【1】 林音生作品解釈演習Ⅰ「涙の成人式」

(ア) 概要


 舞台は、「ハヤシ・センチMENTALカレッジ」の「海野ゼミ」の教室内。客員教授の牧⼝と、学⽣の古⽥、桝井、重森、林が、囲むように着席している。まもなく、牧⼝による特別授業「林⾳⽣作品解釈演習」が始まる。


【牧口】 はい、それでは、時間になりましたので、授業を始めます。さて、今⽇の授業の教材は、林⾳⽣先⽣のご著書の第6作品目である「だから、それでも僕は⽣きていくⅡ!」の中から「涙の成⼈式」を扱います。この物語の概要を説明できる⼈はおられますか?


【桝井】 はい!


【牧口】 では、桝井君、お願いします。


【桝井】 はい。この物語は、林先⽣の姪っ⼦さんであり、ここにおられる林萌愛さんのお姉さんでもある、愛花さんの物語です。幼いころから神経症の兆しがあった愛花さんは、ご両親の細⼼の注意と配慮のもとに育てられます。

 中学時代のいじめ、⾼校時代の反抗期、ダブルスクールの浪⼈⽣活を経て、20歳の成⼈式を迎えます。そこで発した愛花さんの⾔葉を聞いて、お⽗さんが号泣する、という話です。

 全体としては、お⽗さんの娘に対する、あふれんばかりの愛情を描いたものとなっています。


【牧口】 はい、桝井君、ありがとうございます。


(イ) 託児所


【牧口】 それでは、さっそく、エピソードを⼀つずつ⾒ていきましょう。まずは、託児所のエピソードから。愛花ちゃんの様⼦がおかしくて、⼣⽅になると、ご両親を恋しがって、泣き叫ぶということですが、もちろん、こんなことは⼦供なら誰にでもありうることですよね。

 それを託児所の先⽣は⼤げさにとらえて、「神経症ではないか」と⾔っています。

 さて、「神経症」とは何でしょう。わかる⽅おられますか?


【重森】 はい! 「精神障がい」の古い⾔い⽅ですよね。


【牧口】 その通りです。「ノイローゼ」とも⾔いまして、昔はちょっと何かあると、何でも「ノイロー ゼ」だって⾔っていたものでした。

 さて、この託児所の先⽣の指摘に対しては、どう思われますか? 古⽥君、いかがですか?


【古田】 そうですね、ここでの先⽣の指摘は、あながち外れでもなく、お医者さんも気を付けるように⾔っておられますよね。そして、具体的に作品には描写されていませんが、愛花さんはのちにしっかり「双極性障害」を発症しているようです。ですので、ここで気づかせていただいてよかったのではないですかね。


【牧口】 そうですねぇ。ここで気づかず、配慮をせずに育てていたら、ひょっとしたら、無事に成⼈式を迎えていないかもしれませんもんね。


(ウ) お絵かき


【牧口】 では、次のエピソードに移ります。お絵かきのシーン。

 ある⽇、突然、お絵かきを習いたいと⾔い出す愛花ちゃん。それに対し、ご両親は、

「何か夢中になれるものがあったほうがいいだろう」

 と、愛花ちゃんを美術教室に通わせます。

 その後は、愛花ちゃんの精神状態も安定するのですが、このシーンについて、何かコメントのある⽅はおられますか?


【林】 私からひとこと。「何か夢中になれるものがあったほうが精神状態が安定する」ということは、私⾃⾝も経験していることです。私は今では、暇さえあればトランペットを吹いていますが、そうするようになってからは、余計なことを考える暇がなくなって、かなり精神状態が良いのです。⾳⽣(ねお)先⽣は、その⼼理状態を、ここで⾒事に表現されていると思います。


【牧口】 そうですねぇ。私も物書きをしているときは、何もかも忘れていられます。きっと健常者の⼈であっても、何かに夢中になっている⼈は、物事に悩みにくいのではないかと思いますね。



(エ) いじめ


【牧口】 さて、次のエピソードに参ります。続いては、中学時代のいじめのシーン。ここでお⽗さんが取った⾏動は、なんと、愛花ちゃんを、近くの私⽴中学に転校させてしまうというものでした。

 愛花ちゃんは幸い頭がよく、また乗り気だったため、転校はあっさ り成功します。

 このエピソードに関して、何か思うところはありますか? 古⽥君、いかがですか?


【古田】 ⼦供のためであれば、親というものは何でもするものなのでしょうか? 特に⽗親の娘に対する愛情とは、こうまで⼤きいものなのでしょうか?

 僕はまだ学⽣で、独⾝ですので、それに関しては正直わかりませんが、この⼀節を読むと、親の愛情の偉⼤さを痛感せざるを得ませんね。


【牧口】 そうですねぇ。⼦供のため、しかも「こころの病」を患っている可能性のある娘のためとあれば、親はなんだってする覚悟があるのかもしれませんね。そういう⼦を授かった親としての「使命」みたいなものを感じているのかもしれませんね。


(オ) 反抗期


【牧口】 では、次のエピソードに移ります。続いては、⾼校時代の反抗期の話。愛花ちゃんは、授業は美術以外はついて⾏けず、友達もなぜかできませんでした。

 そこで美術部に⼊るのですが、帰りは毎晩11時を過ぎるように。ご両親とは毎⽇のように喧嘩。翌朝はパンをかじったままプイッと学校へ⾏く。そんな状態を⾼3になるまで続けます。

 さて、このエピソードに関しては、みなさん、いろいろ思うところがおありでしょう。重森さん、いかがですか?


【重森】 私もこういう時期、ありましたからよくわかります。私の場合は、学校がうまくいかなかったからではなくて、そもそも親の顔を⾒るのが、嫌で仕⽅なかったんですけどね。


【牧口】 なるほど。重森さんの場合は、純粋な反抗期によるものだったと⾔えますね。桝井君はどう思われますか?


【桝井】 俺の場合も、重森さんと似たようなものですよ。ただ、愛花さんの、独特の反抗の気持ちも、わかるような気がします。

 親は別に悪くないけど、⾃分のやり切れない思いを、察してくれない親に、反抗せざるを得なかった。

 そして、俺の考えでは、この時点で愛花さんの「双極性障害」の症状は、 かなりはっきり出てきていると思います。


【牧口】 ほう。なぜそう思われるのですか?


【桝井】 かなりの感情のアップダウンが、⽂⾯から感じられるからです。クラスでは、孤⽴しているため気持ちが沈む。それをクラブ活動で、無理やりテンションを上げて、気を紛(まぎ)らす。そのまま遊び倒して、家では親に当たる。翌⽇またクラスで沈む、という風にです。


【牧口】 なるほど。確かに、そういう解釈は、可能かもしれませんね。本当のところは、お医者さんに確かめてみないと、わかりませんけどね。

 わかりました。ありがとうございます。


(カ) 浪人時代


【牧口】 それでは、続いてのエピソードに移ります。激動の反抗期の後、愛花ちゃんは我に返って、学業に専念します。受験も、得意分野の美⼤に絞(しぼ)ったものの、失敗し、浪⼈⽣活を送ることになります。

 浪⼈時代は、予備校と美術の学校のダブルスクー ルで通い、今回は受験も成功します。

 さて、このエピソードのポイントは、いろいろあったtにもかかわらず、お⽗さんは、愛花ちゃんにとって、⼀番良いと思われる選択を繰り返され、最終的には、試験合格に導かれておられるところです。これに関してはみなさん、どう思われますか?

 林さん、いかがでしょう?


【林】 親の気持ちって、まだなったことがありませんので、わかりませんが、さきほど牧⼝先⽣がおっしゃったように、「こころの病」を患った娘のためなら、命でも捨てる覚悟ができているのかもしれません。

 予備校に美術の学校のダブルスクールって、それって尋常(じんじょう)じゃない出費のはずですよ。さんざん反抗してきた娘に、そんなことができるなんて、パパすごすぎ!


【牧口】 そうですよね。林さんのところの経済事情を、存じているわけではありませんが、当時はかなり無理をしておられたのではないかと、お察ししますね。そして、それがおできになる理由としては、先程も申しましたが、もう「使命感」としか⾔いようがないですよね。私が、もし⼦供を持っていましても、果たしてそこまでできるかどうかは、非常に疑問です。


(キ) ラスト


【牧口】 さて、いよいよ、最後のエピソードに参りましょう。

 ⼤学に⼊学した愛花ちゃんは、20歳(はたち)になり、成⼈式を迎えます。そこで、お⽗さんに「ありがとう」と⾔葉をかけると、お⽗さんは声を上げて号泣されます。

 最後にお⽗さんは、

「できる限りそばにいてやりたい。そして、いい⼈が現れて役目を引き継いでほしい」

 と締めくくっておられます。

 さあ、このクライマックスに、コメントのある⽅はおられますか?


【桝井】 それでは、俺が。

 お⽗さんは、この涙は、愛花さんの「こころ」と向き合ってきた「結晶」だと⾔われています。そうですよね、この20年間、なにもかもを愛花さんのために、捧(ささ)げてきたわけですからね。それは涙も出ますよ。


【古田】 そうですよね。そして、これは、

「お⽗さんの役目が⼀段落ついた」

 ことも、意味しているでしょう。その「安堵(あんど)の涙」でもあるのではないですか?


【牧口】 なるほど。重森さんはどう思われます?


【重森】 私には、安堵であると同時に、新たなる「決意の涙」であるように感じられます。これからも、愛花さんのことを守り続けるんだっていう。


【林】 そうですね。そして、もしかしたら、後を引き継いでくれるお婿(むこ)さん探しまで、わしがやるんだ、って思っているかもしれませんね(笑)。

【牧口】 ははは。その可能性が⾼いですね。そこで愛花さんは、

「彼⽒ぐらい⾃分で選ばせてよ!」

 ってまた反抗期に⼊ってしまう。


【桝井】 それ、普通にありえそうですよ、ねぇ、林さん。


【林】 はい。お姉ちゃんとお⽗さんなら、⼗分あり得ます!


【牧口】 はは。でもまあ、そういう反抗なら、かわいいもんじゃないですか。⼤いにやってもらいましょ う。

 それでは、みなさん、いったん休憩に⼊ります。お⼿洗いなどを済ませて、10分後に着席していてください。では。



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