君の水着が見たい
@Azameano
君の水着が見たい
神崎瑞穂さんの水着が見たい。
草食系男子がもてはやされて久しい中、僕はひとり悶々としたものを抱えていた。この場合の草食系男子とは性的なことにガツガツしていない男子という意味だ。だがすまない女子諸君。男とはすべからく獣でしかない。みにくいけだものであるがどうか逃げないでほしい。こちらの狙いはただひとりであり、彼女をそのような他の憎き獣の魔の手から守らんとする志高き戦士であると宣言したい。
そう僕はただ、クラスメイトの神崎瑞穂さんの水着が見たいのだ。
神崎さんはクラスの中心的人物だが、ただのクラス内カースト上位者とも違った。あちこちのグループをふらふらするような変わったひとでもあった。何処でも笑顔で渡り歩くさまは、自由な雲みたいで。ネクラで自分の殻にひきこもりがちで陰キャな自分とは大違いの、社交的で明るく誰にでも優しい女神みたいなひとだ。
それでいて僕のように底辺のあたりを踏まれないように息を殺して漫画を読みスマホを弄り昼寝をしている存在にも、彼女の瞳は等しく注がれるのだ。
「あ、ジャンプ読んでるんだ! 私好きだよ、ジャンプ。まだワンピやってる?」
にわかオンパレードみたいな台詞だったが彼女の笑みにはそんな反発心を殺してしまう魅惑の魔法がかかっていた。実際話してみると神崎さんはワンピース以外にも読んでいたし小学生の頃アニメを見ていたとかで意外と話せるひとで全然陽キャなだけのひとではなかったのだ。僕のような奴にも優しくしてくれた。つまり彼女は、めちゃくちゃいいひとなのだった。
僕は神崎さんの外見だけにキャーキャー言うミーハーなヤツとは違う。ちゃんと彼女の精神性が好……いや、尊敬しているのだ。
勿論見た目も……可愛い、と思う。ひとの美醜はあまり大声では言ってはいけないが、それでも贔屓目なしに可愛いと思う。小さくて頬の赤い幼めの顔だちとか黒くて潤んだ吸い込まれるような瞳とか、長い黒髪をポニーテールにして毛先がくるくるして可愛いとか枚挙に暇がない。
そして、僕は再度宣言したい。神崎瑞穂さんの水着が見たい。……はっきり言おう好きな人の水着が見たいのだ。
だがこの願望にはいくつか大きな障害がある。
この高校にはプールの授業はない。だから公の場で神崎さんの水着は見られない。そもそもの問題にひとの身体をジロジロ見るなんて失礼すぎるのはさておく。そして最悪の場合女子集団から「男子キモーイ」と言われてしまえばもうおしまいである。陰キャ野郎は変態陰キャ野郎に成り下がる。
それじゃあ僕が神崎さんをプールや海に誘おうか。陰キャ野郎にそんな勇気はなかった。ふたりっきりで行くということがまずあり得ない。なぜあり得ないかというとクラス内カーストが違うからだ。そんなものうちのクラスにはないよ言いながら天使の微笑みであちこちを闊歩する神崎さんと違い、ひとからどう見られるかを気にしてしまう女々しき僕には直接彼女を誘うことは到底できなかった。
次はクラスメイトの誰かが企画するだろう行楽事に乗ろうと考えた。実際クラスの良く言えば元気ヤンチャ系、悪く言えばヤンキーウェーイ系が企画していた。
「今度さ、みんなで海いかね?」
「いいねー! 水着と浮き輪用意しよー!」
「瑞穂もどう?」
ちょうどいい。これに参加できれば神崎さんの水着は確実に見れる。しかしここで躓いた。陰キャ野郎はお呼びでないのだ。誘われない。まったく声がかからない。
では自主的に連れていって貰おうか、と思った。そうだ、「連れていってください」と頭をさげればいい。必要なのはなけなしの勇気である。ウェーイ系に縮みあがる喉仏をなんとか動かして彼らに近づく。
「あの、僕も……」
どうにか声帯が仕事をしたと思うと同時に神崎さんは困ったように眉をハの字にして両手を合わせた。
「ごめーん、海ってべたべたするから苦手なんだー」
疾風のごとく席に戻った。反射神経を使うタイミングを間違えている気がした。しかし危ない、あやうく似合わぬ空気の場に飛び込むところだった。ウェーイ系も露骨に項垂れた。コイツら、さては神崎さんの水着狙いで……!? いやでもこのひとたちは一事が万事その調子だし神崎さんの水着が見たいライバルじゃないはずだ。もしもそうならウェーイ系も悪いやつらじゃないかもしれない。神崎さんの良さがわかるなら。
まぁ一応擁護したが九割僕のような水着目当てだろう。チャラチャラしやがって。ケッ。
授業開始まで残り五分ほどとなった。チャラチャラした連中はそれはそれとしてとクラスメイト数人と海での計画をたてていた。僕は誰かに話しかけられないように机に突っ伏し寝たふりをしながら今後のことを悩んでいた。
もうこうなってしまうと僕の思考ではこれ以上の案はでてこなかった。どうしようもない。八方塞がりだ。僕はどうしたら神崎さんの水着が見られるのだろうか。それとも神崎さんの水着を諦めろというのだろうか。
確かにそれが正しいのかもしれない。やましい気持ちで他人の水着を見たいだなんて間違っている。行楽とはその人と行きたいからするもので、そのひとの格好が見たいから行くものではない。
いや、違う。それは違う、と僕の中の誰かが否定する。
僕は確かに神崎さんの水着が見たい。でもそれと同時に、神崎さんとプールに行きたいのだ。神崎さんとプールで遊びたい、神崎さんがプールではしゃぐさまを見たい。そしてあわよくば神崎さんとイイカンジな関係になりたい!
失われかけた心の火が灯った。
僕は結局、どうしたって神崎さんの水着が見たいのだ。先程諦めた選択肢が再度頭をもたげた。
それは己をも傷つける諸刃の剣。拒否されれば世界が終わるほどの衝撃を受けて僕の命はこの世からおさらばせざるを得なくなる。それでも手に入るものは、己の矮小な人生の後にも先にもこれ以上のものは存在し得ない史上最高級のお宝だ。
「………………僕が、誘うしかない」
僕はうつ伏せていた顔をあげた。喉からは地獄から捻り出したような地を這うような小さくとも嘆きとも恨みとも悲しみともとれる声を発した。その覚悟の声は授業開始の鐘の音にかきけされたが僕の心にはっきり刻まれた。僕はその夏限定のお宝が、どうしても欲しかった。
彼女を、一対一で、プールに誘う。
まず僕は断られる覚悟を決めた。そして、後悔してもいいから伝える勇気をかき集めた。するととたんに頭が冴えだした。僕の頭はもう夏休みの彼方だった。今はもう授業の時間ではなかったし、教室は軍略会議の場だった。議題はいかにして彼女を誘うかだった。
まず場所をセッティングしよう。
できれば簡単に見つからない場所がいい。中庭とか廊下とかは目立つから避けたいところだ。仮に、放課後手紙で呼び出すならどこがいいか。体育館裏は定番と言われているがあんな虫の多いところは良くない。しかも灼熱の太陽の下になんて熱中症にでもなったら大変だ。いっそのこと教室とかいいかもしれない。昨今の少子化の影響か空き教室ならたくさんある。そこの何処かに呼び出そうか。だがそれだと怪しいだろうか。知らない教室に女の子ひとりはちょっと不審で不安かもしれない。ならばこのクラスに残っていてください、のほうが不安がらせずに済むだろうか。そうしよう。
時間帯は朝がいいだろうか、放課後がいいだろうか。放課後は駄弁っている連中が多い気がする。僕もよくやる。あそこでぐだぐだと帰りたくないような帰りたいような時間を過ごすのが結構楽しくて好きなのだが、今回ばかりはそういう連中はお邪魔だ。そうなると朝なら人も少ないしちょうどいい気がする。早朝に用事があるひとなんて大抵部活かごくごくまれに勉強だ。その勉強するやつもテストが終わってしまえばいなくなる。テスト前期間およそ一週間ほどでいなくなってしまう。早朝テスト勉強はセミのように儚い。だから数学の平均点が低いのだこのクラスは。ワークとまるっきり同じ問題すら落とすんだから。……それはともかく呼び出すなら早朝だ。
そして日程。これは最初から決めてある。終業式の日だ。その日なら早朝にいるだろうひとも確実に少ない。何故なら朝早く来る理由がないからだ。もしも朝プールに誘えなくても、クラスメイトみんな夏休みが楽しみだからとっとと帰宅するはずだ。
思考をまとめるために深く息を吸い込んだ。授業中のエアコンのきいた冷たい空気が脳を冷やしていく。
終業式の日、早朝に、教室で、プールに誘う。
ここまで決まればあとはがんばるだけだ。直接言うのは人目もあるしはばかられる。しかし古典的な方法、下駄箱に手紙を忍ばせるくらいならできる。思い立ったが吉日を信じてその時間のうちに手紙を作った。ノートの最終ページをハサミで切り取り授業中黒板をうつすふりをして手紙を書いた。
『終業式の日、午前7時に教室にいてください』と二つ折りにした。
いくら物事は早い方がいいという言説が真であっても人目の多い昼休みに他人の下駄箱をあけるのは怪しまれる。というか僕が怖い。脳内会議では堂々胸を張れても、結局それは内弁慶にすぎない。
というわけで帰る直前に手紙を素早くかつ確実に入れ込んだ。既に神崎さんは帰ったあとで下駄箱には上履きしか入っていなかった。手紙は早く気づいてもらえるよう上履きの上にそっと置いて素早く戸を閉めた。終業式まではあと少し日程的に猶予があるから、今日明日で気づかなくても問題ないはずだ。
そうしてあとは当日を待つばかりとなった。神崎さんの様子は普段と変わらなかった。僕はどうしようもなくそわそわしてしまった。明らかに挙動不審だったように思う。幸いにも陰キャの僕を注視するほど暇な生徒はいなかったから、誰からも何も言われなかった。
当日。いつもよりずっと朝早くに出た。こんな早朝に出たのは初めてだったから校門が開くより前に着いてしまった。他にも部活がありそうな体格のいいひとたちがそれぞれ眠そうにやいのやいのと何かを話していた。
そこのかたまりからちょっと離れたところに、手でくちをおさえながらどこか眠たそうに小さめにあくびをする神崎さんがいた。ポニーテールとセーラー服がこの学校の誰よりも可憐に似合っていた。
校門が開いた。どやどやと体育会系の方々がちょっとかったるそうにはいっていくのを見送ってから、僕は神崎さんの歩みを伺いながら隠れるように遅れて校舎の中へはいった。
たどり着いた教室には僕と神崎さんのふたりきりだった。何度も深呼吸をして彼女の方を見る。少しそわそわしているように思えるのは僕の傲慢さからだろうか。ともかく、意をけっして彼女に歩み寄る。
「神崎さん、少しいいですか」
「あっ、う、うん! いいよ!」
神崎さんはなぜかがたがたと立ち上がった。無言の一瞬。改めて彼女のほうを向くと、神崎さんはどこか困ったように視線を泳がせていた。こんなときでも彼女は可愛かった。だから僕は勇気をだせた。その前にきちんと心の中で言ってはいけないことを言う。「神崎さんの水着が見たいんです。だから」息を吸った。
直角に身体を折り曲げ手を差しのべながら伝える。
「僕と一緒にプールに行きませんか!?」
「……あっえっ? プール?」
僕は驚き困惑する彼女に向かって畳み掛けるように、それこそいまだとばかりに言葉を重ねる。
「僕は神崎さんとプールに行きたいです! そのためならなんでもします、僕と一緒にプールへ行って貰えませんか!」
静謐なる朝の校舎に僕の声が反響しているような気がした。みっともない宣言このうえない。しかしみっともなくもならなければこの思いは成就されない。僕はどう思われてもいいから君の水着が見たい。でもできることなら気持ち悪いとは思わないでほしい。
神崎さんは少し戸惑うようなちょっと迷うような、うーんとかあーとか、そういう声を出して。
「プールくらいなら……うん。いいよ」
手を取って貰えることはなかったけど、それでも神託はくだったのだった。おそるおそる見上げたその後光が差す女神のような微笑みを僕は一生忘れることはないだろう。
「クラスのみんなには、言わないでね?」
楽しいことは早い方がいいと、夏休み一週目の水曜日に約束を取り付けて貰った。彼女の水着姿を想像しては悶絶する日々を長期間過ごすことが耐えがたいという理由もあった。殺さば殺せ、という武士の覚悟だ。
そして今は彼女の着替えが終わるのを市民プールの入り口で待っているところだ。
市民プールはとても混雑していた。そもそもこのプールは市民プールにしては珍しくアスレチック的なものが充実している。だからデートなどにもよく利用されている。スライダーとか流れるプールとかそういう遊び場的なものが充実していた。当然五十メートルプールもあったが、わざわざデートにこっちを選ぶひとはあまりいない。泳いでいるのも水泳ガチ勢くらいなものだ。
水着は中学生の頃のものしかなかったから新しく買った。神崎さんと釣り合いが取れるとまではいかないけれど、それでも追い付きたい思いはあったからもろもろ気を遣ってあれこれ似合う似合わないに頭をひねらせて選んだ一品だった。
そして僕はいまかいまかと神崎さんを待った。
彼女はどんな水着を着てくるだろうか。ビキニかドレスかはたまたタンキニか。ネットで検索するうちに気づけば女性の水着について異様に詳しくなってしまった。オタク気質って本当に気持ち悪いなとかなり自己嫌悪した。
そして脳内軍略会議では彼女がどんな水着を着てきても完璧な反応を返せるようありとあらゆるシミュレーションを行っていた。しかし会議では現実的に有効な解答はまったくでてこなかった。一応じろじろ見たりせずに第一印象で褒めようという、瞬発力に任せた一言がいいのではというのが最有力説だった。しかしそれが実際に可能かどうかが怪しかった。何故なら僕はきっと彼女の水着姿に目を奪われてしまうだろうから。
そして彼女の水着への目の付け所で、今後の女子からの評価も変わってしまう。例えば神崎さんの水着がビキニだったとして彼女のおへそ回りなんかを褒めれば何処見てるのやだーきもーいという感想が流布されかねない。ビキニにトラップポイントが多すぎるのもあるといくら主張しても無意味だろう。神崎さんは悪評を流すなんてそんなことはしないが、なるべく彼女には好印象をもたれたままでいたい。
軍略会議は捗ることなく空回ってどうしようもなくなった頃、ついにそのときが来た。
「ごめんね! 待たせちゃった?」
神崎さんの声がかかる。僕は風もかくやという速度でぐるりと振り返った。
「えへへ、つい、本気をだしてしまいました」
「お、おおう」
僕のくちから形容できない声が漏れた。神崎さんがあまりにきれいだったからだ。しかしその表情を見たときだけは、なんだか悲しくなった。彼女は照れたように、それでいてどこかあきらめたように笑うから。
彼女はきれいだった。人目をひいた。その愛らしさとその水着とのギャップに違和感があるひとがおおかったからかもしれない。もしかしたら人目なんて気のせいで、僕の贔屓目で彼女が世界の中心と勘違いしただけの可能性もあった。
ともかく彼女の水着姿は素晴らしかった。
――それはまさしく、泳ぐための姿だった。全身をピッチリと覆う黒くてピカピカしたスイムスーツ。長くてすらっとしてそれでいてもちっとした全身をきゅっとしめつけて独特の色っぽさがあった。普段の可愛らしく豊かな頭髪をお団子にしてまるごと包み込む白い競泳帽。真新しいのだろうほつれなど一切ないメッシュ生地の帽子からははみ出た前髪がそりゃもうかわいくて仕方なかった。そこにきっちりと巻かれたいわゆるゴーグル。本気で泳ぐという決意の現れであろうそれは真っ黒で日光をよく遮って目に対するダメージを極めて少なくしてくれることが期待できた。
その日の神崎さんは、きっとこの宇宙で誰よりも、泳ぐことに真摯に向き合った姿をしていた。
だから彼女がうつむいた暗い顔で何か二の句をつぐ前に、僕には絶対に言わなくちゃいけないことがあった。
「最高にプール向きの格好ですね! とりあえず柔軟からでいいですか?」
不安げだった彼女の笑みが普段の色を取り戻していく。
「ラジオ体操第一からやろっか!」
僕らはアスレチックに背を向け共に五十メートルのプールへ歩いていく。少し浮かれたような足音がふたつ並んでプールサイドをぺたぺたと鳴らした。
つまるところ僕の夏は、神崎さんとのプールという最高のスタートダッシュと共に始まったのである。
君の水着が見たい @Azameano
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