【連載版】わたしのすてきなお兄様
岩上翠
第1章 聖女編
第1話
「何を祈っていたの?」
「あ……ご、ごめんなさい! 勝手に入って……」
礼拝堂のステンドグラスごしの光にきらめく銀の髪に、アメシストのような紫の瞳。
気がつくと、見たこともないほどきれいな男の人が、わたしを見下ろしていた。
✻✻✻
十歳のとき、優しかったお父様とお母様が流行り病で亡くなり、わたしは王宮に引き取られた。
わたしのお母様が王室の血を引いていたからだ。
王宮にいくつもある立派な宮殿の一つに住むことになったけど、下町で両親の愛に包まれて育ったわたしにとって、どんなに美しくても、そこは寂しい場所でしかなかった。
息苦しい宮殿から抜け出して、王宮の広大な敷地内をあてもなくさまよった。
すると、ひとけのない木立の奥に、小さな古い聖堂を見つけた。
お父様とお母様のために祈ろうと、わたしは重い木の扉を開けて中の礼拝堂に入り、祭壇の前でひざまずいた。
一心に祈っていたから、あとから人が来たことに気がつかなかった。
すぐ隣に足音が聞こえて、パッと見上げると、見たこともないほどきれいな男の人が立っていた。
「何を祈っていたの?」
「あ……ご、ごめんなさい! 勝手に入って……」
礼拝堂のステンドグラスごしの光にきらめく銀の髪に、アメシストのような紫の瞳。
身なりからして、非常に高貴な人なのだろう。
でも、わたしを見下ろすまなざしは、温かかった。
そういえば、他の建物には入るなと、王宮へ来た初日に侍従長に言われていた。
言いつけを破っているところを身分の高そうな人に見つかってしまい、わたしは泣きそうになった。
もしも王宮を放り出されたら、この先どうやって生きていけばいいのかわからない。
すると、彼はかがんで、わたしに目線を合わせた。
「聖堂には、誰でも、いつでも入っていいんだ」
「……そうなのですか?」
「ああ。きみの名前は?」
「ジョゼット。ジョゼット・フォーレです」
「ジョゼット……叔母上の忘れ形見のご令嬢か。俺はエドワール・グノー。きみの従兄だ」
彼が教えてくれた名前は、この国の王太子殿下のものだった。
エドワール王子はわたしより五つ年上の十五歳で、国王陛下のたった一人の息子で、誰もが二度見するほど美形な上にとても頭が良く、国中の貴族令嬢たちが花嫁になりたがっているような人だった。
とても多忙なはずの彼は、なぜか、三日に一度はあの聖堂を訪れていた。
たった一人の近衛騎士を聖堂の外で待たせ、祈るでもなくただお堂の中に佇み、しばらくの間ステンドグラスを見上げている。
彼も幼い頃に、母親を病気で亡くしたそうだ。
だからわたしと同じように、肉親の死を悼みに来ていたのかもしれない。
わたしもあの聖堂の居心地のいい空気が好きで、両親のために祈ろうと毎日訪れていた。
気がつくと王子も来ていて、物も言わず、少し離れた場所に立っている。
他の人なら気詰まりになりそうなその沈黙が、なぜか心地よく感じられた。
わたしは美貌のエドワール王子と自然に仲良くなり、いつの間にか彼のことを「お兄様」と呼ぶようになっていた。
従兄妹だから何もおかしくはないけれど、この聖堂以外ではまったく接点のないすてきな王太子殿下をお兄様と呼ぶのは、少し奇妙なような、くすぐったいような気分だった。
「どうしてこの聖堂には誰も来ないのですか?」
ある日、あまりにもこの聖堂でお兄様以外の人間に出くわさないので、不思議に思って尋ねてみた。
彼は思案顔で呟いた。
「古くて今は使われていないし、ここは王宮の外れだし、正殿の隣には新しくてきれいな大聖堂があるし……それに、この場所は神聖力が強すぎるからかな」
「強すぎる?」
「ああ。神話では、王家の人間は神の子孫とされている。俺やジョゼにとっては、神の力……神聖力は心地がいいものなんだ。だけど、そうでない普通の人間にとって、ここの空気は清浄すぎて逆に息苦しいものになる。さらに、魔塔にいるような邪悪な魔法使いともなれば、ほんの少しこの聖堂に入っただけでも、耐えられないほどの苦しみを味わうだろう」
「そうなのですね……」
金茶色の髪と目をした平凡な容姿の私が、銀の髪に紫の瞳を持つ美しいお兄様と同じ王家の人間だなんて、まだうまく信じられない。
でも、この聖堂の空気が、わたしにとって気持ちのいいものであることは間違いなかった。内部の装飾にも古い時代の素朴な美しさがあるし、ここにいるだけでなんだか体内の毒素が抜けて、生まれ変わったような清々しい気分になれる。
多忙なお兄様も、だからこそ、この場所で息抜きをしているのだろうか。
たまに王宮で見かけるお兄様はキリッとした表情で、そんな姿もとてもすてきなのだけど、ここにいるときだけは安らいだ様子で、気さくにわたしとお喋りをしてくれた。
週に数回、廃れた聖堂でお兄様と過ごす時間に勇気づけられながら、下町育ちのわたしも、少しずつ王宮での生活に慣れていった。
慣れないマナーや座学も、紳士的で博学なお兄様に近づきたくてがんばった。面倒なルールの多い社交も、お兄様の従妹として他の人たちに認めてもらうチャンスだと思えば、楽しみになった。
「ジョゼはえらいな。もう隣の国の言葉まで覚えたのか」
「ふふっ。隣国へ行かれるときには、通訳としていつでも呼んでくださいね」
「駄目だ。そんな危険な場所にきみを連れていくわけにはいかない」
「お兄様ったら、意外と心配性なのですね」
きょうだいのいないお兄様はわたしを本当の妹のようにかわいがってくれたし、わたしもお兄様のことが大好きで、お兄様以外の男性など目に入らない位だった。
お兄様、お兄様、とひたすら彼を慕うわたしは、宮廷人や使用人たちからすっかりお兄様っ子として認識されていたのだが、わたしが両親を早くに亡くしていたこともあり、温かい目で見守ってくれた。
ずっとこんな穏やかな日々が続くのだと思っていた。
「聖女」オリアンヌ・ド・リールが現れるまでは。
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