空のマグカップ

梁瀬 叶夢

飛行機雲のその先

僕の父は今、この広い星の海の中を泳いでいる。地上約400キロ上空を、時速2万8000キロというスピードで。

3ヶ月ほど前だった。父はとても嬉しそうな表情で、

「ISSでの滞在が決まった!」

と家に帰ってくるなり大声で叫んではしゃいだ。

母と妹はとても喜んでいたけど、僕は内心複雑な気持ちだった。父は仕事柄ただでさえ家に居ることが少ない。それなのに、宇宙に行ってしまったら…本当は夢を叶えた父の背中を押した方がいいんだけど、わかってるけど、寂しかった。

結局、僕は父が宇宙へ行くまでにちゃんとおめでとうが言えなかった。心のどこかで行って欲しくないという気持ちが燻って、消えなかった。

父が宇宙へ行く前最後に家を出るとき、愛用していたマグカップを家に置いていった。父は大のコーヒー好きで、小さい頃からそのマグカップを使い続けているのだと言う。半年の任期だけど、無事に帰って来れるようにのおまじない、とか言ってたっけ。

長く使われていない空のマグカップには、うっすらと埃が積もっていた。いくら帰ってこないとはいえ、埃が被ったままにするのもなぁ。と思って父の飲んでいたマグカップでコーヒーを飲んでみることにした。

実は、僕は今までにコーヒーを飲んだことがない。大人の味だからお前には無理だぞと父が言うものだから飲まなかったけど、今はその父もいない。

記憶を頼りに父と同じ手順でコーヒーを淹れる。マグカップを洗って、インスタントの豆を入れて、沸かしたお湯を注いだ。

そして、コーヒーを一口…

「にがっ!」

どうやら僕は、まだまだ子供らしい。

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空のマグカップ 梁瀬 叶夢 @yanase_kanon

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