第37話 樋辺くねぎは知らないルールにうろたえる

 3


「――さて、場があったまってきたところで、特別ルール③をお伝えしちゃおっかな☆」


「特別ルール……③?」


 私たちが考えたオセロは、通常のものに二つのルールを加えたものでした。

 つまり、ここから先のルールは。


「アタシが考えた、トクベツなルール。くねぎちゃんとゲームが出来て嬉しいからぁ……いっぱい考えちゃった☆ でも大丈夫、そんなに複雑じゃないよ☆ 特殊ルール③:パスをさせることができるルール!」


 ――え?

 ここに来て、提案したルールにない条項が追加されました。


「自分のターンで、相手が強すぎるな~って思うこと、あるじゃん☆ そういう時に、リスクをとって相手のターンをすっ飛ばすコトができちゃうってわけ! オセロで相手が一ターン動けなかったら、その分有利になれるからね☆」


「なんですかそれ――!?」


「くねぎちゃんが出してきたルールはちょっとくねぎちゃん有利だったからね☆ だから、ちょこっとだけ手を入れさせてもらったよ☆ でも、基本はくねぎちゃんの考えたアイデアだから安心して!」


 私たちの目の前に、バックヤードから白い机が運ばれてきました。

 その上には、五つの試験管が置かれています。

 まだ中身は空っぽで、向こう側まで透き通って見えました。


「ここに置いた五つの試験管――これがリスク☆ ってやつになるのさ! 一チームにそれぞれ五本ずつ試験管を渡すから、ゲーム開始までに液体を注ぎ込むこと! 相手が用意した液体を一本飲んだら、相手の手番を飛ばして自分がもう一回打つことができるってワケ!」


 オセロにとって、一度手番を飛ばされることは致命傷になりかねません。

 そして、最終盤だけでなく、常に起こりうるとなると――オセロの定石が全く通じなくなります。


「ただぁーし! ねっ☆ 相手に飲ませるだけじゃなくて、自分も飲むリスクがある飲み物を用意するべし! もちろん、どんな飲み物もオーダー可! スタッフが今か今かと待機してるよ☆」


 自分がパスをする場合――最終盤で相手にやり込められて自駒を置く場所がなくなった時などの追い詰められた時、自分で用意した飲み物を飲まなきゃいけないということです。


「ま、苦いもんくらいなら別にいいだろ――さっさと飲んで終わらせようぜ」


 エリスちゃんは“飲み物”という言葉に引っ張られた想像をしています。

 ですが――私たちの目の前にあるのは『試験管』です。

 それが示すところは――。


「そして、ちゃんと準備したよ☆ じゃん! ! きひひひひひひっ☆」


 山河さんの笑い声がスタジアム中に響き渡ります。


 ただ、今までの観客の歓声は聞こえず――木立が葉を打ち合って波打つようなざわめきが、わずかに聞こえました。


 山河さんはゴム手袋をして、目の前に置かれたシャーレを持ち上げます。

 その中には、軽石のような白い石がころころと入っていました。


「そう――これは劇物だよっ。水に溶けやすく、溶けても透明、水と区別がつかない薬品ってコト☆」


 ひゅぅと木枯らしが私たちの間を吹き抜けます。


 試しに一つ、とピンセットで山河さんが白い石を取り上げ、水の入った試験管の中に苛性ソーダを入れました。


 ジュウという音とともに、水が沸騰し始め――それから少しして、普通の水に擬態しているかのように、何事も起こらなくなりました。


「もちろん、飲んだら大変なことになっちゃうんだ……。だから、なるべくリスクは取らないほうがいいと思うんだ……。でも、安心して! アタシは強いからさッ☆ こんなゲームでもちゃんと受けるし、そして――勝って、みんなの期待に応えてあげるよ!」


 演説をする山河さんの隣で誕生した劇物は、防護服をまとったスタッフによって下げられていきました。


 さっきまでのやる気はどこへやら――腕は鳥肌だらけになり、山河さんを目の前にして足が竦んでしまいました。


 今まで学校で行ってきたゲームと、このゲームは一つだけ、大きな違いがあります。


 これまではウィン――学内通貨や、リボンといった卒業要件を手に入れるために勝負がありました。


 ですが――山河さんが持ち出してきた追加ルールは、今までのゲームと大きく違って――『死の香り』がするんです。


 

 これは、斧難山河という人間の特性なんだと思います。

 私と以前戦った時も、同じ匂いはずっと漂っていました。


 そうです。

 斧難山河に纏わりつく恐ろしさの正体は、きっとこの匂いなんです。


 本気、という山河さんの言葉はきっと“手を抜くことを許さない”という意味なんだと思います。


 ――、と。


 いったい誰が――この空気の中で行われた勝負の後で、ゲームが好きになれるっていうんでしょうか。



 かつての勝負を思い出し――身体が勝手にぞくりと震えます。


「ルールはこれで全部☆ あ、それぞれが相談できないように、表と裏は別の部屋で勝負を行うし、勝負中は部屋の出入りは禁止だよっ☆」


 スタジアムの真ん中に設けられた、二つのプレハブ小屋に向かって私たちは案内されました。


 『表』と『裏』という文字がそれぞれ書かれた巨大なプレハブ小屋の中には、大量のカメラが用意されていました。


「本当は表裏でやりたかったんだけど、さすがに重力がねっ。代わりに、アクリルの盤面を使って、裏からカメラで撮影することにしたんだ☆ これもくねぎちゃんのアイデアだよっ☆」


 褒められてもあまり嬉しくありません。

 さっき見た劇物の恐怖が、未だに脳裏に焼き付いています。


 いくら何でもありの学校だとしても――これを許可していいんですかね?


「最後に、勝利条件☆ これは――“負けないこと”っ☆ 負けたらくねぎちゃんは――アタシの傘下に入る。これでどぉう? きひひひっ☆」



「……わかりました。受けて立ちましょう。では、私が勝ったら山河さんには――私から奪ったもの、全部返してもらいま――……」



 そこまで言って――私は、少しだけ立ち止まりました。


 山河さんによって人生まるごと、めちゃくちゃに壊されてしまいました。


 ――が、今更戻ってきたとして、どうしろというのでしょうか。



「おっけ☆ じゃあ、樋辺家から出た利益、全部返還ってことでいいかなっ☆ もちろん、これからのくねぎちゃんの人生もまるっとご返還ってことねっ☆ アタシに勝てばくねぎちゃんは晴れて自由の身! そして負けたら転落人生――さいっこうのギャンブルだね☆」


「……いえ、ちょっと考えさせてください」


「うん? くねぎちゃんはこれ以上欲しいものとかあるの? それともアタシが持ってるリボンとか貰っとく? これでも一応、この学校一リボンあるし――確かにここから10個くらいリボンせしめておけば卒業はカタいよねっ☆ かしこーいっ!」


 じゃらっ、と山河さんは自分が持っているリボンを見せびらかしてきます。

 十二十三十――じゃ収まりきらないほどのリボンがセットされていました。


「どんな条件でもいーよ☆ だって――くねぎちゃんはここで負けちゃうから☆ きひ☆」


 私は考えて考えて――そして。


「決まらないので――山河さんに私が出した条件を飲んでもらう、というのでどうでしょうか?」


「ゲームが終わった後に決めたいってことね☆ いーよぉ――ゲーム中に考えちゃいな☆」


 おーるおっけー☆ と山河さんは軽いテンションで承諾しました。


「ちなみに、棄権なんてしないよね? 勝負を投げる人はこの学校には要らない――よって退学! 負けっていうのは、①オセロで負けたら負け。②相手が置いたドクロコマを放置してても負け。以上、二つだよ☆ あ、アタシだけはもう一個あるかもね――」


 不穏な空気のまま、山河さんは私に向かって人差し指を突き立てます。


「斧難山河の負け条件は、③『退』こと☆ アタシが勝ったら――ちゃーんと、学校辞めてアタシの下で身を粉にしてもらうからねっ☆」


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