一つ目

「まず原作のあらすじから説明するぞ。


 昔々、イギリスに住む老夫婦が知人から"猿の手"という不思議な手のミイラを譲り受けるんだ。知人が言うには、"猿の手"を掲げて願い事を言えば、一人三回まで叶えてくれるとのこと。ただし、願い事は最も自然な形で叶えられるので、運命を捻じ曲げようとすると予期せぬ災いに見舞われるらしい。実際に、"猿の手"を使用した一人目は最後の願いで自死を選び、二人目である知人も酷い目にあったらしい。しかし、老夫婦はそんな話はあまり気にせず、願い事を叶えようとするんだ。


 老夫婦は一つ目の願いで二百ポンド――イギリスの通貨だな、要は大金が欲しいと願う。すると次の日、工場で働く息子が機械に巻き込まれて、体をズタズタにされて死んでしまうんだ。そして、会社から慰謝料として二百ポンドぴったりが支払われる。願い事は叶ったが、その代わりに最愛の息子を失ってしまうんだ。


 悲しみに暮れた老夫婦は、二つ目の願いで息子を生き返らせようとする。蘇った息子が玄関先に現れ、ドアを激しく叩くんだが、そこで夫が気づくんだ。体がズタズタにされたまま生き返るとどうなるか――明言はされてないが、おそらくゾンビみたいになっていたんだろうな。そんな化け物が家の前まで来てしまっている。


 結局、夫は息子の蘇生を諦め、"猿の手"に願い事をする。その願いの内容も明言されていないのだが、結果として蘇った息子はどこかに消え去り、老夫婦は大金と引き換えに息子を失うという悲惨な結果だけが残って終わるんだ」


「そういう話だったのね。なんか昔の話にありがちな、ちょっと教訓めいた感じ」


 講釈を垂れる啓太に、麻衣は相槌を打った。


「そうそう。たぶん、欲をかくと良い事ないって話なんだろうな。そしてもう一つ、"猫の手"という小説がある。知っている人はいるか?」


 啓太の問いかけに、里奈がすっと手を挙げた。


「はい。"猿の手"をモチーフにした日本の小説ですよね。作者は都築道夫さん。あらすじは、こんな感じです。


 とある大学生五人組が、旅行先の別荘でお酒を飲んで楽しんでいました。すると、大学生の一人が、その別荘にあった"猿の手"ならぬ"猫の手"を持ってきます。"猫の手"も願いを叶える等の効果は同じです。それで、"猿の手"の教訓を踏まえて、願い事をしてみようとするんです。…今の私たちと一緒ですね。


 彼らはメタ的な視点から、私利私欲ではなく世界の為に願えば大丈夫だろうと考えます。そこで、一つ目に"自分たち以外の全人類に死ぬほど辛い苦しみを与えること"、二つ目に"自分たちが山を降りたら、全てが元通りになること"、三つ目に"山を降りた時、自分たちは人類を苦しみから救う存在として感謝されること"を願います」


「ちょっと、なんでそんな変な願い事になるのよ!」


 意外な展開に、麻衣が思わず声を上げた。


「ええと、どうやら登場人物たちは日頃から社会に鬱憤が溜まっていたみたいで、お灸を据えようとしたようです。あとは、お酒の勢いもあったと思います。まあ、きっとそれが良くなかったんでしょうね。願い事は意外な形で叶えられていくんです…。


 まず、夜が明けると、身の回りのものが全て風化していて、何十年も時が経っていることがわかります。そして山を降りると人間の姿はなく、代わりに異形の姿に成り果てた人類たちに捕まってしまいます。そして、その怪物たちは言うのです。"言い伝えによれば、我々はあなたたちを食べれば元に戻れるのです。ありがとうございます"と…」

「え? じゃあ全員食べられちゃったって事?」

「そういう事です。後味悪いですよね…」


 苦笑いする里奈は、視線を啓太に送った。啓太は頷くと、再び話し始める。


「ここでわかるのは、願い事の言い方に鍵があるってことだ。"猿"の方はわかりやすくて、単に願い事の結果だけを言って、プロセスを言わなかったのが悪いんだ。いきなり大金が出現したり、死んだ人が生き返るなんてあり得ないんだから、自然な形で叶えようとすると悲惨な事になるんだと思う」

「でも、"猫"の方は、ちゃんと色々言っていたじゃないっすか」


 俊介が腑に落ちない顔で反論する。


「あれでも不十分だ。プロセスも結果も曖昧なまま願ったから、自分の意図しない形で辻褄が合うように叶えられたんだ。ちゃんと条件を設定すれば防げたはずさ。それから…」


 啓太はそう言うと、部室の奥に置かれているホワイトボードの前まで移動した。ペンのキャップを外すと、何やら文字を書きながら話始める。


「代償には法則性がある。それは、願った人に都合の悪いことが起きた結果、願いが叶えられるという因果関係の順序だ。逆はない」


【猿の手】

①大金が欲しい →息子が死んだ結果、大金が手に入る


②息子を生き返らせて欲しい →息子がゾンビになった結果、生き返る


③(内容が不明なので割愛)


【猫の手】

①自分たち以外の人類に死ぬような苦しみを与える →数十年が経った結果、何らかの異変が起きて人類が異形の存在になって苦しむ


②自分たちが山を降りると全てが元に戻る →人類が主人公たちを食べると元に戻れることになった結果、山を降りたことで全てが元に戻る


③人類に感謝されたい →人類が主人公たちを食べると元に戻れることになった結果、人類から感謝される


 列挙された法則を、啓太以外の三人はじっくりと読み込んだ。確かに、願い事と代償には決まった関係性があるように見える。


「これを踏まえると、願いに対して起こりうる代償は予測できると思うんだ。それをあらかじめ封じるように願えば、リスクは最小限にできるはずだ」


 啓太はペンを置いて、くるりとこちらに向き直る。


「と、言う訳で、みんな何か願い事はないか?」

「え、決めてないんすか?」


 意外な質問に、俊介が素っ頓狂な声を上げる。


「俺の願いは一つ叶えばいいから、先に誰かやってくれ。様子を見てみたい」

「えー! ずるい!」


 思わず非難の声をあげた麻衣に、啓太はくるりと向き直った。


「麻衣、何かないか?」

「えー、ちょっと待ってよ…。うーん、ちょうどお腹空いたから、私たち四人に美味しいプリンがプレゼントされる、っていう願いはどう?」


「地味すぎるだろ!」啓太が笑う。「まあ、最初としては悪くはないかも。何かあっても被害は少なそうだし。大きな願いは最後に取っておいて、まずは様子見だ。」


 盛り上がる三回生を見て、後輩二人が慌てて口を挟んだ。


「良いですけど、ちゃんと身の安全を確保できるような条件付けてくださいよ。誰かが死んでプリン食べるなんて、絶対嫌っすから!」

「あとプリンが毒入りってオチもありそうだから、そこもフォローしておきましょう!」

「プロセスは具体的に、ていうのも忘れずにお願いしまっす!」


「わかった! わかってるって!」


 啓太は二人を制しながら、再びホワイトボードへと向き直る。


【願い事】

・美味しいプリンをプレゼントされたい


【想定される代償】

・自分たちに危害が加わった結果としてプリンが届く

・自分たちが刑務所等に捕まって、最後の晩餐としてプリンが出てくる

・誰かが自分たちを殺そうとして、毒入りのプリンが届く

・プリンの入った箱を投げつけられる等、異常な受け渡し方法でプリンが届く


 書き連ねられる予想を、他のメンバーは黙って読み込んでいく。一見網羅されているようにも思える為か、誰も異論を唱えない。


「うーん、思いつくのはこんなところかしら。まあプリンから想定される悪い事も、そんなにないわね…」

「そうだな。これを回避できるような内容で、やってみようか」


 啓太は"龍の手"を両手で持ち、言葉を慎重に選んで願いを口にする。


「"龍の手"様、


 その瞬間だった。掲げられた"龍の手"の指がにゅるりと動き、ゆっくりと握られた後、再び元のように開かれた。


「う、動いた!」


 四人が叫んだのと、部室の扉がノックされたのは同時だった。誰もが視線を"龍の手"と扉に行ったり来たりさせ、次にとるべき行動を考える。緊張した空気が流れる中、少し間をおいてから麻衣が立ち上がり、恐る恐るドアを開けると、そこには同級生の彩花が大きな籠を持って立っていた。


「彩花、どうしたの?」


 麻衣はほっとしながら彩花に語り掛けた。しかし、友人はどこか悲しそうな顔で口を開く。


「ごめんね、突然。実はプリンが余ってるんだけど、良かったら食べてくれない?」

「え! 本当に! ありがとう!」


 麻衣はくるりと振り返ると、奥から不安そうにこちらを伺う三人にガッツポーズした。彼らの顔がぱっと輝くのを見て、再び正面に向きなおる。


「でもいいの? こんなに美味しそうなプリンをもらっちゃって」

「いいのよ。明日うちのサークルのお店で出すために作ってたんだけど、あんなことになっちゃったし、捨てるのも勿体無いしね」

「あんなこと?」


 首を傾げる麻衣を見て、彩花は目を丸くした。


「知らないの? 明日の文化祭、中止になっちゃったのよ!」

「ええー!!」


 驚愕する麻衣を見ながら、彩花は不思議そうに続ける。


「さっき校内放送で流れてたじゃない。理由はまだ公表されてないけど、とにかく文化祭は中止だって。延期でもないし、しかも前日にアナウンスするって、ひどすぎるよね」


 麻衣が呆然と口を開けていると、彩花は四人分のプリンをその手に押し付けた。


「せっかくみんなでメニューを考えて、頑張って作ったのに、悲しいなぁ」


 そう言って彩花は去って行った。麻衣はプリンの入った箱を手に持ったまま、しばらく立ち尽くすことしかできなかった。




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