第196話 遠い
〈アビゲイル視点〉
ヌーナン村に多くの来訪者がやって来た。
その者達の目的はセラフの付与魔法だ。セラフは『黒い仔豚亭』の前の広場にて、治療をし、治療を終えた者達は『黒い仔豚亭』に入って、ご飯を食べたり、大浴場に入ったりして手にした健康体を満喫させた。
だから『黒い仔豚亭』の従業員達は大忙しだった。従業員同士の掛け声やお客さんの楽しげな話し声が食事処を満たす。私は忙しなく厨房と客席を行ったり来たりしながら、接客する。久し振りの忙しさに胸を踊らせた。というのもここ最近、戦争やマーシャを捕まえにやって来ようとしてきた人達との戦で村以外からの来訪者が殆どない状態だったからだ。
セラフが連れてきた元奴隷の方達は、メイナーさんに任せ、それぞれ職業見学や訓練を行っている。
「アビー、休憩入りな?」
お母さんから、そう言われ、私は階段下のお父さんとお母さんの寝る部屋に入って、横になり、疲れをとった。しかし直ぐに身体を起き上がらせる。
──セラフは休憩なしで働いているのよね!?
私は厨房へ赴き、セラフの為に軽食を作った。それを持って外へと出る。
セラフを囲うようにたくさんの人集りができている。そして長い長い列が尻尾のように村の外まで延びていた。セラフの護衛にマルクがおり、背の高い彼のくすんだ金髪だけがセラフのいる人集りの中心に見える。
私は人集りの中に押し入り、セラフのいる中心を目指す。持参した軽食を落とさないようにして、ようやくセラフのいる場所まで出ることができた。
セラフは、メイナーさんから譲ってもらった魔力回復ポーションを飲んでいる最中だった。その空き瓶がセラフの周辺にたくさん転がっている。
セラフはポーションを飲み終え、口元を拭うと、直ぐに付与魔法をかけた。今治療されている人はおじいさんで、ポカンとした表情を浮かべている。
──何かの病気かしら?
セラフの手がおじいさんから離れると、そのおじいさんの表情に生気が宿った。そして彼は直ぐに周囲を見渡す。首をキョロキョロと振ったおじいさんだが、急に焦点を一点に絞った。その焦点の先にはおじいさんのご家族なのだろうか、白髪のおばあさんがおり、涙を浮かべながら、そのおじいさんと目を合わせている。おじいさんは言った。
「ヒスイか?」
「は、はい…あなた……私です、ヒスイですよ……」
そう言って2人は抱き合い、その肩越しにいたおじいさんとおばあさんの息子と思われる者におじいさんは目を合わせる。
「ウィルか?ウィルなのか!?」
「親父……」
3人は抱き合うと、周囲にいた人達が感嘆の吐息を漏らした後、拍手をした。
治療を終えたご家族は、セラフに感謝を告げ、何かお礼の品物を渡した。セラフは、ありがとうございますと言ってそれを受け取ると、次に並んでいる者の治療に取り掛かる。
私はセラフが治療に入る前に急いで言った。
「セラフ?」
周囲の視線が私に振りかかった。セラフは私を見て言う。
「どうしたの、アビー?」
「…ご飯、持ってきたんだけど……」
「ああ、ありがとう。だけど今はこのポーションでお腹一杯なんだ。だからそこに置いといて?」
「…うん……」
私は持ってきた軽食をセラフの側に置いた。セラフは治療にやって来た女性の話を、その夫と思われる男性から聞き始める。
「はい。なるほど……はい……大変でしたね……」
私は少しだけその様子を見守り『黒い仔豚亭』へと戻った。
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〈国王直属の騎士団団長アーサー視点〉
私は都市イェレムの都市庁舎の窓辺に立ち、広場を見下ろした。民衆の歓声が石壁に響き、敵同盟軍からこの都市を救った奇跡の防衛戦を祝っている。絶対に勝てぬと誰もが諦めた戦いだった。
戦場より引退した者、まだ訓練を受ける前の男児ともとられる少年も武器をとり、戦闘に備えていたのだ。この厚い壁さえも砕けるかと思われた絶望の中、彼等の希望は消えていた。
だが、勝利は我々のものとなった。我が騎士団の名が讃えられ、部下たちが花束を手に民衆に応えている。だが、私は真実を知っている。影で全てを動かしたのはジャンヌという者の暗躍にある。彼女は表舞台に出ず、圧倒的な力で敵を翻弄し、勝利に導いた。
単体で敵軍に突っ込み、ゴルドーの首と帝国四騎士トーマス・ウェイドの首を落とした。指揮系統が崩れ去った戦場──しかも急拵えの同盟軍だ──では、いくら敵の数が多くとも集団戦を挑める我がシュマール王国軍がことを優位に進められる。おかげで我々は、この絶望的な戦いを乗り越えることができた。
ジャンヌのその力に、心から敬服する。彼女がいなければ、この都市は今頃同盟軍によって蹂躙されていたことだろう。
だが、胸の奥で冷たい不安が渦巻く。ジャンヌは我々の仲間ではない。彼女は別の勢力に属し、その背後には王弟エイブルの落とし子であるセラフがいる。インゴベル国王陛下からは、昨夜厳かな声でそのセラフの討伐を命じられた。
「我が国の脅威だ、アーサー。奴を討て」
国王陛下は、セラフを危険視していた。王弟の落とし子であるし、セラフは何とマシュ殿下の御心だけでなくその魔力の性質をも変えてしまったとのことだ。国王陛下はそれに大変心を痛めている様子だった。
報告によれば、ジャンヌとセラフは今、都市から遠く離れた田舎のヌーナン村にいるという。ジャンヌの力はあまりに鮮烈で、恐ろしい。民衆も我が騎士団も気づかぬまま、彼女は戦場を影から操り、勝利を我々に与えた。だが、彼女の忠誠はセラフに向けられ、遠い村の闇の中で何を企てているのか?
──彼女の主であるセラフが我々に敵意を抱き、ジャンヌを武器として振るえば? 国王陛下達が築いた秩序、我が騎士団の忠誠は、彼女の力とセラフの野心に呑まれるのではないか?
称賛の言葉を部下に告げるため私は足を踏み出すが、心は重い。ジャンヌへの感謝と誇りは本物だ。だが、国王の命令と、遠くの村に潜む彼女とセラフへの脅威が、私の胸を締めつけて離さない。
私はお祭り騒ぎである広場へと向かった。
階下へと下りる階段で女と出会す。妖艶な雰囲気を持つ女であった。豊満な胸は今にもこぼれ落ちそうである。だが私は気にせず階段を上る女とすれ違った。何事もなくすれ違い、お互い階段を一段、そしてもう一段と進んだ状況であるその時、背後の階上へと上がった女から声をかけられた。
「国王直属の騎士団団長であらする、アーサー・ルヴェツキ様とお見受けします」
私は背後を振り返り、数段上にいるその女に視線を合わせた。
「如何にも、そうであ──」
突如として眠気が私を襲った。私はその場で体勢を崩し、都市庁舎の階段に倒れそうになった。しかし誰かが後ろから駆け寄り、私を支える。一瞬だけその者を見た。深紅の髪色をした青年だった。
「貴方に色々とお聞きしたいことがございます……」
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