままだ。こいつは、しゃべるんだ。しかも、俺にしか聞こえない声で」

「残念だよな~、俺様もエレザちゃんとお話ししたいのによ~」


 エレザはナイフに意識を集中させるが、彼女には何も聞こえてこない。


「ちょっと、触ってみてもいい?」

「構わない。ただ、驚くかもしれない」

「ちょ、恥ずかしいんだけど、グレース、俺様をちゃんと磨いたか?」


 テーブルに置かれたナイフを手に取ろうとしたエレザの口がぽかんと開く。動かない。立ち上がって力を込めても、ナイフはテーブルから離れることはなく、それどころか一寸たりとも動かせない。


「こいつは俺にしか使えない」

「こんなことが……あるのね……」

「ひゃー、女子に触れられたの、何年ぶりだ!? こんなゴリラみたいな男じゃなくて、エレザちゃんと契約したかったわ~」

「契約、らしい。宝箱を開けて俺が手に取った時、発動したんだろう」


 ナイフを動かすことを諦め、エレザはふーっと息を吐きながら椅子に座りなおす。


「事情はよく分かったわ。やっぱり、あなたの意志で逃げたわけじゃなかった。それが分かっただけでも嬉しいわ」

「ありがとう。だが……他のメンバーは君のようには思ってはくれまい」


 重傷を負ったアレクスは今なお、病院で動けないでいる。グレースへの怒りは相当なもので、見舞いにもいけないでいた。

 ニーナもホームで顔を合わせても無視されるようになった。他のギルドメンバーたちも、グレースに対して冷ややか視線を送っていた。


「事情を話せばわかってくれるわ」


 悲痛な面持ちのグレースに、エレザは温かい眼差しを向ける。その視線を直視できないグレースは決意を固める。


「俺は、ギルドを抜けようと思う」

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