短編出張糸織り乙女~冬至祝いの買い物風景、さまざま~
渡来みずね
第1話 王国歴1516年 六歳の転生者、はじめて冬至市に行くこと
どの世界でも季節イベントというものはあるらしい。
その日の朝、スサーナは活気づいた雰囲気を漂わせるお家の人達を眺めながらふうむと頷いた。
異世界転生者であるところのスサーナが現在在住しているのは、だいたいヨーロッパを思わせる文化のなんらかの異世界である。異世界であるので、現代日本在住であった前世とは文化も風物も違う。
とはいうものの、多分、大体前世と類似した月の満ち欠け、星座は違うようだが星の移動があり、季節の移り変わりを持ったこの世界――それが地軸由来であるものか、一体ここが惑星であるのかはスサーナには判別はつかないが、ともあれそういう働きはあるようだ――であれば、季節の変わり目を重視するのは同じであったらしい。
「お嬢さん、手伝ってくださいな」
中庭に続く廊下から扉にどしゃっと入り込んできた緑のわさわさにスサーナが目を見開いていると、それはお家で働くお針子の一人、ブリダが、姿が見えなくなるぐらいたっぷりと木の枝を抱えた姿であった。
彼女が腕に一杯に抱えているのは常緑樹の枝で、これから家中にこれを飾って歩くのだという。
「なにをしたらいいんです?」
「これを花瓶に挿して回りますから、後を付いて来て、枝にリボンを結んでくださいな!」
はぎれで作ったリボンをわっさりと渡され、ブリダの言う通りに後をついて回って彼女が飾る立派な枝にリボンを結んだり、色を付けた蜜蝋の蝋燭を設置して回ったりしていると、他のお針子たちもやってきて蔓薔薇の真っ赤な実で作った小さなリースをスサーナの飾ったリボンに結んだり、実を残したオリーブの枝で作ったスワッグを枝にかけたりする。ガラスや陶器のカップを紐で吊るすのは前世ではあまりイメージできない飾りつけで、少しスサーナには目新しい。
――クリスマスツリーではないんですよね。ちょっと似てはいますけど、行事の内容も色々と違うみたいですし、面白いといえば面白いなあ。
家中の人を浮き立たせている、これからやってくる行事の名前は冬至祭。
前世で言う、クリスマスに似たイベントであるらしかった。
冬至祭とは月の神様の期間から太陽の神様の期間に交代するお祭りで、かつ季節が繰り返すことをお祝いするお祭りでもあるものだそうで、年の終わりの月の中旬から新年の前の日までを祝う。今日はそのシーズンの前日で、家中上げて準備をする、という日なのである。
スサーナの家はいわゆる仕立て屋で、お祖母ちゃんと叔父さん、叔母さん達とその旦那さん達、通いと住み込みのお針子なんかのお店の人で構成されている。
冬至のお祭りは家族で過ごすもので、基本的にはそれぞれの家で静かにお祈りするのがメインなのだそうだけれど、住み込みのお針子たちはスサーナの家で一緒に祝うため、少しだけ豪華にやるのだそうだ。
数時間掛けてひとしきり家中を飾り付け、枝から開放されたブリダは腰に手を当てて満足そうにため息をついている。
「よし、お嬢さんが手伝って下すったので、今年は早く済みましたよ。さ、じゃあ、次は」
「次は?」
見上げたスサーナの脇に手を突っ込んで持ち上げて一回し。ぶんと振り回されてあわあわとなるスサーナの額に自分の額をコツンとやり、ブリダはいたずらっぽくにんまりとした。
「もちろん、買い物ですよ! 今年はフリオさんが買い物の当番ですからね、ちゃんと監督してやらなきゃ。奥様のお許しが出ましたから、お嬢さんも行きましょうね。さ、あったかい格好をしてきてくださいな!」
二人の話を聞きながら待ち構えていたらしい、年若い叔父――まだたったの22歳だ――、フリオがブリダの横にさっとやってくると、スサーナはバケツリレーのごとく叔父さんの手に受け渡しされて、そのまま衣装室に運搬され、息つく間もなくもこもこに着膨れさせられた。叔父さんとブリダは1歳違いのはとこで幼馴染で、こういうときは異様にコンビネーションがいい。
そうして、あれよあれよと言う間に抱っこで連れ出され、どうやらこの二人とお出かけらしいぞ、とスサーナが飲み込んだころにはそこはもうすっかり冬至祝いのために開かれた市場の只中だったことである。
クリスマスソングは聞こえないし、ツリーも立ってはいないけれど、大体クリスマスマーケットと呼んでいいのではないか、という具合の市場は騒がしく、活気に溢れている。
抱っこのままで嵐のように連れ出され、前世の享年、22歳の精神年齢を自認するスサーナはしばし呆然としていたものの、石畳に下ろしてもらった頃になってじわじわと現状を認識し、目を輝かせた。
――こ、これは、確かに、クリスマスマーケット……っぽい!!
差し掛け屋根の小さな屋台が並び、そこに満載されるのは色とりどりの果物に、普段なら港の市場でないと売っていない海老や雲丹などの魚介類。横に渡した棒にかけた腸詰めの類がたっぷり売られた屋台ではその場で焼いたものも扱っているようで、食べ歩く人々が次々に買い求めているのが見えた。粉砂糖に埋もれるような揚げ菓子や煮立てたワインの店もあり、一種暴力的な芳香を放っている。
「叔父さん、一体何を買いに来たんです?」
「明日のごちそうの材料と、飲み物かな。それから、いちばん大事なのは贈り物だね」
「贈り物……。」
スサーナは目をしばたたく。聞いた覚えはなかったが、こちらにもサンタクロース的な習慣があるのだろうか。であれば誰に渡すものだろうか。いや待て、お歳暮めいてどこかに贈るものかもしれぬ、それとも慈善団体へ――
せわしなくくるくる回す思考をどこか誇らしげな叔父さんの声が破った。
「うちは、お店をやっているだろう? 明日の昼からお休みを出すんだけど、その前に従業員のみんなに贈り物を渡すんだ。いつもありがとう、来年もまたよろしくね、ってね」
「あ、なるほど! それを買いに……。でも、それならブリダはいいんですか? 秘密にしていないと、贈り物の内容がわかってワクワクが薄れたりしません?」
幼さの演出半分、本気で慣習の内容を知りたい半分で見上げた疑問の目を受けて叔父さんが微笑む。
「いいんだよ、ブリダは家族みたいなものだからね」
だろう?と同意を求めた叔父さんの目線の向こうでブリダが笑ってちょっと肩をすくめてみせるのが見えた。
「さて、それじゃスサーナ、みんなへの贈り物を一緒に選ぼうか。責任重大だぞう? みんなはどんなものを喜ぶかな?」
そういった叔父さんに手を引かれ、スサーナは屋台を次々と見て回った。
ちょっとした手ぬぐいを売っている店。駄目。おばあちゃんの作るはぎれの手ぬぐいのほうが質がいい。
お菓子の詰め合わせ。駄目。確か男性の従業員さんには甘いものが苦手な人もいたはず。
こぶりなハム、一人一本がおすすめ、とある。駄目。この後大量に買って、毎年年始まで余るのだし、自宅でお祝いする皆はもう買い物を済ませた者も多い。このうえ贈り物がハムだとハムづくしになりかねない。
最初はお付き合い半分、子供らしい事を言ってお茶を濁そうかな、などと思っていたものの、屋台を見るうちに知らず知らずのうちに集中していたらしい。
スサーナは……というより、スサーナの前世では。和風な家だったからか、皆忙しかったからか、クリスマスを祝った記憶が無い。
その日には大人たちは大体慈善団体だとか、後援会だとか、なにかの付き合いがあったはずだし、そうでなければお仕事だった……ように思う。
そうでなくても日本では大人になってしまえばろくに縁がなくなっておかしくないイベントだ。
だから、こうして誰かにクリスマスの……クリスマスではないけれど……贈り物を選んでいるのは幼い頃にやったことがないはずだった。良く覚えては居ないのだけれど。
自分が――お店の小さなお嬢さんだから――選んだものだという情報で、喜んでもらえるのかもしれない、とか思いついてしまって、なんとなく胸が高鳴っているのはきっと、未体験の事柄をひょんなことで取り戻しているような気持ちになっているだけなのだろう。この年に――享年は22だった――なって感じるにはちょっと恥ずかしい錯覚であるとスサーナはそう思う。
でも、ならば、楽しんでしまう方が得であるような気が――スサーナが真面目くさって贈り物を手に取るたびに、笑ってああだこうだと感想を言う叔父さんと、どれも嬉しいけれどこれなら誰が特に喜ぶかも、だとか、こちらも真面目な顔でコメントをくれるブリダの横顔を見ていたら――だんだんしてきたのだ。
六歳児相当のものであると思われる脳みそに単純に引きずられているのかもしれない、という、もしかしたら順当かも知れないうっすらしたセルフツッコミには、気づかないふりをして脇に寄せておくことにする。
いくつか目の屋台で、並ぶ贈り物向け商品を流し見ていたスサーナは、ふと横の籠に入ったものを見つけてむっと目を見張る。
それはちいさな足つきのグラスで、泡の入った色付きのガラスで出来たものだ。
ガラス製品はそこそこ珍しいものの、スサーナたちが住んでいる「塔の諸島」と呼ばれている島では色々事情があってそれなりに手に入る。
「可愛い。これ、模様が入ってます。これ、気に入りました、どうでしょう?」
スサーナが手にしたグラスには、上部三分の一程度をぐるりと囲む、蔓草のような模様が彫り込まれており、それだというのに十分安価なものだった。
「ああ、これは珍しいのにずいぶん安いね」
叔父さんが驚いた声で言い、店主さんがこっそりという風に声を潜めた。
「いいでしょう。ただこれ、実はね、漂泊民が持ち込んで来た、鉄筆ってやつを使ってるんだ。こういう、ガラスものに模様を書くから買ってくれってさ、うちで仕入れたグラスにその場で書いてたから素性が怪しいものじゃないんだけどね」
ふっと叔父さんが黙り、ブリダが困った顔をした気がした。
漂泊民というのは、流浪の民で、黒髪をして、本当なら魔術師にしか許されない魔法を使うとか、なんだか悪いことをするとか言われていて、しっかりした都市民には少し恐れられていて、……スサーナの母親である人の民族だ。
生まれたばかりのスサーナを置いて出奔したらしいので顔も知らないわけではあるが、彼女から受け継いだ黒い髪は、誰にも見せないようしっかりと帽子の下に隠されている。
「あ、えっと、じゃあ――」
やめときましょうか、と言いかけたスサーナの声を遮って叔父さんがはっきりした声で言う。
「これ、あるだけ貰うよ。贈り物用に全部包んでおくれ」
「えっ、叔父さん、いいんですか? だって、嫌な人もいるんじゃ」
「どうしてだい? 素性が怪しい品物じゃないらしいし、飾り彫り込みは悪いものなんかじゃないよ、スサーナは気に入ったんだろ? それに、ほら。」
叔父さんはグラスを屋台の前に吊るしたランタンに翳して、くるりと回してみせた。
「蔓草は島を守ってくれる神様、サーインのしるしだし、切れ目のない円の模様はおめでたい印なんだ。……ずっと、去年も今年も来年も、変わらず仲良く元気で幸せに、って、そういう意味なんだよ」
「そうですよ、お祝いの印が彫ってあるなんて悪いもんのはずないですもんねえ。お祝いの品に良いと思って図案を選んだんなら、そりゃ怖がるほうが失礼ですよねえ」
「そ、そうですか? じゃあ、それで……いい、の、かな……」
最初にこれはどうかと聞いたのは自分のくせして、スサーナは叔父さんと力強く同意しだしたブリダに押し切られたような気がしつつも、小さなグラスたちがしっかり包装されて叔父さんに手渡されるのを眺める。
「あ、それからこれも」
ついでに叔父さんがひょいと取り上げて買ったのは小さな木のコースターで、これも同じような模様が彫り込まれていた。
「3つしか買わないから、これは僕らだけ。はいスサーナ、ブリダも。冬至のお祭りおめでとう」
グラスはみんなにだけど、付き合ってくれたスサーナや僕らにもなにか素敵な冬至の贈り物があってもいいと思うんだ、と言った叔父さんに、ブリダはお嬢さんにならなにかもっと可愛いものがあるでしょうよ、とやれやれと呆れた顔でため息をついて見せていたけれど。それから見るたびにコップの下にはそれが敷かれていたものだったし、スサーナにとって多分それは初めてのクリスマスプレゼントで、しばらくはどこに行くのにもポケットに突っ込んで持ち歩き、使ってはにまにましていたものだった。
スサーナが選んで三人で買ってきた贈り物グラスはお店の皆さんにはとても喜ばれ、
なんとなく気が引けてそれの素性を説明するということはしないでくれと頼んだスサーナであったけれど、お店の誰かに悪いことが起こっただとかそういうこともなく。
それで冬至のお祝いの振る舞いワインを飲んだり、小さいのを良いことに持ち歩いたり、ながく皆の手元で様々に活躍して、見かけるそのたびに思い出したスサーナの心を少しだけ温めたものである。
どっとはらい。
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