魔法少女は市役所職員のお仕事です

祐里

1.七海、焦る


――くっ、間に合うか……!?


 久保くぼ七海ななみは焦っていた。出勤した直後に魔法少女緊急出動要請がかかったからだ。大急ぎでトレンチコートを羽織ると職場である市役所を飛び出し、ローヒールパンプスで走り出す。


「何もっ、ストライキ中、にっ……、緊急なんてっ!」


 口から愚痴がストレートに飛び出してしまう。いつもなら緊急出動時は運び屋の大蟻に飛び乗るのだが、大蟻はストライキ期間に入ってしまった。そのせいで最寄り駅まで走る羽目になったのだから仕方ないと、愚痴を正当化することも忘れない。


 駅のホームに到着し、はあはあと息を切らして電光掲示板を見る。次の電車は十分後だとわかると、七海はベンチに腰を下ろした。


「マジかぁ……十分あればパン一個くらいいけたのに……」


 通勤ラッシュ時間帯を過ぎた駅のホームで思わず独り言が出てしまった。聞かれていなかったかと辺りを見回すと、「あ……、あの」と七海に話しかけるような声が聞こえてくる。


「パン、あるので、よければ食べます……?」


「は……? えっ、はっ?」


 うろたえる七海の左斜め後ろから声の主が姿を現し、ベンチの並びに少し間を空けて座った。黒のタートルネックのセーター、カーキのズボンとグレーの大きめダッフルコートという服装で制服こそ着ていないが、高校生くらいの年齢に見える眼鏡男子だ。不用意に漏らした愚痴を聞かれていたという驚きと恥ずかしさで他に言葉が出ず、七海の顔は自然と下を向いた。


「いや、おなか、すいてるのかな……って」


「……すいて、ます……」


「僕これから塾の試験があるんですけど、緊張してしまって食欲がないんです。だから、これ」


「い、いいんですか? 今日、朝ご飯食べてなくて」


「はい。僕はたぶん昼も食べられないと思うし」


「毒とか入ってませんから」と慌てて付け足した眼鏡男子に礼を言い、ぶかぶかの袖口から少しだけ出た手でコンビニ袋から取り出されたメロンパンを受け取った。


「塾、ということは高校生、ですか?」


 ぺりぺりと音を立ててメロンパンのビニール袋を開ける。甘い香りが食欲を誘い、さっそく大きな口を開けてメロンパンにかぶりつく。


「そうです。二年生で、そろそろ志望校を決めないといけない時期で」


「ああ、志望校……悩んじゃいますよね」


 むぐむぐと口を動かしてメロンパンを飲み込むと、眼鏡男子から「丁寧な言葉じゃなくていいですよ」と声がかかる。


「あ、うん」


「もしかして緊急出動で?」


「えっ、なんでわかるの?」


「あ、それは……ええと……今日から大蟻がストライキに入ったってニュースで知ってたので。だから駅利用するのかな、と。服装も市役所の人っぽく見えたし。いつもは大蟻移動ですよね?」


 なぜか言い淀む眼鏡男子のことは気にせず、七海はメロンパンを片手に自分の服装を見た。ベージュのトレンチコートの下は飾り気のない白ブラウス、紺色のブレザージャケットと膝下スカート、ベージュのストッキング、黒のプレーンパンプスだ。確かに堅い職業に見えるとしみじみ思う。


「わぁ、洞察力すごい。そうなの、いつもは大蟻に運んでもらうんだけど」


「大蟻、二、三回しか乗ったことないけど、僕は好きです。安定感あって。雨の日ちょっと困るけど傘差しても怒られないですよね」


「うんうん。頭の上に乗るとさ、なんかいい気分なんだよね。けっこう速いし、高い位置になるから」


「そうそう、あれ楽しくて」


 初めて会った人だというのに、どうしてだか話が弾む。彼の柔和な顔立ちのおかげかもしれないと七海が思い始めたとき、次の電車のアナウンスが流れた。


「……あの、一緒に行っていいですか? 魔法少女、見たいです」


「えっ? 塾の試験は?」


「そっちは……いいんです……」


 つい数秒前までにこにこと笑顔で話していた眼鏡男子の顔が曇っていく。何か事情があるのかもしれないと察した七海は、一つ提案をしてみることにした。


「……んー、じゃあさ、今日じゃなくてきみの時間が取れるときに来ればいいよ。連絡先交換しない?」


「いいんですか!?」


「メロンパンのお礼ってことで……いや、お礼にもならないけど。あ、きみが乗るの特急でいいの?」


「はい、特急で大丈夫です」


「じゃあ一緒だ」


 到着した特急電車に乗り込み、スマホを取り出して連絡先を表示させると、彼はするすると自分のスマホを操作していく。


「さっすが、十代は違うわ。操作が淀みないというか指先が器用というか……って、指きれいだね」


「そうですか? 自分の指なんてあまり気にしたことないな」


「うらやましいな。私、紙で指切っちゃったり……」


 自分が発した台詞に、ふと七海は既視感を覚えた。薄く張られた半透明の膜の向こうにしまいこんだ、あの日――


『次は、西寺にしてら駅、西寺駅に到着します。お降りの方はお忘れ物などないようご注意ください。進行方向に向かって左側のドアが開きます。ドアから少し離れてお待ちください』


 記憶の海に深く潜ってしまいそうになり、車内アナウンスの声で我に返って水面に顔を出す。息が止まるかと思った、などと非現実的なことを考えながら。


「あっ……、私、ここで降りなきゃ。きみは?」


「僕はもう一つ先です」


「そっか。じゃあ……お名前何だっけ……」


安西あんざい一穂かずほです。久保さん、連絡くださいね。絶対ですよ」


「う、うん、連絡する。もう冬休みだもんね」


「はい、絶対見に行くので」


「うう、そんなこと言われたら緊張するじゃん」


 七海の言葉で彼は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。その黒縁眼鏡の奥の目に、また記憶の薄い膜の向こうが気になってくる。


「またね。メロンパンありがとう」と言い残し、七海は開いたドアからホームに降りた。本当はもっと話したかったという思いは、胸の奥にぐいっと押しやった。

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