繋ぐ命とミスティオレ

莫[ない]

いますぐ読んでほしい。貴方に重要なことだから

 ページを開いてくれてありがとう。

 貴方の家族から1年分の寿命を譲り受けました。


 ごめんね。

 もう返すことはできないらしいんだ。

 呪っといてなんだけど、次に続く文章をせめて読んでみてよ!

 なぐさめにでもなればいいんだけど。



 その洞穴はえとしていました。なぜなら、氷でできていましたから。

 入り口の外は真っ青で仄明ほのあかるいです。洞穴の中では二人の男女が火を囲んでいました。蝋燭ろうそくが心細い灯火ともしびで彼らを照らしています。

 二人は登山服を身にまとっていました。オレンジ色のふかふかしたウェア。白いヘルメット。今は外しているゴーグル。棘を生やしたアイゼン。

 男が洞穴の入口へゆっくりと向かいます。彼は入口から顔を出しました。空を見上げています。やがて、女の方へゆっくりとまた戻ってきました。


吹雪ふぶき。ちっとも晴れないね。救出隊も来そうにない」


 男が喋りました。カサついた唇は紫がかっています。

 女が口角を上げました。歯茎が心なしかすみれ色に近いです。


「元気出せよ。抱きしめてやろうか? メスゲ?」


 男はメスゲと呼ばれました。女は両腕をわざとらしく開きます。男は女へ歩み寄りました。彼女の腕が男の背中へ回ります。


「ずいぶん太ったんだね。アケモーヌ」

「非常食は高カロリーだからな。……なわけあるか! お前の右耳と左耳を入れ替えるぞ」

「それはちょっと嫌だな……」


 メスゲはその女をアケモーヌと呼びました。メスゲたちはケラケラと笑います。乾いた笑い声が洞窟にこだましました。しばし笑い合ってから二人は体を離します。

 アケモーヌは自身のジャケットを指で示しました。


「ジャケットの下に羽毛がぎっしり入ってんだよぉ。皮下脂肪みたいによぉ〜!」

「そうか。脂肪ならナイフで切り取れるかもしれない」


 メスゲが自身のジャケットの懐へ手を伸ばします。彼の視線はうつろでした。アケモーヌはメスゲの右手を咄嗟に掴みます。


「やめとけ。正気かよ。メスゲ」


 それから、アケモーヌはメスゲの肩をポンポンと叩きました。


「大丈夫だよ〜。一週間くらいの飲まず食わずは訓練でもやったろ」

「でも、僕の計算が合ってれば、もう二週間は立つ」

「……メスゲの勘違いだよ。優等生のお前も空腹には弱いな」


 アケモーヌは自身のバックパックに手を入れました。彼女は掌大のスティックを取り出します。それは銀色の袋に包まれていました。つまり、携帯食料です。みんなに人気のチョコレート味でした。


「食えよ。とっといたんだ」


 アケモーヌが携帯食料をメスゲへ差し出します。メスゲはそれを見つめました。しかし、手を伸ばしません。彼はアケモーヌへ視線を向け直します。


「それはアケモーヌの分だ」

「じゃあ二つにでも割れよ。んで、片っぽ残しとけ」

「アケモーヌ……」


 アケモーヌは視線を蝋燭へそらしました。彼女の口元だけが微笑んでいます。メスゲはアケモーヌの膝へ手を置きました。


「きみ。どっか悪いのか」


 メスゲたちは見つめ合います。洞窟の中はとても静かでした。時折、外からの風がくぐもった声でかすかに囁くばかりです。

 アケモーヌが唇から小さい犬歯を覗かせます。


「頭は確かに悪いよ。メスゲよりはな。――喧嘩か? 暖まりそうだ。買ってやる」

「アケモーヌ。冗談言ってる場合じゃないぞ」


 メスゲの手がアケモーヌの左足を揺らします。彼女はため息を付きました。白くぬるい空気がメスゲの顔へかかります。


「はぁ。分かったよ」


 アケモーヌが両指を組みました。それを自身の足へ置きます。


「戻しちまうんだ。体が食いもんをもう受け付けてくれない」

「薬は?」

「……なもん」


 アケモーヌの瞼が広がりました。彼女の四白眼しはくがんがメスゲの瞳を捉えます。


「そんなもん。あるわけねえだろ!」


 アケモーヌの怒号が洞穴の静謐を壊します。


「俺たちがどこいるか分かってんのか?! それとも、分かった上でバカにしてんのか。お前もやっぱりみんなみたいに俺のことをバカにすんのか? どうなんだよ。おい。黙ってないでなんとか言えよ。その目やめろよ。なんとか言え――」


 アケモーヌの口が塞がりました。メスゲの胸が彼女の顔を優しく覆ったからです。


「ごめん。アケモーヌ。ごめん」


 冷え切った洞穴にアケモーヌの啜り泣きが響きます。それは虚しくも氷へ溶けていきました。

 メスゲがアケモーヌから体を離します。彼は両手で彼女の手を包みました。


「僕のせいだ。本当にごめん」

「……メスゲのせいじゃねぇよ。誰のせいでもない。ただ」


 アケモーヌの泣き腫らした目元が三日月状に歪みます。彼女の頬は青白く蝋のようでした。しかし、涙袋は赤く染まっています。


「ただ、俺たちは運が悪かったんだ」



 ここはクレバスの中でした。

 アケモーヌとメスゲは雪山へ演習に来ていたのです。授業の一環でした。

 二人は運悪く吹雪に巻き込まれます。そして、雪原の割れ目が冷酷にも彼らを飲み込みました。

 アケモーヌは落下中に横穴を運良く見つけました。彼女は穴へなんとか這い上がります。

「メスゲ! 俺の手をつかめ!」

 アケモーヌはメスゲの手も取ることができました。しかし、彼を洞穴へ引っ張り上げる際に荷物をいくつか失いました。

 メスゲを軽くするために、彼のバックパックを手放させました。また、彼女は彼を引っ張り上げる際に体勢を崩しました。彼女のバックパックから荷物がこぼれます。それらの全てが青い闇の底へ落ちていきました。

 それでも、二人は助かったのです。



「運が悪かったんだよ」


 アケモーヌはまぶたをそっと閉じました。そして、伏し目がちに開き直します。


「運、か」


 アケモーヌが自身のバックパックへ視線を向けました。メスゲもそれをなぞります。


「どうしたんだ?」

「たぶん、まだ入ってるはずだ」


 アケモーヌは上体をよじらせようとします。彼女の眉間みけんにシワが寄りました。体をかなり痛めているようです。


「悪い。メスゲ。俺のバッグパックから取って欲しいものがあるんだ」

「分かった。アケモーヌはそのまま安静にしてて」

「……助かる」


 メスゲは彼女のバックパックを漁ります。そして、何かを探り当てたようでした。


「これか? アケモーヌ」


 メスゲの手には一冊の本が握られていました。緑色の分厚い装丁そうていに金色の文様がほどこされています。

 メスゲはアケモーヌへ本を手渡しました。


「爺ちゃんに持たされたんだ」

「きみの、ご家族か」


 メスゲは口を一瞬つぐみました。アケモーヌはそれに気づいています。彼女は薄ら笑いを顔に浮かべました。


「メスゲも知ってるんだろ? ミスティオレ一族いちぞくの噂」

「もちろん知ってるよ。信じてはないけど」



 ミスティオレ一族いちぞくの噂。


 かつてその先祖は神秘にまみえました。いつまでも若々しくいられる呪い。しかし、周囲からは不審で迎えられました。


 その命。何処どこから来るのか?



 アケモーヌは本を開きます。蝋燭が金色の文様に反射しました。妖しくも美しいオレンジ色の光がメスゲの網膜へ焼き付きました。

 アケモーヌが本をペラペラとめくっていきます。


「あの噂。嘘じゃないんだ」


 そして、アケモーヌはメスゲへ本を差し出します。


「その本を読むだけでいい。声に出して読めば、あとはそれが何とかしてくれる」

「何とかって?」

「分からん。実家に行けばアイツに聞けるんだけど」

「邪神に?」

「うん」


 メスゲは口を閉じるのを忘れました。アケモーヌは握った右手で自身の唇を隠します。彼女は囁くように含み笑いました。


「引いた?」


 メスゲも口角を上げました。


「うん。引いた。でも、これしかもうないんだろ? 僕たちが生き残る道はさ」

「……お前と組んだことに初めて感謝してるよ。メスゲ」

「うん。えっ、初めて?」


 メスゲがアケモーヌへ身を乗り出します。彼女は両足をパタパタと揺らしました。


「些細なことだよ。メスゲ」

「傷ついたなぁ」

「うるさ!」


 青い洞窟に彼らの笑い声が響きます。いつしかそれは止みました。

 二人は見つめ合います。メスゲの視線の先でアケモーヌの舌があらわになりました。


「……その、だからさ」


 アケモーヌはなにか言い淀みます。そして、再びメスゲヘ向き直りました。


「メスゲ。もしもだけど、もし私たちが助かったら、さ。そのあとも一緒にいてほしいんだ、けど……。どう?」


 メスゲはアケモーヌの手を握りました。


「もちろん。もちろんだよ。アケモーヌ」

「そうか。……ありがとう」


 それから二人は呪いの準備を始めます。

 メスゲにとってはとても幸運なことがありました。アケモーヌが持っていた呪術書『彼方へ木霊こだまするミスティオレの呼び声』の文章は彼でも容易に解読できたのです。

 呪術には段取りがありました。メスゲはナイフで掌を切ります。傷口から血が滲み始めました。

 今度は、メスゲはアケモーヌの手のひらへナイフをかざします。


「ちょっと痛むよ」

「この寒さだ。分かりゃしないさ」


 ここに血を流す二つの手のひらが揃いました。メスゲとアケモーヌはその傷口をくっつけあいます。二人の手は氷のように冷たいです。しかし、彼らにとってはむしろ心地よく有りました。

 体温が二人の平均に到達します。メスゲがアケモーヌを見つめました。


「じゃあ、始めるよ」

「よろしく。メスゲ、いや――メスゲ・ミスティオレくん」


 メスゲは呪術をみ始めました。アケモーヌは彼の太ももを枕にしています。彼女の瞳がゆっくりと閉じていきました。


「……君には負担ばっかりかけてしまったな」


 アケモーヌは呟きました。メスゲの口からは呪言がこぼれ出ています。彼は彼女の手をより強く握りました。それが今の彼にできる限りの返答です。


 どこか遠くのクレバスの底。氷の洞穴では二人の男女が、いまも生命を繋ぎ続けています。

 いつの日か、彼らに救いが訪れるまで。



 つまり、そういうことなんだ。

 自分勝手なのは重々承知だよ。でも僕もほら、男だからさ……。


 もしも、貴方が僕たちを哀れんでくれたのなら、この話を貴方の周りへもっと広めてほしいんだ。

 ミスティオレのこだまをもっと響かせてほしい。それはいつか僕らのもとへ跳ね返ってくるんだから。

 助けが来る前にアケモーヌが死んじゃったら、全部台無しだしね。


 お願いだ。

 貴方がホントはとっても優しい人だってこと。僕たちは分かってるからさ。


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繋ぐ命とミスティオレ 莫[ない] @outdsuicghost

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