樋辺くねぎはゲームがキラい!

一木連理

第1章 数字あてゲーム編

第1話 樋辺くねぎはエリスと相部屋!

 1


 なんとここには――森が、無いんです!


 驚きませんか!? 


 ええ、私は驚きましたとも。それはもう、すってんころりん――近くに小さな穴があれば、おむすびと一緒に入ってしまったことでしょう。


 見渡す限り続くのは、高い山――ではなく、ビル、ビル、ビル! なだらかな丘陵はどこにもなく、あるのは垂直に聳え立つコンクリートの壁だけです。水平線は見る影もなく、こりゃ犬も歩けばなんとやらです! 東京に来て初めて地図のありがたみを知りました。『太陽の沈むほうに何かある』では確かに目的地にたどり着きません。


 ですが、私だってバカじゃありません。故郷の熊本ではバカって言われ続けて十五年くらい経ちますが、そんな私を知ってる人はここには誰もいないんです!


 つまり、新しい私のスタートってことです!




「あんたバカ? ウォーターサーバー、これで四台目だよ?」


 気付けば圧に負けて、私は正座させられていました。


「でも、売り場の人が困ってるみたいだったので……」

「勝手な判断禁止。その財布は没収だ――」


「あっ! でもエリスちゃんもウォーターサーバーの水飲んでるの知ってるんですよ! 寝る前に白湯だって飲んでるじゃないですか!」

「確かに一台くらいならあってもいーよ。でも二台も要らねぇんだよこんなに大きいの! そんなのが三台も四台も来たら……流石のオレの堪忍袋の緒も切れるんだよ!」


 目の前でウォーターサーバーのボトル部分をパンパンと叩きながら怒鳴り散らしているのは、立崎エリスちゃんです。

 染め上げた紫色の髪の毛は首元できゅうと締まり、その下でふわっと跳ね上がるウルフカットをしています。

 大都会トーキョーには久々に戻ってきたらしく、今まではアトランティスシティ、マカオ、ラスベガスと世界中の国を渡り合歩いてきた帰国子女さんです。


 孤独(いっぴき)狼を自負していて、どうしてかいつもぷんぷん周りに怒り散らしています。

 その証拠に、エリスちゃんの右目の眼帯にはオオカミさんが彫られていますね、本物のオオカミさんは見つけ次第即刻銃殺! ですが、オオカミさんをマネするだけなら目くじらは立てません。


「そんなに怒らないでください……。エリスちゃんのために、今日は牛乳買ってきましたよ!」

「余計なお世話だよ! オレをイライラさせんのはくねぎが要らねーもん買ってくるからだろ」


 そういいつつも、エリスちゃんは私から牛乳を受け取ってゴクゴクと飲み干します。

 女性でも持ちやすい形の牛乳パックをしているので安心です。


「まぁまぁ、牛乳はとっても健康にいいんですよ! カルシウムたっぷり、そして成長も促します!」


 ビニール袋の中から、私は「はいっ」と新妻のような仕草で九百㎖の牛乳を両手で手渡します。

 エリスちゃんは私の胸元を見てから自分のつま先を見て、悲しい表情を見せました。


「なんでそう……煽りスキルだけは高いんだよ」


 確かに、両手で渡したことによって胸が寄ってしまいましたが……何が悲しいのでしょうか。

 人の成長はそれぞれなので、他人と比べるだけ無駄なはずなんですけどね。


「煽ってないですよ! いつもお世話になっているので、そのお返しです!」

「そーいうことならありがたく受け取っておくけどさ……」


 最近テレビで聞かなくなった喉越しの音に呼応して、エリスちゃんのか細い食道が脈動します。

 いい飲みっぷりですね、つい先月隣の家に生まれた赤ちゃんを思い出します。


「……何見てるんだよ。飲みにくいんだけど」

「ごめんなさい……ちょっと、思い出しちゃって」


 くすりと笑うと、エリスちゃんの目が急に細くなります。

 獲物を狙う猫とおんなじです。

 私は獲物じゃないので狙わないでほしいのですが。


「まーたロクでもないこと思い出してるんじゃないだろうな……」

「いえ、赤ちゃんみたいでかわいいなって」


 西陽のせいでしょうか。

 一瞬だけ顔が赤くなったかと思えば、エリスちゃんは少しだけ躍動したあとに、掻き分けられた横髪を前に流して自分の表情を隠しました。


 それからすぐに。


「くねぎ! ここ――正座っ!」


 私の名前を呼んで、またぷんすかと怒り始めました。


 はたして、カルシウムに意味はあったのでしょうか? 私にはいまいちよくわかりません。

 ただ、私のことを考えて怒ってくれているみたいなので、私は滔々と彼女の怒りを聞き流――いえ、聞き入れ、静かに船を漕ぐように頷くことにしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る