城には勤務している者のために開放されている食堂やカフェテリアがある。

 食堂は価格が安いもののセルフサービスとなっているので、貴族は一階にあるカフェテリアを使うことが多い。トリーシャがカフェテリアに顔を出すと、遅めのランチをとる者がまばらに食事をしていた。トリーシャはテラス席の隅にあるいつものテーブルを選ぶと、すぐに現れた店員に、紅茶と生ハムとトマトのサンドイッチを注文した。

 すぐに運ばれてきたサンドイッチを頬張りながら、トリーシャはヴィタリのことを思い返す。


(妖精みたいに綺麗な人だったな。異動したばかりと話していたし、制服ではなかった。政務官かな?)


 城には様々な立場も者が出入りする。中でも政務官はフォーマルな私服での登城を許されている。


(友人になってほしいと言っていたけど、たぶんリップサービスだよね)


 ヴィタリはコミュニケーションが得意そうだった。恐らく社交辞令だろう。真に受けると、トリーシャのほうが後で恥をかくことになる。

 たぶんもう会わないだろうという予想は、翌日には覆された。


「やあ、トリーシャさん。ご機嫌いかがかな」

「ヴィタリ様?」


 トリーシャはカウンターで、返却本の整理をしているところだった。破損している部分がないか確認し、台車に図書分類ごとに積んでいく。このひと手間をしていないと、効率が悪い。王家の図書室は広いので、工夫しなければ仕事が終わらない。

 まさかもう会わないと思ったヴィタリが親しげにあいさつをしたので、トリーシャは少し戸惑った。しかし、王宮勤めとしてすぐに体勢を整えなおし、にこりと余所行きの笑みを浮かべる。


「おはようございます。午前中からこちらにいらっしゃるなんて、政務官のお仕事は大丈夫なんですか?」

「……政務官?」


 ヴィタリが聞き返す。


「ええ。城の官吏で制服がないのは、政務官くらいですので。違うのですか?」

「まあ、そんな感じの仕事だよ。私のことは気にしないで。きちんと部下ともあいさつを済ませたし、今日はよく使う施設を確認したくてね。よければ、図書室を案内してもらえないかな」

「畏まりました」


 図書室の案内もトリーシャの業務だ。それに、ヴィタリの感じの良いお願いは、なんとなく叶えてあげたくなった。

 トリーシャは受付にいる司書に離席を伝える。


「ラスヘルグ君、大丈夫そう? 代わろうか」

「知り合いなので問題ありませんよ」

「何かあれば呼ぶんだよ」

「はい」


 司書には年配者が多いせいか、トリーシャは彼らの息子や年の離れた弟みたいに扱われている。口数少ないものの、優しい人ばかりだ。

 だが、出会いを求めて城に就職した者達には、不人気の職場だ。なぜかというと、地位の高い者は、部下に本を借りてくるように依頼するから、当人が足を運ぶことはあまりない。


「では、近い場所から順番にご案内いたします」

「よろしく頼むよ」


 ヴィタリは穏やかに微笑んでいる。

 いかにも上に立つ者独特の、お願いを通すのに慣れている雰囲気なのに、ヴィタリには圧を感じさせるところがない。物腰がやわらかいのだ。

 一通りを案内すると、トリーシャはヴィタリの様子をうかがった。彼は静かに目をキラキラと輝かせている。これは本好きの反応だと、トリーシャにはすぐに分かった。


(道理で、自分で足を運ぶわけだ)


 本が好きな者は、図書室に来るだけで気分転換になるようで、仕事の合間に来ることも多い。

 すると、トリーシャの視線に気づいたヴィタリが困ったように微笑んだ。


「あまり上の者があくせく動くのはみっともないと、部下にも言われるんだけどね。図書室はどうしても自分で来たいんだよ。こうして棚を見ていると、思わぬ資料を見つけることもあるしね」


 値踏みするような目で見てしまっただろうかと、トリーシャはぎくりとした。そう感じさせただけでも文官としては恥ずかしい。


「君もそう思う?」

「いいえ! むしろ、自分で調べようとする方のほうが好ましいですよ。それに、そういう真面目な方は、後々出世するものです。婚活狙いの人達も、図書室に出会いを求めたほうがいいのではと思っているくらいです」


 焦るあまり、余計なことまで口を滑らせた。トリーシャは顔を赤くする。


「申し訳ありません。差し出がましいことを……」


 そっとヴィタリのほうを見ると、彼は周りをきょろきょろと見回していた。


「ヴィタリ様?」

「その……トリーシャさんにはそういう人がいるのかな」

「そういう人?」

「付き合うならこの人がいいというタイプ。こっそり教えてくれないかな……なんて」


 茶目っ気あふれる言葉に、ヴィタリの機嫌を損ねたわけではないようだと察して、トリーシャはほっとした。


「僕自身は特にいませんよ。元いた部署の仲間に紹介したいと思ったことはありますが」

「ああ、友人にすすめたいのか。それはかなりの好人物だね。仕事にも役立つし、覚えておこうかな」

「僕が言ったのは内緒にしてくださいよ。噂するのは良くないので」

「うんうん、秘密にするから」


 無邪気な子どものように催促するヴィタリ。トリーシャは本棚の陰から、閲覧席にいる何人かを教えた。


「……なるほどね。ああいうのがタイプか」

「え?」

「ああ、なんでもない! なんでも!」


 ヴィタリは急いで言いつくろう。そして、ポケットから取り出した小さな包みをトリーシャの手に乗せた。


「はい、案内してくれたお礼だよ。ありがとう! とても役立ったよ。よく出入りすると思うから、今後ともよろしく」

「え? は、はい」


 ヴィタリは仕事に戻るからと、慌ただしく帰っていった。急に仕事を思い出したのだろうかと思いながら、トリーシャは包みを見る。


「うわ、これ、高級菓子店のロゴだ」


 業務範囲内の案内でのお礼なんかでもらっていい菓子ではない。巾着の包装にははちみつ飴と書かれている。恐る恐る中を見ると、黄金色に輝く飴が五個入っていた。


(わあ、おいしそう。このくらいなら、ちょっとしたお礼として相手に負担を感じさせないし、むしろうれしくなる。やっぱりあの方、社交力が高いな)


 トリーシャは包みを丁寧に戻すと、ポケットに入れる。

 後で食べてみると、高級菓子店のものだけあって、くどくない甘さでおいしかった。


     ◆


「ノイマン様、お帰りなさいませ。お申し付けの通り、書類と手紙の分類は済ませました」


 魔法師団の団舎に戻ると、執務室ではアガートが待っていた。


「あの量をもう片付けたのかい、トレイム君。さすがはハワード様が補佐にと推薦するだけあって、優秀なようだね」

「お褒めいただき光栄です!」


 誇らしげに胸を張るアガートは、尾を振る犬にしか見えない。ヴィタリは城で仕事するにあたり、この部下はこんなに感情が分かりやすくていいのかと心配になった。仕事ができる部下がいるのはありがたいし、褒め言葉一つで働いてくれるならばお得だと思うべきだろうか。

 簡単に書類をチェックする。完璧だ。


「喉が渇いたので、休憩にしよう。君の分も用意しておいで」

「はい!」


 アガートがお茶を用意している間に、ヴィタリはトリーシャから聞いた有望な若者の名前を、メモ用紙に書いた。

 どの人物も地味な容貌をしていたが、真面目そうだった。

 ヴィタリは執務室の壁にかかっている姿見の前に立つ。


「もしかして私の容姿は派手なんじゃないか?」


 昔から美しいと褒めそやされていたが、ヴィタリは自分の容姿よりも、魔法のほうに興味があったので気にしたこともなかった。美形であることで得することが多かったが、これで顔を理由に嫌われたら、自分のことが嫌いになりそうだ。

 懊悩おうのうしながら、手早く制服に着替える。団長として制服を身に着けないといけないが、王家の図書室にはわざわざ私服で出かけていた。


「ノイマン様、何を悩んでいらっしゃるのですか」


 戻ってきたアガートは、けげんそうに眉をひそめている。

 ヴィタリが理由を話すと、アガートは明るい笑みを浮かべた。


「ノイマン様、そんなにラスヘルグさんと仲良くなりたいのですね! わざわざ私服に着替えて図書室にお出かけになるので、不思議に思っておりました。……しかし、魔法使い嫌いのあの方に、魔法使いだと隠していたら、逆効果なのでは?」

「ある程度、親しくなってから打ち明けようと思うよ」


「しかし、王都や〈塔〉には多いだけで、〈枝〉を与えられた魔法使いの数はそう多くありません。国内だけでも、千人もいませんからね。地方都市に三人いればいいほうです。ラスヘルグさんの周りに、例の魔法使いしかいなかったのなら、印象を変えるのは大変ですよ。うかつに関わっていいとも思えませんが」


 アガートは遠回しに、ヴィタリの短慮がトリーシャを傷つけるのではないかと心配している。

 ヴィタリは微笑んだ。


「君が苦言を口にする補佐で良かったよ。おべっかばかり言われても困るからね」

「ご不快を買わずに済みまして、恐縮です」


 アガートは丁寧に返したが、ヴィタリのほうをじっと見つめている。


(仕事ができて、言うべきことは言い、良心もある。ハワード様が推薦するはずだな)


 年は若いが、前任の団長が目をかけていた部下だと聞いている。

 ヴィタリは応接机に移動して、アガートにも向かいの長椅子に座るように言った。アガートは手早く配膳すると、席についた。


「私はトリーシャさんを傷つけるつもりはないよ。ただ、私が嫌われるのを恐れているだけ」

「はあ」

「魔法使いではなく、私の人となりを見てほしいんだよ。私だって人間だから、一人の人間として接してほしいと思うのはわがままかな?」

「それは……お気持ちはわかりますが」


「トリーシャさんは私を政務官と勘違いしているから、それに乗っからせてもらうつもりだ」

「それで友人になってしまえば、問題ないと?」

「とっかかりは必要だと思わない?」


 ヴィタリは素直に打ち明けたつもりだ。アガートは渋々と頷いた。


「本気で親しくなろうとしているのなら、私も止めません。しかし何もわざわざ、そんなに苦労する人を選ばなくても……」

「心惹かれるんだから、しかたがないだろう? 君には応援してほしい。これは個人的なことだから、きちんとお礼を用意する」


 アガートはため息をついた。


「ハワード様が、ノイマン様には気を付けるようにとおっしゃっていた意味が分かりました」

「へえ、ハワード様はなんて?」

「人畜無害を装いながら、気づけば共犯者に引っ張りこむタイプ……だと」


 ヴィタリはにっこりした。


「さすがは先生、よく分かっていらっしゃる。私はこんなだからね、団長なんてがらではないんだよ」

「いえ、私は向いていると思います。長は他部署に意見を押し通さねばなりませんので」

「無駄に争ったりはしないから、安心してくれ。魔法の研究に当てる時間が減るのは困るからね」


 ヴィタリは執務机からメモ用紙を取ってくる。


「ひとまず、彼らについて調べておいてくれ」

「これは?」

「トリーシャさんが将来有望だと考えている若者のリスト。覚えておいたら、後々役に立ちそうだ。お礼は何がいい?」

「……三日の休暇でお願いします」


 アガートはそうして、ヴィタリとの取引を受け入れた。

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