第38話 樋辺くねぎは【反転オセロ】に挑む
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「大丈夫かよ、くねぎ」
「私は、大丈夫です。エリスちゃんは?」
「あ? 余裕に決まってんだろ? だってオレの相手は――」
エリスちゃんは生徒手帳を開きます。
彼女の生徒手帳には『立崎エリス VS 渡良瀬♡・袖浦恋色ペア』という文字が刻まれていました。
「こんなことに巻き込んでしまってすみません……」
「まーだそんなこと言ってんのか?」
エリスちゃんは私の頭をこつんと軽く殴りました。
ええ、叩くではなく殴るが正しい表現の痛みです。
「痛ったいですよ!?」
「だろーな。でも、負けたらこの程度じゃ済まないような痛みが襲ってくるんだぜ」
エリスちゃんは自分の制服の首元を、私だけが覗けるようにちらと伸ばしてくれました。
そこには――エリスちゃんの美貌には到底似遣わない、瑕が。
「ビビったか? 敗者の烙印だよ――金貸しに彫られたんだ」
「えっと……その……」
「これはオレがカジノでポカやった時の痕だ。確かに痛ぇけど――そんなことより、負けちまったっていう事実が、ずっと背中に伸し掛かってくることが何よりも辛ぇんだよ」
「エリスちゃん……そんな過去が」
「なんで今オレがこんな話してんのかって考えながら聞けよ? くねぎ今オレのこと『かわいそう……』としか思ってねーだろ」
あぐ。
エリスちゃんには私のことが全てお見通しみたいです。
「オレは――お前に、こんな風になってほしくねぇんだよ。くねぎはゲームが嫌いって言うが――俺からしてみりゃやりゃできる奴だ。才能だってあるし、いーや、お前よりもゲームに向いてる奴なんていねぇ、オレがそう断言してやるよ」
今度はぽん、と優しく。
エリスちゃんは私の頭に手を置きます。
「乗りかかった船だけど――オレは、意外とくねぎのこと買ってるんだぜ? 勝てるって信じてる。だからオレはこの勝負に乗ってんだ」
「ありがとうございます……エリスちゃん」
「それに――これからも、くねぎと高校生活してぇんだよ」
それに、負けるのは柄じゃねぇ、とエリスちゃんは付け足しました。
それが照れ隠しだということは私にだってわかります。
「勝ちましょう、絶対に!」
「元気になったじゃねぇか――その意気だよ」
私とエリスちゃんは、一緒にプレハブ小屋の前まで歩いて、それから。
「じゃ――次会うときは」
「ええ。勝った時ですね」
エリスちゃんが差し出してくれた手を、私はハイタッチの要領で叩きます。「いや、握手……」とエリスちゃんに呆れられてしまいました。
「すみません、景気づけかと」
「まったく……締まんねーな。くねぎらしーや」
【反転オセロ】、開幕です。
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【反転オセロ】
勝利条件
・負けないこと
敗北条件
①オセロにコマがすべて置かれたとき、相手よりもコマ数が少ない場合
②☠コマが表面になっている場合
※なお、棄権した場合は退学となる。
生徒手帳が起動します。
『樋辺くねぎ VS 斧難山河――開始』という文言が刻まれたのを確認しました。
表、と大きく書かれたプレハブ小屋で、私は山河さんと同じ部屋に閉じ込められています。
小屋の中には、それぞれの調合室が角に一部屋ずつと、中央に大きな部屋がありました。
物件だとすると、『2L』です。
大きな部屋の真ん中にはアクリルでできた透明の机と、オセロの石が準備されてありました。
机にはオセロ用のマス目が彫り込まれており、何もかも特注品です。
そのさらに真ん中――オセロの中央部分には白と黒の駒が二つずつ、初期配置として並べられていました。
何やら難しいルールがいくつかありましたが、結局はイレギュラーが介在するオセロです。
基本的なルールは私が提案したもの。
山河さんによってパスのルールが新しく追加されたくらいです。
ゲームはあまり得意ではありません。
それに、最初に理事長とやったゲームの時とは違って、今はエリスちゃんもいません。
私一人でゲームをしなければいけません。
ですが……負けられないんです。
「さて――まずは“飲み物”を作ろっか☆ 備え付けのペンがあるから、紙に書いて提出すればスタッフが作ってくれるって☆ きひひっ☆」
「ってことは――自分でどの管にどの飲み物を入れたのかすらも分からない、ってことですね」
「そーなるね! くねぎちゃんあったまいいー! そんなことできたら皆自分が飲んでも良いように“水”とか入れるでしょ☆ それって――面白くないじゃん☆」
やはり山河さんは狂っています。
ですが……何をいまさら、という話です。
五つの試験管を前にして――私は少しだけ、悩みました。
このパスのルールには『答え』があります。
オセロで相手に二回行動されると、一気に状況が悪くなります。
多分。
なので、二回行動されなければいいんです!
つまり――パスされないように全てに毒を入れておくのが最適解です。
相手が毒を飲めば、それでこのゲームは終わり――私の勝ちになります。
つまり、このパスのルールは実質、あるようでないルールなんです。
私も山河さんも、そして裏でゲームをしているエリスちゃんも、渡良瀬さんも袖浦さんも――全員、試験管に毒薬を仕込んでいるはずです。
だけど。
無性に心臓がドキドキします。
本当に――本当に。
飲むかもしれない液体に毒を入れていいんでしょうか……?
私の提出した試験管の中身は、すべて透明になりました。
準備を終えてしばらく待っていると、山河さんが調合室から出てきました。
「さて、始めよっか☆」
山河さんは五つの試験管を立てかけたラックを持って歩いてきました。
山河さんの試験管の中身もすべて透明で、何が入っているかはわかりません。
「これ――いいルールでしょ☆ ねっ☆ くねぎちゃんの目算じゃ使わなかったのかもしれないけど。でもさぁ……ゲームの最終決定権をアタシに委ねた時点で、くねぎちゃんは負けなんだよね☆」
「拒否権があったらそうしてましたよ」
「それもそっか☆ で――どっかで飲むつもりあった?」
ずい、とにこやかな表情でラックを押し付けてきます。
「ちなみに――中身は?」
「ただの水だよっ☆ だって、くねぎちゃんを殺したくなんてないんだからさっ☆」
山河さんがいくら言おうと――その言葉を真っ当にに信じられるほど、私たちの関係値はありません。
……むしろ、負の関係値ばかりを積み重ねてきました。
「もしかしたらくねぎちゃんが飲むかも――と思って、おねーちゃんは何も入れてないんだ☆ 勢い任せに飲まれて頃って死なれても困るからねっ☆」
ちゃぽ、と試験管を取って山河さんは揺らします。
「――だ・か・らっ☆」
満面の笑みで――ゴム手袋を装着し、粉を取り出しました。
「いまっ! 毒を入れちゃうねっ☆」
さーっ、と。
粉が試験管の縁に張り付きながらも、しゅわしゅわと溶けていきました。
おそらく水だったその液体は――苛性ソーダが入ったことにより、ぐつぐつと沸騰し始めます。
それを――五回。
「どうどう? これで飲もうなんて思わなくなったでしょっ☆ きひひひひひっ☆」
「これは――宣戦布告、ってことですか?」
「そんなトコ☆ 毒が入ってるかどうかの駆け引きもいいけど、確実に毒薬だってことを示してくねぎちゃんに圧をかける――そういう戦法だよっ☆」
相手が用意した液体を飲めば、相手の手番を一回飛ばすことが出来るルールなので――これで、私は山河さんのターンを飛ばすことが出来なくなりました。
そう、確かにこれは最適解で、間違いのない答えなのです。
「先手☆ いる?」
ゲームそのものが苦手な私は、ゲームと名の付くありとあらゆるものから距離を置いてここまでのうのうと生きてきました。
まさか、山河さんともう一度このゲームをするなんて思ってもありませんでしたし――当然、先手が有利かどうかすらもわかりません。
ですが――私は。
「はい、先手でお願いします」
「おっけ☆ じゃあ――アタシは後手だね☆ きひひっ☆」
迷わず、黒い面(先手)を取りました。
先手を取られるということは、リードを奪われるということにほかなりません。
山河さんに対して後手後手で動くこと以上に怖いことはないのです。
「おっ☆ 裏面も決まったみたいだね」
ピ、と部屋の中にある電光掲示板が光り、
『表:樋辺くねぎ→裏:渡良瀬&袖浦ペア→表:斧難山河→裏:立崎エリス』
という順番が映し出されました。
「もう覚悟は決まってます。始めますよ――覚悟してくださいね、山河さん!」
目の前でにやりと嗤う山河さんを前にして――私は一手目を打ちました。
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