虫ケラ令嬢と悪役オネエ~最推しの義兄を助けるため前世の知識で無双します
@yuki-terao
ネリームーア編
第1話 婚約破棄と虫ケラ
「俺に触れるなこの虫ケラがっ!」
怒声と共に突き飛ばされ、わたしは受け身もとれずに薔薇の生け垣に突っ込むようにして転がった。
トゲで引っかけた頬が、ジクジクと痛む。
なに? なんで?
わたしは――
王太后様に労いの言葉をかけて頂く年に一度のハレの場へ向かうため、婚約者にエスコートを願っただけのはず。
他家のご婦人と話していた婚約者を後ろで控えて待っていたものの、王太后様をお待たせするわけにはいかない。声をかけても気付いてもらえず、意識を向けてもらおうとほんの少し腕に触れて……
「身の程をわきまえろ、ネリームーア・ローゼワルテ! 伯爵家の娘、それも卑しい野ネズミの獣人ごときが、高貴なる有角の一族であり、シルバーコーン公爵家嫡男であるこのカタルシス様に無断で触れて、叱責だけで済むと思うなよ!?」
太陽を背に、牛の獣人らしく大柄な婚約者が、角を振りかざし足を踏み鳴らしてわたしへ指を突き付ける。
その斜め後ろでは、金に赤いメッシュの入った巻き毛に艶やかな角の豪奢な美女が、アゴに扇子を当てて事の成り行きを見守っていた。その赤い唇は、楽しそうに両端がキュウっと吊り上がっている。
周囲の貴族達は遠巻きに物見高く騒動を見つめ、あるいは眉をひそめ、あるいは面白そうに囁きかわす。
「ほら、あの尾に毛なしの」
「まあ、どなたかと思ったら、あの野ネズミのご令嬢ですの」
「それなら仕方がないかな。公爵家のご子息も、今までよく我慢していたものだよ」
「宰相閣下も、何を思って野ネズミなぞを家中に迎えようとしたのか」
牛の獣人が興し、国王陛下から貴族に至るまで身分ある者のほとんどが有角種の獣人、というここデントコーン王国において、わたしのようなしっぽに毛のない野ネズミの獣人は蔑まれる。野ネズミは庶民に多いから、町場ではそんなことを言われることはないけれど、貴族間では、ネズミは穀物を荒らし家に災いを呼び血統を乱すという迷信を信じている人も多い。
領地で義兄に『凄いわ』『便利ね』と言われていたネズミしっぽは、ここ王城では見えるだけで嫌がられ、顔をしかめられる。
わたしは両手でしっぽをギュッと握ったけれど、体よりも長いしっぽはそんなことでは隠しきれない。
隠しても、わたしが野ネズミ――カヤネズミだという事実はなくならない。
仲裁に入ってくれる人は、誰もいない。
「貴族間で、貴様が何て呼ばれているか知っているか? 虫ケラ令嬢だぞ! この俺の婚約者が! 父上の決めたこととはいえ、お前ごとき虫ケラがこのカタルシス・シルバーコーンの婚約者だなどと虫酸が走る。良い機会だ。これだけの証人がいれば、父上も否とはおっしゃるまい。ネリームーア・ローゼワルテ、お前との婚約をここに破棄する! 高貴なる俺の婚約者には、同じ有角種、同じ家格、公爵家のディアーナ嬢のほうがよほど相応しい!」
ニィィッッ、と
してやったり、というような心満ちた嬉しそうな笑みだ。
「お待ちくださいカタルシス様! きょ、今日は我がローゼワルテ家が、園遊会の場を整えた年に一度のハレの日です! この後、王太后陛下にご挨拶に伺い、お言葉を賜る予定の日です! カタルシス様も同席すると既に王太后陛下にお返事申し上げて……」
カタルシスはツカツカとわたしに歩み寄り、未だ座り込んでいたわたしの耳元に口を寄せた。
「そもそもそれが気にくわないんだ。この高貴な俺が、なんでたかが庭師の婚約者として、元平民に頭を垂れなきゃいけない?」
「お、王太后陛下に何てことを……」
「事実だろう? 血統の確かさなら、この俺の方が今の……より、はるかに上だ。だというのに、わざわざ俺の正妻に庭師のネズミなんかをあてがおうとするなんて、父上のほうがどうかされている。準王族にとっての、妻の重要性が分からぬ方でもあるまいに」
わたし――ネリームーア・ローゼワルテ伯爵令嬢と、彼――カタルシス・シルバーコーン公爵嫡子との婚姻を整えたのは、彼の父であり現宰相のコンタージウス・シルバーコーン公爵だ。
その公爵も、うちの父さまであるミルト・ローゼワルテ伯爵も、婚約を認可してくれた国王様も、今日の園遊会は欠席している。隣国との境で何か問題が生じたらしい。
残されたわたしたちの役目は、定例の園遊会を、何事もないかのように全うすること。
責任者は、王太后様と第二王子殿下。
こんな私的なことで、ご迷惑をおかけするわけにはいかない。
それに――それに。
個人的にも、わたしは婚約破棄されるわけにはいかないのだ。
――わたしは、わたしの大好きなディートハルトのために、シルバーコーン公爵家に利用されて、殺されなきゃいけないのに!
「お考え直しを、カタルシス様!」
カタルシスは、私の耳元に寄せていた顔を戻し、踵を返してディアーナ嬢の隣に戻った。
「相変らず頭が悪いな、ネリームーア。俺はお前なんかじゃなく、本当の運命の相手に出会ったんだ。この俺の婚約者が、取るに足らない虫ケラだったこと、この上なく麗しいディアーナ嬢にも婚約者がおられなかったこと、僥倖としか言いようがない。角なし毛なしのお前なぞのために、一分一秒でも使うのは惜しいんだ、理解しろ」
そうしてカタルシスはその場に
牡丹にも似た、八重咲きの改良品種。
それは、王国に貢献してこられた王太后様に捧げるために、我がローゼワルテ家が長年に渡って品種改良し、今年ようやくお目見えする予定だった、ローゼワルテ家の薔薇園以外にはないはずの薔薇だ。
まさに、今日これから王太后様に捧げる予定の品種で、王太后様も楽しみにされ、ご友人方にも話されていた。
あの薔薇を再び用意して王太后様に捧げたところで、もはや二番煎じ。伯爵家は確実にご不興をかう。
王太后様とローゼワルテ伯爵家への、これ以上ない効果的な嫌がらせだ。
我が家は代々、王城の夏の庭、薔薇園の管理を仰せつかっている。
確かに、庭師貴族と馬鹿にされることもあるし、当主である父はカワウソの獣人、娘のわたしはカヤネズミの獣人と、王家高位貴族に多い有角種族ではないことから軽んじられることも多い。
それでも……
わたしはともかく、皆の努力を、長年の試行錯誤を、こんな形で搾取され、摘み取られるいわれはない。
けれどいくら歯がみしても、わたしは伯爵家、カタルシスは公爵家。口答えすら許されない。
カタルシスは、ただ、『王太后様の薔薇とは知らなかったもので。薔薇の管理はローゼワルテの管轄だろう』とか言うだけでお咎めすらないだろう。
ギリッ、と噛みしめた奥歯が鳴った。
「他にはない、特別な薔薇です。この薔薇を、薔薇よりも美しい貴女に捧げる。俺の婚約者になって頂けますね?」
まさに、絵本のような完璧な求愛だった。
金髪青眼銀角のイケメンと、金髪金目金角の美女の恋物語。
ディアーナ嬢は感極まったかのように胸に手を当て、大切そうに花束を受け取った。
「嬉しゅうございますわ、カタルシス様。今まで生きてきて、これほど良き日はございませんでした。心より感謝致します。……ネムだけではなく、盗まれた逆剣弁咲き八重大輪新品種、アンブローズまで返してくださるなんて。なんて気前の良い」
舞台女優のような震える美しい声から一転。
後半の台詞は感情のそぎ落とされた、冷たい平坦なものだった。
「な……! ディアーナ嬢? どうされたのだ!?」
「あら、あたくし、本当に心から喜んでおりますのよ。カタルシス様の婚約破棄と、あたくしに求愛してくださったこと」
ディアーナ嬢は優雅な仕草で薔薇へと口づけを落とし、周囲が息を呑むほど艶然と微笑んだ。
婚約破棄された私が思わず見とれてしまうほどの美しい笑みだった。
困惑していたカタルシスまでもが赤面し、だらしない笑顔となる。
「そうだろうとも、ディアーナ嬢! 貴女ほどの高貴で美しい女性には、俺くらいの男でなくては……っ!」
そう言って差し出されたカタルシスの手を、ディアーナ嬢は扇子でベシっと払いのけた。
唖然とするカタルシスの横をディアーナ嬢は溢れんばかりの笑みですり抜けて――未だ座り込んでいたわたしに駆け寄り、膝を突くと両手で大切そうにわたしの手を取った。
「えっ……!?」
「ネリームーア・ローゼワルテ伯爵令嬢、どうか私と婚約してください。……やっと、やっと言えたわ、ネム! ずっと昔から好きだったの……! アタシと婚約……ううん、結婚してちょうだい!」
「ふぎゅっ?」
勢いのままにディアーナ嬢に抱きしめられて、訳の分からないままに変な声が漏れた。
っていうか、今、ネムって言った?
わたしのことをネムって呼ぶのは……お師匠さまをのぞけば、たった一人。
まさか、そんなことあり得ない。
思考が停止した私をもう一度きつく抱きしめた後、ディアーナ嬢は私の手を取り直し、甲に口づけた。それから手を裏返し、手のひらにも。
これは、ローゼワルテ家に伝わる求婚の作法。
なぜならローゼワルテは乙家という秘密の屋号を持っていて……
つらつらと現実逃避気味にローゼワルテ伯爵家の歴史を脳内再生しようとしていたら、再び抱えられてふわりと移動させられた。
どうやらカタルシスが掴みかかってきたらしい。
その腕をいとも容易くひねり上げ、軽く足を払って尻餅を付かせるその動きは、小さい頃から繰り返しわたしの目に馴染んだもので……
それから、他には聞こえないようにそっと囁かれた。
「突き飛ばされたっていうのに、すぐに助けられなくてごめんなさいね。痛かったでしょう? こんな、女の子の顔に傷をつくるなんて……最低ね、あの駄牛」
「ど、ど、どういうことだ、ディアーナ嬢!?」
尻餅を付いたまま、みっともなく声を震わせるカタルシスの前にすくっと立ち、ディアーナ嬢はおもむろに自分の胸に手を突っ込むと、布で出来たお椀のようなもの――胸パッドを幾つも取り出し、芝居がかった仕草でポロポロとその場に落とした。
そうして、さっきまで金髪の牛の令嬢だったはずのそのヒトは、赤い髪に三角の狐耳をピンと立て、わたしの大大大好きな――前世からの最推し、ディートハルト・ローゼワルテの顔となって、赤い舌を出しニヤリと笑ったのだ。
「俺は男だよ、おぼっちゃん」
◇◇◇
わたしはネリームーア。ローゼワルテはくしゃく家の一人むすめ、四さい。カヤネズミのじゅう人。ネリームーアは長くて言いづらい。自分でもうまく言えない。だからみんなにはわたしが考えた名まえ、ネムってよんでほしいのに、なんでかみんなネリームーアとしかよんでくれない。かなしい。毛虫ばっかり追いかけてるからって、なやみがないわけじゃないのだ。
え、え? ちょっと待って、おかしい。
私は、田鷺 柚季 二十一歳。日本在住の農学生だ。専攻は昆虫学、カイガラムシ。確かに虫を追いかけるのは楽しい。捕まえるのはもっと楽しい。激しく同意する。でも、そんな名前聞いたこともないし……?
わたしは?
私は?
「大丈夫かい、ネリームーア?」
固まっていると、のぞき込むように膝を曲げて、大きな体で愛嬌のある顔つきをした男の人が不思議そうに私の顔を見つめ――……って、違う。『わたしが』小さいんだ。
自分の土で汚れた小さな手のひらと、男の人の顔を見比べる。まるで幼児のような手。その手の上には、なぜかムクムクのタワシのような毛虫が一匹。野生児か。
――わたしはネリームーア、ローゼワルテはくしゃく家の一人むすめ……
そうだ、知っている。この人は、ミルト・ローゼワルテ。カワウソの獣人で、わたしの、父さま。
そしてその隣で、本当なら三角にピンと立っているはずの狐耳をへにょりと寝かせて、緊張にもじもじと指を組み合わせながら、チラリチラリとこちらを見ている綺麗な赤毛に黒いメッシュが入った髪の男の子は……
「でぃーとはると・ろーぜわるて……」
バチンッと脳みそがショートした。
「ネリームーア!? どうしたんだい!? 誰か、誰か来てくれ、ネリームーアが!」
鼻血を垂らしながら後ろ向きに倒れていくわたしの視界の中で、狐耳の男の子――ディートハルトが切れ長の目をまん丸にしてから……慌てて手を差し出し走り寄ってくれるのが映った。
……ああ、優しい。大好き。
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